016 モグラ叩きって誰が考えたか知らないけど腕が疲れるよね。
ひっそりと静まり返った帝都。
月明かりに照らされた部屋で私は一人、思考する。
聖堂騎士団に入隊したのは今から八年前のことだ。
士官学校を首席で卒業した私はメリサ教の教えのもと、光の刻印を背に受け聖堂騎士に昇格した。
ユーフラテスに生きる者は光を宿したものでなければ騎士にはなれず、蔑まれる。
次席で卒業した彼女――シャーリーは闇の素質に秀でていたが、彼女は高貴な吸血一族の令嬢。
むしろ光の恩恵は邪魔にしかならず、彼女は彼女で自身の道を歩んでいた。
光の恩恵は神の恵みとも言われ、精霊王の加護により力を得るとされている。
そして人は必ず二つの恩恵と二つの呪縛を持ち、神より与えられた生を全うしなければならない。
私はそれに従うしかなかった。
全ては神より用意された運命。その決定事項に従うことが最大の幸福となる。
「――でも、私は抗いたかった。シャーリーのように、あの魔王のように」
誰に言うでもなく、私の呟きは宙に溶けていった。
そして薄布を脱ぎ、上半身を露わにする。
部屋に設置された大鏡に背中を映し出し、刻印が消滅しているのを再確認する。
私は光属性を消失した――。
つまり、私は聖堂騎士としての資格を失ったのだ。
神の恩恵である光を失った私は、もはや行く宛など何処にも無い。
深く息を吐いた私は、無性に笑いがこみ上げてきた。
今までの私の人生は一体何だったのだろう。
こんなにも気持ちが晴れ晴れとしたのは、あの日、魔王が大聖堂を崩落させたとき以来かもしれない。
薄布を羽織った私はそっと窓から中庭に視線を降ろす。
帝都にも大聖堂があるのだが、あれは精霊王を祀ったものではなく勇者オルガンのために建てられたものらしい。
だが結局は同じことだ。
崇める対象が精霊であるか勇者であるかの違いに過ぎない。
勇者と精霊は命を共にした盟友……いや、勇者の側からすれば奴隷と言ったほうが正しいのか。
人間など所詮、神を模した生き物に過ぎないのだ。
勇者とは人間族から精霊族に捧げられた供物。
一切の自由を禁じられ、神の命を受け魔族を駆逐し、滅する者。
あの大聖堂も、魔王は崩落させるのだろうか。
……いや、今や彼女はこの国の主も同然。
皇女と婚姻の儀を交わし、帝王が不在の今、そのような暴挙に出る筈が無――。
ドゴオォォン…………!!
「――い?」
まさしく今、私が見下ろす先にある大聖堂から爆発音が鳴り響いた。
そして次の瞬間には内部にある礼拝堂の天井が裂け、二つの影が飛び出してきたのだ。
「『次元刀』……! そして、もう一人は――!!」
何故、仲間であるあの二人が戦っているのかは分からない。
しかし私は居ても立っても居られなかった。
エニグマはユウリとかいう魔王軍の幹部に奪われてしまったが、今の私であればきっと問題は無い。
私は髪留めのピンを抜き、尋問室の施錠を解除する。
扉は強力な封印魔法が施されていたが、このピンにも付与魔法が仕込んである。
封印の解除と同時に魔法のピンは砕け去ったが、私はそれを見向きもせずにそっと扉を開いた。
◇
「ほらみろ! 天井が吹っ飛んじまったじゃん! 知ーらね! 俺、知ーらね!」
ゲイルの猛攻をどうにか黒剣で受け止め、宙に舞います。
あのいまいち射程距離が掴めない攻撃をどうにかしないと、俺の攻撃範囲まで奴に近付けないんだけど……。
「……相変わらずてめぇは真面目に戦ってるのか、ふざけているのか分からなねぇ奴だな! ならば、こうだ! 《時空移動》!」
もみもみ。
「ひゃいっ!?」
急に奴の手が胸の前に現れ、俺の乳を揉みやがりました。
なにこれ! 超キモイんですけど!
「げはは! 今のは俺の腕だけを瞬間的に時空移動させる技だ! どうだ? 本気を出す気になったかよ!」
「ああもう、どいつもこいつも変態ばかりで……! どうなってんの! この魔王軍!!」
俺は胸を揉んでいるゲイルの手を掴み、全力で引っ張りました。
というか引き千切るつもりで。捥いじゃっても問題ないだろ、こんな手。
「おっと、危ねぇ……! おめぇと組み合ったら敵わねぇからな! この腕力馬鹿が!」
すぐさま俺の手を振り切り、時空の狭間に引っ込めたゲイル。
くそぅ……! 取り逃がした!
「うーん、どうやって戦うか……。射程外からの攻撃。かと思えば反撃しようとするとすぐに時空の狭間に隠れちゃう。うーむ……」
奴の魔力が消耗するのを待っているんだけど、個人戦だとそんなに消耗せずに次元刀を使えるみたいだし……。
俺の黒剣より一万倍くらい使い勝手が良いじゃん……。
完全に装備で負けているんですけど!
どうしよう! どうしたらいいの!
「……あれ?」
考え事をしていたら、いつの間にかゲイルが消えていることに気付きました。
あー、また隠れた。こうなっちゃうと完全に気配も消えちゃって見付けようがない。
奴の攻撃パターンを予測して、時空に切れ目が出てきた瞬間に攻撃を避けないと駄目っぽい。
そんなん普通の奴じゃ対応できないやろ。
俺だからギリギリ避けられるくらいなんですけど……。
「…………はい、そこ!」
「ちぃぃ!」
再び俺の背後から手を伸ばしてきたゲイル。
俺は超反応で黒剣の鞘でそれを弾く。
……モグラ叩きかっ!!
「そろそろ決着付けないと、面倒臭い仲間達が駆けつけてくるだろうし……! ああ、もう……!」
こうなったら最後の手段だ……!
次の奴の攻撃に合わせて、俺も黒剣を抜く!
一か八か、やってみるしかない……!
大聖堂のてっぺんにある避雷針っぽいところによじ登り、そこで黒剣を構えます。
目を瞑り神経を研ぎ澄ませて、奴が次元刀を抜く瞬間を静かに待ちます。
「……………………ここかっ!!」
俺の頭上に開いた時空の裂け目。
そこから勢い良く次元刀を突き出してきたゲイルと、一瞬だけ目が合った。
「げはは! 反応速度は化物並みなのは認めるが、ここからどうする気だ!」
「こうするんだよ!!」
「あ……?」
瞬時に黒剣を抜き、俺はその刃をゲイルの刀に向け――たりはしなかった。
一瞬早く居合を空振りさせ、次に突き上げたのは黒剣の鞘の方だ。
ゲイルの刀と寸分の違いもなく。同じタイミングで。
俺は鞘の口を上空に向け突き上げた。
ガキィンというけたたましい音が鳴り響き、次元刀は黒剣の鞘にピッタリと収まってしまう。
「まさか――!」
「やった! 次元刀、封印できるじゃん! 俺の思った通りじゃん!!」
そう! これが俺の作戦!
この黒剣の鞘だったら、きっと次元刀の魔力を封印できると考えました!
これで奴はただの変態不死者でしかない……!
さあ、ここからが俺の反撃の始……まり…………だ?
「…………ふにゅぅ…………」
「…………」
急速に魔力を失った俺は、そのまま地面に落下していきます。
……あれ? どうしてこんなに力が出なくなっちゃうの……?
「……お前は馬鹿か。確かに発想は良かったが、お前はまだその黒剣を使いこなしてねぇんだろうが。恐らく、次元刀の魔力をその鞘が吸収して、黒剣の本体に還元させたんじゃねぇのか?」
「……? どういう、ことでしょうか、ゲイル先生……?」
もう眩暈やら吐き気やらで気を失う寸前です……。
アカン。死にそう……。
「魔力を還元したのは良いが、その黒剣はお前の魔力を吸う。その量が一気に増えて、一瞬でお前の魔力は吸い上げられて枯渇したってわけだ」
黒剣の鞘から次元刀を抜き、俺の持つ黒剣を元の鞘に戻してくれたゲイル。
そして疲弊している俺を見下ろし手を差し伸べた所で、奴はその手を止めた。
「……あの、早く救護室に連れて行ってもらえません?」
「……お前は今、魔力を消耗している。自力で動くことができねぇ。そんなに息をはぁはぁしながら、俺に助けを求めている」
「……はい?」
「庶民服もボロボロ。所々に肌が露出している。……さっきの胸の感触、なかなか良かったぜ。お前は自分で気にしていないみたいだが、周囲の男共はいつもお前の身体を盗み見てんだぜ。このチャンスを俺が逃すと思うのか?」
「…………」
……そうだった。
俺の目の前にいるのは、魔王軍屈指の変態。いや、変態ゲス神様。
変態三人衆の中でもゲス度はぴかいち。
身動きの取れない俺を組み敷き、あんなことやこんなことをしようと目論んでいてもおかしくはない。
「……ゲイル。知っていると思うんですけど、俺の中身は男です」
「だが身体は女だ」
「…………」
……どうしよう! 何を言っても無駄っぽい!
食べられちゃう! 俺、ゲス神様に食べられちゃうー!
誰か……誰か、助けてーーーー!!
「変態っ!!!! 撲滅っ!!!!」
ガスンッ!
「あ……が……」
「…………へ?」
今まさにゲイルという名のゲス野郎が俺の上に跨ろうとした瞬間――。
俺の目の前に現れたのは救世主の女神様……じゃないや。
あの盾使いの女戦士でした。
「絶壁ちゃん!!!」
「だから誰が絶壁ですかっ!! シバくぞコンチクショウ!!」
しまった! せっかく助けに来てくれたのに、さっそく地雷を踏んじゃった!
……ていうか、あの尋問室からどうやって逃げてきたんだろう。
確かリリィの魔法で部屋自体が封印されているんじゃなかったっけ……?
まあ俺も蹴破って入ったくらいだから人の事は言えないけど……。
「……はぁ。まあ良いでしょう。しかし、このような場所で深夜に何をしていたのですか? 『次元刀』と戦っていたのかと思えば、襲われそうになっていたり……。昼間だって皆さんにお話ししたいことが沢山ありましたのに、慌ただしく貴女の大捜索が始まってしまって、まだ何も話せていないのです」
「話……ですか?」
うーん、絶壁姉ちゃんの話なんて俺、別に興味ないんだけど……。
ていうかゲイルが気絶しているうちにここを離れないと、また面倒臭いことになりそうで怖いんですが……。
「それに約束して下さいましたよね? 貴女の魔法の糸を切ったら『何でも言うことを聞いてくれる』と」
「…………そう、でしたっけ」
「……」
絶壁姉ちゃんの顔色が徐々に変わっていきます。
ヤバい! 今はとりあえずこいつの機嫌を取っておかないと、このまま俺を見捨てそう!
まだ全然身体が動かないし、一旦どこかに匿ってもらわないと何にもできない!
グラハムには悪いけど、ここは一度退散しよう!
「よし分かった! お前の話もちゃんと聞くし、約束も守るから、今は一旦俺をどこかに匿ってください! あ、そうだ、俺の実家でもいいや! ついでに魔力が枯渇しちゃって全然動けないので、おんぶして下さい! 抱っこでもいいです!」
俺はどうにか両腕を前に伸ばして、絶壁姉ちゃんに助けを求めます。
嫌な顔をされるのを覚悟していたんだけど、意外にも絶壁姉ちゃんは首を縦に振ってくれました。
……というか、ちょっと顔が赤くないですかね。
風邪でも引いてるとか……かな。
「……じゃあ、抱っこにします。良いですか? ちゃんと掴まっていて下さいね」
そう言った絶壁姉ちゃんはひょいと俺を抱き上げてくれました。
……なんか、お姫様抱っこみたいにされてるし。
すごく居心地が悪いんだけど、そう文句も言っていられない。
とりあえず実家に戻って、夜明けまでに魔力を回復させて――。
「…………やっぱり、柔らかくて良い匂いがする」
「え? 何か言った?」
「あ……ええと、何でもないです……」
「??」
今一瞬、鳥肌が立っちゃったんだけど、たぶん気のせいだろう。
いやいやいや、そんなはずはない。
レイさんとかグラハムとかゲイルみたいな人種が、この世に、いや全世界にこれ以上存在するはずがない。
この魔王軍があたまおかしいんだ。落ち着け。きっと俺は勘違いをしているだけだ。
――というわけで、俺は絶壁姉ちゃんに抱えられ実家に逃げ帰ることになりました。




