017 カズハです。我慢していたんですけど、やっぱりやらかしました。
『――精神は火を起こし風を纏い土を作り。
気を充実させ陰りにも光を射す。
身体は水氷の如くうねり木を育み。
体現させた陽だまりさえも闇へと落とす――』
◇
アゼルライムス帝国、帝都アルルゼクト。魔法研究開発室の一角。
魔導書を片手に私は椅子から立ち上がり、窓から木漏れ日の射し込む庭園を眺めた。
今日はすこぶる調子が良い。
これはきっと努力を続けてきた私への褒美だろう。
私は魔導書を開いたままテーブルに置き、魔工技術で作られた珈琲メイカァを作動させる。
時を待たず香ばしい香りが私の鼻腔を擽り、ふうと一息吐いた私は熱々の珈琲に唇を近づけた。
三日前の朝から続いていた片頭痛の原因は私のこれまでの知識を以ってしても解明ができなかった。
それが今では嘘のように痛みは晴れ、そのお陰もあってか魔道士試験の合格を手にすることができた。
これから私は最終目的である《大魔道士》を目指すことになるだろう。
そのために必須となるのが、あの聖なる杖――。
『リリィ・ゼアルロッド様。宜しいでしょうか』
扉の外から私を呼ぶ声が聞こえ、思考を一旦停止する。
私はカップをテーブルに置き、返事を返す。
ほどなくして扉が開き帝国魔道士の一般女兵が顔を出した。
「あのぅ……。ゼアルロッド様に会いたいと仰る方が兵舎受付の前に来られてまして……」
「? 私に?」
「はい。『カズハ・アックスプラント』と仰る、勇者候補受験生の方みたいですけれど……」
その名を聞いた瞬間、少しだけこめかみの奥に違和感を感じた。
だがそれも一瞬で薄れ何事もなかったように私は咳払いをする。
『カズハ・アックスプラント』という名に聞き覚えはなかった。
しかし、何故か懐かしい感情が湧くのはどうしてなのだろう。
「ご用件は何かしら?」
なるべく平静を装うために後ろを向き、テーブルに置いた珈琲を飲むふりをする。
せっかく昇進したばかりだというのに、部下である魔道一般兵の前で恥を掻くわけにはいかない。
「それが……『リリィを仲間にさせろ』と叫んで、兵舎の男性兵士らを色仕掛けで惑わしてまして……」
「げほっ!! コホッ、コホコホッ!!」
「だ、大丈夫ですか……!」
部下が慌てて部屋に入り、咳き込む私の背中を優しく撫でてくれる。
私は身振り手振りで彼女を制し、一旦深呼吸をしてから気持ちを落ち着かせる。
勇者になろうという受験生が、私を仲間に引き入れようとするのは理解できる。
現に最終試験合格者のうちのかなりの数から冒険者ギルドを通じて要請がきているのも事実だ。
だが、帝国の兵士に色仕掛けをしてまで私を仲間に引き入れようとする者など過去にいるはずもない。
そんなことをしたら勇者はおろか、他国の諜報員と疑われて地下牢行きになる可能性だってある。
「ゼアルロッド様は今、非常に忙しい時期ですから何度もお断りしたのですが……。どうしても会いたいと譲らない方で……」
「……分かったわ」
その世間知らずは何が目的で私に会おうとするのか、少しだけ興味がある。
だが魔王軍の動きが活発化してきているこの時期に面倒事に巻き込まれるわけにもいかない。
『四魔将軍』――。とりわけ魔鳥王が率いる魔鳥部隊の動きに変化が見られているからだ。
まるで何かを探しているかのように、帝都の領海周辺を低空飛行している姿が何度も目撃されていた。
珈琲を飲み干した私はそれを部下に手渡し、部屋を後にしようとする。
「お、お会いになるのですか?」
「いいえ。相手から見えない位置で対象を確認するだけよ。魔道士の基本だわ」
彼女に笑顔を返した私は部屋を後にした。
◇
廊下を進み、兵舎の入り口に向かうと少しだけ人だかりができているのを確認できた。
まだ相手が手を出してきているわけではなく、警備兵らも手をこまねいている様子だ。
「? あの子は……」
髪はショートカットで多少背が低い女冒険者風情。
色仕掛けとは言うものの、あれでは年端もいかない少女が無理に背伸びをしているようにしか映らない。
だから兵士らも手を焼いているのだと分かり、少しだけ安堵する。
確かに、彼女とは一度だけ面識があった。
私の記憶では三日前の朝、帝国槍術兵であるグラハム・エドリードと会話をしていた少女である。
二言三言会話をしたが、それだけの関係だ。
……いや、違う。
確か変なことを質問された記憶がある。
『魔王は男なのか女なのか』――。
たまたま手にしていた魔王の手配書を彼女に渡し、グラハムを連れてその場を去ったのだった。
「だーかーら! リリィに会わせてくれって言ってるだけだろおっさん! これだけサービスさせておいて、会わせてくれないなんてヒドイじゃんか! アレか! パンツも寄こせってか! このエロおやじが!」
「……」
聞くに堪えない、汚らしい言葉。
女として生まれてきたというのに、その身を安く売るしか能の無い少女なのだろうか。
どう考えても彼女と関わることにメリットなど存在しない。
私は踵を返し、魔法研究開発室へと戻ることにした。
「あ、放せ! こら! どさくさに紛れて変なとこ触んじゃねぇっつの! あー、もう話が分からん連中だな! リリィを仲間にしたいのがそんなに悪いことなのかよ! だってあいつ大魔道士を目指してるんだろ! だったらさっさと聖杖のフォースなんちゃらを手に入れなきゃなんねぇだろが! お前らが見つけられないから、あいつは自分で探そうとしてるんだろうが!」
「!!」
足が止まり、同じく一瞬だけ思考が止まる。
彼女――カズハ・アックスプラントの言葉を、兵士達は誰もまともに聞いていない。
だが私には聞き逃せない言葉があった。
『聖杖』――。
なぜその存在と、一部とはいえ名称を知っている――?
聖杖フォースレインビュートの存在は世界ギルド連合付けで国家機密とされているはず。
一説では四魔将軍のうちの誰かが所持しているとされているが、それすらも予想の域を出てはいない。
彼女は一体その存在を何処で知ったのだろうか?
そして私がそれを求めていることを――?
四人がかりで取り押さえられた彼女は、そのまま兵舎の外に運ばれていく。
きっともう、この場所に入ることは禁じられるだろう。
帝都内の騒ぎはすぐに上層部にも届き、たとえ彼女が勇者候補試験に合格したとしても勇者の称号を与えられる可能性は低くなる。
そこまでしてでも、私に会おうとする彼女の意思とは一体――。
「……『カズハ・アックスプラント』、ね」
静かになった兵舎で私はポツリと彼女の名を呼んだ。
カズハ「どうしよう……。またやっちまった……」




