020 ミミリたんは俺のだから誰にもあげないからね。
――ユーフラテス公国。港町シグマリオン。
奴隷商人ガレイド・ブラストの屋敷――通称『ガレイドハウス』の前まで辿り着いた私はひとつ大きく息を吐く。
首都メリサムからここに来るまでの間に聖堂騎士の鎧は脱ぎ捨ててきた。
私をここまで導いてくれたセシリアの事が心配で仕方がないのだが、すでに落ち合い場所は決めてある。
彼女から送られてきた魔法便によると、三カ国による帝国襲撃は明後日に予定されているそうだ。
――全てはユウリ様の計画通り。
だからこそ私は、私自身の過去の因縁と決着を付けることが出来る。
扉の前で自慢の耳を立て、中の様子を窺う。
どうやら来客は一人もいないようだ。店内にいるのは目的のガレイドと、それに奴隷娼婦が五人。
彼が遥か彼方の地にあるドベルラクトスから帰還したのは、つい先日の話だ。
この情報もセシリアを慕う女性聖堂騎士らが各地にいなければ掴むことができなかった。
本当に、私は運が良い。
そしてこのチャンスを逃がす訳にはいかなかった。
――過去の因縁。
私が彼――ガレイド・ブラストと初めて出会ったのは、まだ私が幼少期の頃だった。
当時、彼は奴隷商人ということを隠し、私の両親と商売上の交渉を試みた。
それから付き合いが深くなり、私は両親の勧めで彼と婚約することとなった。
しかし、次第に彼は本性を現していった。
両親は彼と契約した商売が失敗し、多額の借金を背負うこととなった。
だがきっとガレイドが助けてくれる――そんな甘い考えが、彼らにあったのも事実だろう。
全ての財産は闇ブローカーに売られ、両親は私を残して自殺した。
遺書には私に対する謝罪と、ガレイドに一生付いて行くように、としか記されていなかった。
私はそれに従い、彼との婚姻を期待したのだが――。
――私に待っていたのは彼との『奴隷契約』の魔術書だったのだ。
両親の事業が失敗したのも、彼の仕業だった。
最初から私を奴隷にし、財産を闇ブローカーに横流しするのが目的だった。
両親はそのことを知らず、最後までガレイドを信じ抜いたのだ。
彼が憎かった。殺してやりたいと何度も考えた。
だが、奴隷契約の魔術書がある限り私は彼に逆らえない。
その地獄の日々から私を解放してくれたのが、カズハ様だった。
◇
『ちっ、どうしてお前らは売れ残ってるのか、本当に分かってるのか? あぁ?』
『ひいぃぃ……! どうにか、どうにか折檻だけはご勘弁を……! ガレイド様ぁ……!』
店の奥の奴隷部屋。そこから女の悲鳴が聞こえてくる。
私は唇を噛み締め、そっと店内の扉を開き中に忍び込んだ。
ここに来た目的はもう一つある。
それは彼がドベルラクトスから持ち帰ったという『体の魔術禁書』だ。
彼はこれを議会を通じ、四皇の誰かに渡すはず。
ならば今、首都メリサムに滞在しているエルザイム主教と接触する可能性が高い。
つまり、ここに体の魔術禁書があるはずなのだ。
彼の昔からの癖――最も大事なものは、常に自身の目の届くところに置いておかないと気が休まらない性格。
それを良く知っている私だからこそ、彼が自宅に魔術禁書を隠し持っていると確信できたのだ。
それを奪還し、議会における彼の信頼を失墜させる。
すでに光の魔術禁書による失態が広まり、彼にも後が無かった。
決別、そして奪還――。
私は付与魔法を唱え気配を消し、音を立てないように部屋の奥にある書棚を目指す。
目的の場所に辿り着いた私は一冊ずつ本を確かめた。
一番目立つのは分厚い地図のようなものだが、これは恐らく魔法のペンの光を当て魔術禁書の所在を映し出す魔導具だろう。
その本が仕舞われていた棚の後ろに小さな窪みがある。
そこに人差し指を入れ、右にスライドさせるとその奥に隠し書庫が出現した。
書庫は厳重に陰魔法の鍵が掛けられ、容易に解錠はできない。
私は懐から針を取り出し、封印された鍵穴にそれを刺し込んだ。
――伝説の鍛冶職人、ゼギウス・バハムート制作による魔力を封印した針。
陽魔法を付与されたこの針ならば、解錠できるはず。
カチリと音が鳴り、書庫が開く。
中には膨大な数の奴隷契約書と、買主の情報が記載された書類。
それと――。
「…………あったわ」
一際存在感を放っている、一冊の魔術禁書。
これ一つで世界を崩壊しかねない、禁断魔法が記された書物だ。
それを震える手で取り出し、私は周囲に視線を向けた。
警報は仕掛けられていないようだ。
この隠し書庫の存在を知るのは私だけ。つまり完全にガレイドは油断をしていた。
奥の部屋ではまだ奴隷娼婦を罵っている声が聞こえてくる。
私は少しだけ考え、腰に差した炎剣を抜いた。
そしてそれを書庫に向けて振り抜く。
燃え上がる奴隷契約書。顧客情報の書類。彼が命の次に大事にしているリスト――。
私はカズハ様がそうしてくれたように、したまでだ。
『これは……どういうことだ!?』
ガレイドの慌てふためく声が奥の部屋から聞こえてくる。
私は一旦この場を離れ、店の外で様子を窺うことにした。
「……お疲れ様です、ミミリ様。例の物は――」
店のすぐ近くにある裏路地で声を掛けられ、私は軽く頷いた。
そして懐から体の魔術禁書を取り出し、声の主にそっと手渡す。
「――確かに。すでにセシリア様も動いております。このまま我らと一緒にラロック村まで向かいましょう。そこに高速船が用意して御座います」
「……いいえ。これを持って貴方達だけで向かって下さい。すぐに追い付きますから」
「しかし……」
声の主はそこまで言いかけ、しかし止める。
私の目はすでに店の中に注がれていたからだろう。
軽く会釈をし、その場から身を隠すように離れていく彼女を見送り、私はガレイドが店の外に出て来るのをじっと待った。
「くそっ……! 火の勢いが収まらん……! 俺の店が、俺の奴隷が、俺の、俺の……!!!」
徐々に火の手が上がる店から這い出てきたガレイド。
すでに中にいた娼婦らは奴隷契約書が灰となったために自由となり、各々店から飛び出して逃げて行ってしまった。
残されたガレイドはただ膝を突き、燃え上がる店を唖然と眺めているしかできなかった。
私は彼の後ろに立ち、その無様な姿を見下ろす。
かつての恋人であり、婚約者であり、私を買った元主人。
両親の敵。魔王の敵。最も憎むべき最低な人間族。
「…………あぁ?」
呆然とした表情で後ろを振り向いたガレイド。
私の抜いた炎剣に彼の顔が映り込み、それが徐々に恐怖の表情に変わっていく。
「み…………みみみ…………」
壊れた機械のように同じ音だけを口走るガレイド。
私は剣を振り下ろし、彼の首を切り落とす。
「…………?」
が、その剣閃は地面に突き刺さっただけだ。
彼の首は胴体から切り離されたわけでは無かった。
「……はは、ふはははは! そ、そうだろう……! お前に俺は殺せない……! あれだけ愛した俺を、主人を、お前が殺せるわけがない……! 俺はずっと、ずっと、お前を待っていたのだぞ……! 嗚呼、愛するミミリ、俺だけのミミリ……。さあ、こっちにおいで。もう一度一緒に、俺とやり直そう……! 最初から! あの時のように……!!」
「…………」
私は何も答えず、剣を鞘に仕舞った。
それを見てほっと溜息を吐いたガレイド。
彼は歪んだ笑みを浮かべたまま私に両手を差し伸べる。
――もう、終わりにしよう。
彼を殺したところで、私の両親が生き返るわけではない。
恨みは晴れない。憎しみはこれからもずっと、私の心に張り付いたままだ。
私は彼の手を取り、自身の頬にそれを摺り寄せた。
ずっと言いたかったことを、今、ここで、彼に話す。
たった一言。それだけで、全てが終わる――。
そして私の新しい人生が、『本当の人生』がスタートするのだ。
あの時言えなかった言葉を、今こそ言おう――。
私は目を瞑ったまま彼の手にキスをし、はっきりとこう言ったのだ。
「――さようなら、元御主人様」




