029 クールなグラハムはあまり見たくないというか何か悪いものでも食べたのかな。
同刻、ドベルラクトス国。
首都ルシュタールにある鍛冶ギルド『イスム・ルティーヤー』にて――。
「がーっはっは! お前さんら、思っていた以上に話せるじゃねぇか! いやぁ、元魔王軍の帝国軍将様だって聞いてたから、もっとお堅い奴らだと思ってたぜ! よーし、飲め飲め! 今日は『零章日』だから仕事はやらねぇ! 俺らもたんまり飲むからよ!」
「「おおー! 飲むぜぇーー!」
屈強なドワーフ族の男がそう叫ぶと、他の数十名はいるであろうドワーフらも一斉にジョッキを傾けウイスキーを喉に流し込む。
かの国の祝日にあたる『零章日』では国民は皆仕事を休み酒を飲む習慣があり、首都はどこもお祭り騒ぎであった。
次から次に運ばれる料理はドワーフ民族独特のものであるが、味付けは客人に合わせてあるのだろう。
帝国から来た二人の男女も新鮮な肉や魚、野菜をふんだんに使った料理に舌鼓をしている。
「では拙者もお言葉に甘えて――」
「ちょっとグラハム。いくらこの国が祝日だからって、私たちは公務で来ているのよ?」
「少しくらい良いではないか、リリィ。こうやってもてなしてもらっているのだ。一杯や二杯飲んだくらいで酔いは回らんよ」
グラハムと呼ばれた大柄な男はそう言い、テーブルに置かれたジョッキを一気にあおる。
ここ数週間の公務で酒を控えていた彼には多少度がキツい酒ではあるが、強く香るアルコールの匂い釣られて食欲も湧いてきてしまったようだ。
「はぁ……。まあいいわ。どうせ細かくて面倒臭い仕事は私の担当だもの」
リリィと呼ばれた細見でウェーブのかかった長い髪の女性は溜息を吐くが、彼女もこの雰囲気が嫌いなわけではなかった。
皆が笑顔で集い、飲み食いをし、話に花が咲く――。
平和な世界だからこそ実現する些細な幸福に、彼女も自然と笑みが零れてしまう。
「のう、将軍さんよ。さっきから気になっておったのじゃが、その槍」
「ん……? ああ、これか? 俺の相棒、その名も『竜槍ゲイヴォへレスト』っつう槍だが」
丁寧に布に包まれた、身丈の二倍はあろうかという長槍にドワーフらは興味津々のようだ。
かつては竜人族の宝と噂された槍は、もはや伝説として武具愛好家らに名が知られていた。
「やはりそうか! 『竜槍ゲイヴォへレスト』! 今や希少種族であった竜人族は皆滅んでしまったと聞くが、お前さん、かの種族の関係者か? それとも地下競売で手に入れた代物か?」
「……まあ、そんな感じだ」
表情を変えずにそう答えたグラハムは二杯目のウイスキーを喉に流し込む。
横に座っていたリリィは何故か少しだけ寂しそうな視線を向けたが、口は結んだままだ。
数人の職人ドワーフが彼の周囲に集まってきたのを見計らいグラハムは立ち上がる。
そしてテーブルの上の皿を端に寄せ、ドンと自身の槍を置き布を取り去った。
「今日は招いてもらった礼があるからな。見たいのだろう? 思う存分やってくれ。……いや、改造とかは困るがな」
「本当か! お前さん、良い奴だな!!」
鍛冶ギルドに所属するドワーフらは一斉に竜槍を手に取り、その手触りや重さ、刀身の鋭さに感嘆の声を漏らす。
三杯目のジョッキを受け取ったグラハムは立ち上がり、少し離れた場所で彼らの様子や店内の雰囲気を楽しみ始めた。
「はぁ……。二杯だけって言ってたじゃない、もう」
ため息交じりでそう言ったリリィはグラハムの横の席に座り、ポテトの欠片を一つまみする。
今日の仕事はほぼ残ってはいないが、明日に酒が残っても困るのも事実だ。
彼がそこまで酒に強くないことを知っているからこそ、リリィは毎回忠告を加えなければならなかった。
「そんなこと言ったか? ……まあ、確かに飲みすぎか。酒はここまでにしておくとしよう」
ジョッキを飲み干したグラハムは彼女の横の席に座り、料理に手を付ける。
不思議と酔いが回ってこないのは、やはり竜人族の話をされたからだろうと彼は思う。
だが忘れることはないが、思い出す必要もない。
彼女の魂が宿ったあの槍と共に生き続けることが出来れば、それだけで満足なのだから。
「おお! やはり『バハムート』の刻印が刻まれておる……! おーい、将軍さんよ! この竜槍はあの伝説の鍛冶職人、ゼギウス・バハムートに改良してもらったもので間違いないな!?」
「ぜ、ゼギウス・バハムートって、あの古代書物にも同名の鍛冶師がたびたび登場する、あのゼギウス・バハムートかよ……!」
「俺子供の頃から憧れてたんだ……! 父ちゃんから古代書物に出てくるゼギウスと現存するゼギウスは実は同じ人物だって聞かされてたから、嘘だとは分かっててもロマンがあるよな! すげぇ……感動するぜ!」
盛り上がるドワーフ達。
それを尻目に苦笑するリリィ。
彼らに説明しようにも、証拠などどこにも残ってはいない。
それにこの事実は議会や帝国協議会でもトップシークレットとされている。
「なんか、こっちまで嬉しくなっちゃうわよね。ゼギウスの腕は確かだから信頼も置けるし、彼らの鍛冶技術の向上にも役立ってるし……。イスム・ルティーヤー製の武具だって世界で二番目の流通と品質を誇ってるし、魔工技術だけをとったらバハムート製の武具だって凌駕しているかもしれないのに」
「確かに。ここ数十年で彼らのブランドは知名度を増し、ドベルラクトスの名を世界に知らしめることに繋がったからな。この国が精魔戦争中に中立を保っていなかったらと思うとゾッとするよな」
グラハムの言葉に静かに頷くリリィ。
あの様子だと竜槍はしばらく帰ってこないと覚悟を決めたのか。
グラハムは再び立ち上がり店の外へと向かおうとする。
「どこに行くの?」
「少し飲みすぎた。風に当たってくる」
「もう……」
ため息を吐きグラハムを見送ったリリィは再び視線をドワーフらに戻し、会食を楽しみ始める。
◇
まだ日が昇ったばかりの首都は、人工的とはいえ心地の良い風が吹いている。
魔工技術により人々の暮らしは豊かになり、魔法都市にもひけをとらないと言われているルシュタール。
グラハムは煙草に火を点け、空を仰ぐ。
目を凝らすと薄い魔法壁が首都全体を覆っているのが確認できた。
雨風を凌ぎ、魔物の侵入を防ぐ最先端の魔工技術の結晶がこれだ。
「世界に本当の平和が訪れたら、俺は……」
思い出す必要などないとさっき心に訴えたばかりだというのに、今はそれを打ち消している。
過去は変えられないのがこの世の定理であるのが分かっているのに、『可能性』に期待をしてしまう。
主である魔王は、あの日、言った。
『救いたいか? その竜姫を?』――。
その言葉がずっと彼の心の奥深くに残っている。
魔女メビウス――。
神出鬼没の彼女には、まだ謎の部分が多い。
魔王はその正体に気づいているのだろうが、調べれば調べるほど謎は深まるばかりだ。
「……いかん、いかん。やはり飲みすぎたか」
頭を振り、煙草の火を足で踏み消す。
まずは帝国軍の将軍として与えられた役割を果たすことが最優先である。
時を待たずして、エルフィンランドの民政長であるレベッカ・ナイトハルトと聖堂騎士団長のセシリア・クライシスと合流し宮殿で会議が行われる予定だ。
魔王はいつもの如く所在不明となっているが、それは予想の範囲内である。
ユウリ・ハクシャナス教授らを加えて、帝国、エルフィンランド国、公国、連邦国の要人がここドベルラクトス国に会することとなる。
魔王の呪いは未だ解かれずとも、平和に向けて我らが中心となり、種族存続計画を進めていかなければならない。
同じ歴史を繰り返さないためにも――。
そう強く念じた彼は、再び天を見つめ、心の思いに鍵を掛けた。