020 田舎の風景ってなんだかこう、心が落ち着きますよね。
首都ルシュタールの郊外。
宮殿のあった場所より西におよそ15ULほど歩いた先に広大な田園地帯が広がっている。
一年中魔工具により温度調整をされているルシュタールは、極寒の地であるドベルラクトス国の食糧事情を支える重要な拠点でもある。
一般的に栽培されている作物は輸出品としても有名な『北極ニンジン』、『極寒トマト』、それに『煉獄バナナ』であり、それ以外の作物もこの土地と魔工の技術が合わさった、他国では食べられない稀有な食材として重宝されている。
本来であればドベルラクトス国の名産品として国を挙げて世界に輸出できるほどの代物であるが、長い年月の間鎖国を貫き通して来たかの国では、第二次精魔戦争が終結するまでは盗賊ギルドを通じての転売品が各国に流通していたほどである。
「――とまあ、こんな感じじゃな。お前さんも農家に嫁入りするのであれば、この国の食糧事情と名産品くらいは知っておかねば、儂が近所のライバル農家に馬鹿にされてしまうでな」
「だから嫁入りなんてしねぇっつってんの! いいからもう、手を離せよ!」
暴れる俺に業を煮やしたのか、爺さんはようやく俺の手を離しました。
あー、キモかった……。
どうして俺が爺さんと手を繋いで15ULも歩かされなきゃなんないの……?
ていうか、どこ、ここ? すっごい田舎まで連れてこられたんですが……。
「カ~~~ッ!」
「うわ、ビックリした!」
ボロい和風の家の前まで俺を強制的に連れてきた爺さんは、突然奇声を発します。
……それびっくりするから、いきなりするの止めてもらえませんかね。
「儂としたことが嫁になる女子を連れてきたというのに、己の名前さえ名乗っておらんかったわ。いや、これはこれは失敬。儂はこのルシュタール、デボン農園区で五十五年農家を続けておる『オゴエ・ドドラコス』というイケメン爺じゃ。お前さんの名は何という?」
「…………」
今度はいきなり自己紹介を始めた爺さん。
そして堂々と自分をイケメンとか言ってる時点で、いや、それ以前にすでにヤバい爺さんであることは確定しています。
「ちょっと待て。人が名を聞いておるというのに、その細ーい目で儂を睨んでそして何も聞かなかったかのように後ろを振り向くのはやめんか。なんかあるじゃろう。『え! ドドラコスって、あの国王ラドッカ・ドドラコスの親戚とか、そういう感じですかね! すごい! 格好良い! お金持ち! 嫁にして!』とか」
「…………」
「言わんとまた乳を揉むぞ」
「…………えドドラコスてあの国王ラドカドドラコスの親戚とかそういう感じですかねすごいかこ良いお金もいでででで!!」
細い目のまま適当に抑揚の無い小さい声で早口で答えたら急にほっぺを抓られたし……。
防御力ゼロなんだからすっごい痛いんだから、そういうのやめてくれよ!
「まあ良いわ。そのうち儂がしっかりと調教してやるからの。あ、ちなみに皇族とは一切関係ないからの。ルシュタールにはそもそもドドラコス姓の者が一万ほどおるからな。ほれ、いい加減お前さんも名乗れ」
「…………」
赤く腫れた頬を撫でつつ、俺は思考します。
確かにこの爺さんは頭おかしいし、農家に嫁入りするつもりも皆無なんだけど……。
ルシュタールにこんな田園地帯があるなんて知らなかったし、そもそも俺の夢は家庭菜園をやることなんです。
逃げるのは簡単だし、仲間達にも会いに行きたいのは山々なんだけど、この周囲に見える田舎の風景とか、空気とか、解放感とか、そういうのが俺の心を鷲掴みにしているのも事実……。
うーむ……。
「言わんと乳を揉――」
「カズハ・アックスプラント。爺さんが嫌いな元魔王だ」
「…………なんじゃと?」
俺がそう答えると爺さんの目が吊り上がりました。
まあ、もうルシュタールで俺や仲間達の情報が拡散されるのも時間の問題だろうし、ここは正直に名乗っておいたほうが良いと判断しました。
ていうかもう正体隠してどうのこうのとか面倒臭くなっただけなんだけど……。
爺さんは俺の頭の先から足の先まで舐めるような視線で往復してます。
……なんかまた鳥肌が立ってきた。
「カ~~~ッ!」
「うわ、ビックリした! もうやめろよそれ!!」
「カッカッカ! お前さんがあの歴史上最悪と謳われた第二十五代魔王、カズハ・アックスプラントじゃと?」
「うん」
「世界ギルド連合から危険度『5S』まで検討され、第二次精魔戦争を仕掛けた、あの?」
「うん」
「世界の宝である精霊を誘拐し、禁忌とされていた魔術禁書を無断で集め、世界三大山脈の一つアゼレスト山脈を崩壊させ、ありとあらゆる犯罪を犯したとされる、あの?」
「…………うん」
もう良いじゃんそういうの!
俺は何だかんだ世界裁判とかで色々と許されて、それで今大人しくこうやって生活しているんだから!
過去を蒸し返すのはやめようよ! そうだよ、皆で未来を生きようよ……!
辛いよ! 辛くて涙が出そうだよ……!
「……そうか」
ようやく分かってくれたのか。
爺さんはうんうんと頷きながら、俺の肩をそっと叩きます。
「頭を…………打ったのじゃな?」
「ちげぇし!」
爺さんの手を振り払い、俺は猛抗議をします。
これまでの経緯、まあ転生者とかは話が長くなるから置いておいて……。
戦乙女として活躍していた時代。そして魔王として数々の強者と戦ってきた歴史。
世界ギルド連合の悪行はすでに全世界の人々の耳にも届いているから、きっとこの爺さんだって魔王は悪い奴なんかじゃなかったって理解してくれるはず……!
「おお、おお、可哀想に。本気で自分が魔王だと思い込んでおる……。しかし儂はお前さんを見捨てん。その目――。お前さんのその農家に対する情熱だけは本物じゃ。良いじゃろう。今日からお前さんは『カズハ・ドドラコス』として儂が面倒を見る。これから儂は近所の者に新しい嫁が来たことを伝えに行ってくるでな。今日市場で揃えた材料を整理しておいてくれんか」
「あ、ちょっと……」
「家には鍵を掛けておらんから、好きに使って良いぞ。周囲の畑も見回ってみるといい。どんな作物を育てているのか、見て、触って、匂いを嗅いで、食してみることから全てが始まるからの」
「…………行っちゃった」
俺の渾身の釈明を聞いたにもかかわらず、爺さんの心には何一つ届かなかった模様……。
一人取り残された俺に手渡されたのは、首都の市場で買ってきた農具やら種がわんさか、それに見たことのない魔工具一式……。
どうしよう。逃げるなら今だけど、せっかくだから周囲の畑くらいは見回ってみようかな……。
――というわけで、俺は爺さんから受け取った材料を家の中に放り投げて田畑を見に行きました。




