017 絶壁姉ちゃんが変態かもって言った奴出てこい。
「お、お邪魔……します」
恐る恐る実家の扉を開く絶壁姉ちゃん。
……いや、もうちゃんと名前で呼ばないと殺されそうだから絶壁姉ちゃんは止めよう。
「……」
「? どうかされたのですか?」
「……お前の名前って、その、何でしたっけ?」
「……」
眉間に皺を寄せた彼女は俺を抱いたままギロリと睨みます。
……その、すいません。
色々と慌ただしくて、お前の名前をちゃんと聞く機会が無かったというか……。
「……はぁ。セシリアです。セシリア・クライシス。敵国の将の名前すら覚えていないなんて……。貴女は本当に周囲の人間に恵まれているというか、貴女を慕って集まってきた仲間に支えられて生きているのでしょうね」
ため息交じりにそう答えたセシリアは俺を抱えたまま家の中に入っていく。
……まあ仲間に支えられているっていうのは認めるけど、『周囲の人間に恵まれている』という部分は納得がいかん。
だって俺の魔王軍はアホばっかりだし……。
まともな奴っていったらタオとリリィ先生、ユウリとミミリくらいなもんじゃね?
あとは変態と馬鹿とボケ爺さんとエロと毒舌幼女くらいしかいない気がします……。
「あ、そこの奥が俺の部屋だから。あっちの部屋にはお母さんが寝てるから静かにしててね」
家の中は薄暗いままだ。
お母さんは一旦寝ると滅多なことでは朝まで起きないから、たぶん大丈夫だろうね。
まだ頭がフラフラする感じだけど自力で立てないほどでは無くなりました。
このまま風呂でも入って汗や泥を流して、ベッドで横になって寝てれば早朝には魔力が回復してるだろ。
「ここが魔王の家……。思ったより質素な作りなのですね」
「……いや、当たり前だろ。別に魔族の王の一家に生まれてきたわけじゃねぇんだから。それよりお前、先に風呂に入るか? 俺を抱えて運んできてくれたから全身泥だらけじゃん」
彼女の薄い布みたいな服は、たぶんタオが用意してくれた服だろう。
あのガッチガチの鎧と頑丈そうな盾はユウリがどこかに保管してるんだろうね。
俺の部屋にお古の服がいっぱいあるから、風呂を上がったらそれを着てもらうとして――。
「いいえ、せっかくなのでこのまま一緒に入りましょう。どうせ後で貴女も入るのでしょう?」
「……へ?」
俺の返答を待たず、彼女は俺を抱えたまま風呂場の方に向かって行きました。
いやいやいや、ちょっと待ちなさい!
どうして何の躊躇もなく俺を風呂場に連れて行くんですか!
ていうかいつまで抱っこしてるの! もう一人で立てるっつうの!
「ほら、暴れたり大声を出したらお母様が起きてしまいますよ。大丈夫です。私がしっかりとお背中を流して差し上げますから」
「いいよ! 自分で出来るよ!」
「……? 女性同士なのに、どうしてそこまで頑なに嫌がられるのですか?」
「う……。それは……」
真っ直ぐな目で見つめられ、俺は口籠ってしまいます。
なんか説明するのも大変だし、俺の今までの経緯を知らない奴に話しても信じないだろうし……。
「私も貴女に話しておきたいことがありますから、このまま一緒に入って聞いて欲しいのです」
「うーん…………分かった。じゃあ、お願いします……」
小さい声でそう答えた俺は、脱衣所で彼女に降ろしてもらいました。
何となくセシリアのペースで事が運んでいる気がするんだけど、気のせいかなぁ……。
でもまあ背中を流してくれるんだったら有難いし、無碍に断るわけにもいかないし……。
◇
「どうですか? これぐらいの強さで宜しいですか?」
狭い浴室内に若い女の声が響く。
お湯をたっぷりと張った風呂からは湯気が立ち上り、白い世界で俺は風呂を満喫しています。
「あー、そこそこ。まさかお前がこんなにマッサージが上手いとは知らなかったよ。……まあ知らないのは当然だけど」
全身を隈なく洗ってもらった俺は湯船に浸かり、腕や足、首などを丹念にマッサージしてもらっています。
最初はちょっと抵抗があったんだけど、あまりに上手いもんだから最高にゆったりしちゃってます。
「ふふ、喜んでもらえて光栄ですわ。公国にいる女騎士らも日夜激しい戦いに身を置いておりますからね。こうやって互いに互いの身体をケアしていると、自然と技が身に付いてくるのですよ」
「ふーん、そういうもんなんだぁ」
彼女の言う女騎士とは、恐らく聖堂騎士団の女性騎士達のことだろう。
俺も前に百人くらいと戦ったことがあったけど、三分の一くらいは女だったような気がする。
「……で? 話って?」
首をマッサージされながら、俺は彼女に話を振ってみました。
こんなに気持ち良くしてもらったんだから、話くらい聞いてやらないとバチが当たっちゃう。
「……はい。あまり長く話してしまうと貴女がのぼせてしまうでしょうから、詳しい話はお部屋でするとして……。今は簡単にお話しします」
要点だけをまとめて話し出したセシリア。
俺のことを以前から知っていたこと。
公国の兵士として、聖堂騎士団の団長として、国に対し疑問を抱えていたこと。
『血槍』シャーリー・マクダインとの関係。
そして、光の魔術禁書を使用した理由――。
「ふーん、まあお前も色々あるってことか。光の属性を失えば、聖堂騎士としての呪縛から解放されると。そのために奴隷商人から受け取った光の魔術禁書を使った……。ん? そういえばあの禁書の効果って何なの?」
王の間で俺達に使用した光の禁断魔術。
でも特に何も無かったし、今でも皆さん元気でいらっしゃるようなのですけど……。
「――光の禁術。『大いなる生の恵み』。不死者の属性を有する者から、瀕死に値する攻撃を受けたときのみ発動する付与魔法です。効果が現れるのは一度のみですが、死を免れることができるというのはまさに光属性に相応しい魔法ではないでしょうか」
「『不死者の属性』……ってことは、あれか。世界ギルド連合のお偉いさんとか……ゲイルもそれに含まれるの?」
「はい。ただし、不死者以外の攻撃には効果を発しません。あくまで、不死者による瀕死級の攻撃を回避してくれる魔法ですから。あの光を浴びた者全員に、その効果を付与しました。ちなみに効果はその者が死亡するまで続きます。その他の魔法で付与効果を消すことは絶対に出来ません」
俺の首から背中に掛けてマッサージを始めてくれたセシリア。
自ずと俺は風呂から上半身だけを出し、彼女に全身を委ねる。
「うーん、なんか微妙とまでは言わないけど、効果が『不死者限定』っていうのがちょっとアレだけど……。でもあの場に居た全員にその効果が付与されたってことは、万が一俺の仲間がまたジェイドの野郎に捕まったとしても、殺される確率がグンと減ったのは有り難いかぁ」
「そういうことになりますね。貴女の最大の弱点は、『仲間を決して見捨てられないこと』。世界ギルド連合率いる他国の軍は、そこを執拗に狙ってくるでしょう。戦争は、その人にとって大事な者を殺し、殺されるもの。時には非情にならなければ、勝利を掴むことは難しい――」
「うん、知ってるよ。でも俺は仲間を見捨てない。お前はそれを知っているから、俺の大事な仲間を守ることができる魔法を使ってくれたってわけだ。さすが、俺のことを前から知っていただけのことはあるね」
「あ……」
俺が満面の笑みでそう言うと、彼女はちょっと赤くなりました。
ほら、やっぱそういう顔をしてたほうが可愛いじゃん。
女の子は謙虚で御淑やかな方が絶対に良いよね!
「よーし、だいぶ身体が解れたー。サンキュウな。俺はもう上がるけど、お前もゆっくりと湯船に浸かっていけよ」
大満足な俺は風呂から上がり、彼女の横をすり抜けようとしました。
でも彼女は俺の足を軽く掴み、まだ話し足りないような表情でこちらを向きます。
「……約束、覚えておいでですか?」
「約束……? あー、アレか。『何でも言うことを聞く』ってやつ。うん、何でも聞いてやるよ。先に俺の部屋で待ってるから、お前も疲れを癒してから来いよ。大丈夫、俺は約束を守るおと――コホン。女だ」
俺がそう答えてやると、彼女はホッとした表情で俺の足から手を放しました。
ほら、やっぱり良い子じゃん!
一緒にお風呂に入ると聞いた時は色々と嫌な予感がしてたけど、全然そんなことないじゃん!
世の中がそんなに変態で溢れててたまるかっての!
いやー、捨てたもんじゃないね! この異世界も!
風呂場を出て脱衣所で身体を拭いた俺はルンルン気分で部屋に戻っていきました。
「……大丈夫。あの魔王であれば、私の全てを受け止めてくれる。私の抱えている悩みも、想いも、全部――」
一人残された女の呟きが、空に溶けていった――。




