002 もしかして俺らって奴らのカモなんでしょうか。
ゲヒルロハネス連邦国、首都ベリベルンにある議会の一室にて――。
「まったく、とんだ恥を晒しおって……。情報操作にどれだけの金が掛かったと思っておるのだ。20億だぞ、20億。小国程度であれば国が吹き飛ぶ金額だぞ」
議長席に座るは魔道衣に身を包んだ銀髪の老人。
ゲヒルロハネス連邦国首相にして議会のリーダー、バルザック・レイサム。
ゼノライト鉱石で作られたキセルを片手に煙をふかし、つまらなそうに目の前の男に視線を向けている。
「そうジェイドを責めずとも良いではないか。あの魔王に常識は通用せん。私らもどれだけ奴に苦しめられたことか……。のう? ハウエルよ」
バルザックと少し離れた席に座りそう言ったのは、聖衣に身を包んだ白髪の老人だった。
ユーフラテス公国の主教、エルザイム・マカレーン。
「……思い出させるな、エルザイム。あの小娘のことを思い出すたびに胸やけがする」
苦虫を噛み潰したような顔でそう答えたのは軍服に身を包んだ初老の男だった。
ラクシャディア共和国の宰相、ハウエル・メーデー。
三者が座る席の前には、先の事件に関わったジェイド・ユーフェリウスと全身に包帯を巻いた男が立っていた。
「お言葉ですが、レイサム首相。20億程度の金は議会にとって痛くも痒くもない出費だと思いますが」
軽く溜息交じりにそう言ったジェイドは横に立つ包帯巻きの男の膝に魔道杖を振り下ろした。
「ぐっ……!」
「情けないのはこの男、レイヴンです。魔王に殺されるかと思いきや敵に情けをかけられ、こうして生き恥を晒している。昔のよしみでこうしてゲヒルロハネスまで連れて参りましたが、はてさて、どうしたものか……」
虫けらでも見るかのような目で倒れ込むレイヴンを見下ろしたジェイド。
その様子を興味もなく眺めているだけの三人の要人。
「チャ、チャンスを……! もう一度俺に、奴らに復讐するチャンスを……!」
ジェイドの足にしがみ付き、懇願するレイヴン。
それを聞き、少し悩んだ表情をしたジェイドだったがすぐに笑みを零し彼にこう告げた。
「ええ、もちろんそのつもりですよ。今回の一件は私にも責任がありますからねぇ。……シャーリー」
「はい。失礼致します」
ジェイドに名を呼ばれ、議会室に入って来たのは赤い長髪の女性だった。
妖竜兵団団長、シャーリー・マクダイン。
「シャーリー……! お前までゲヒルロハネスに来ていたのか……!」
目を見開き、驚きの表情でそう言ったジェイド。
彼の横に立ち妖艶な笑みを浮かべたシャーリー。
「ふふ、当たり前でしょう? マクダイン家は元々、議会と繋がりがあるからね。貴方のお父さんは英雄だったかも知れないけど、私のお父さんは世界有数の資産家だもの。ジェイド様に頼んで、妖竜兵団もろともこっちに移ってきたってわけ。それにしても――」
そこで一旦話を止めたシャーリーは、まじまじとレイヴンを見つめた。
そして堰を切ったように笑い出した。
「あははっ! 貴方、本当に情けないわね! あの女をモノにも出来ず、魔王にボコボコにされて、最後にはジェイド様に泣きついて……! あー、可笑しい。もしもこんな情けない奴が妖竜兵団の団長にでもなっていたら、兵士は皆首を吊っていたでしょうねぇ……! あははは!」
議会室に響き渡るシャーリーの笑い声。
それを見て悔しそうに唇を噛み締めるしかできないレイヴン。
「シャーリー、お喋りはそこまでにしましょうか。この男にはチャンスを与えたのです。お前はこの男を魔法都市アークランドまで連れて行くのです。そこで彼は生まれ変わります。……くく、新生物因子を注入されて、ね」
「新生物……因子?」
レイヴンの表情が固まる。
それが何を意味するのか、彼は痛いほどに理解しているからだ。
「あーあ、貴方もマルピーギ所長みたいに化物になっちゃうのね。でもまあ、それぐらいしないと強くなれないんだから仕方がないわよね。あはは!」
笑いながらシャーリーはレイヴンを強制的に立たせた。
「は、離せシャーリー……! ジェイド様! 話が違うではないか! ゲヒルロハネスに来れば俺をまた幹部に招き入れてくれると……!」
「ええ、約束は守りますよ。新生物因子により強化された貴方を、新生物部隊の隊長にするつもりですからねぇ。貴方の唯一の欠点は、生粋のエルフ族であるが故の行き過ぎたプライドや独占欲です。この国の優秀な研究者らが、それらの欠点を遺伝子レベルで操作して屈強な戦士に仕上げてくれますよ。……楽しみですねぇ。ゲヒルロハネス地方で最強と称される闇の神獣ブラックレヴィアタンの遺伝子を注入するのですから」
「ひっ……!!」
恐怖に喚くレイヴン。
ジェイドの猟奇的な笑い声が議会室に響き渡る。
シャーリーとその側近により強制的に連行されたレイヴン。
そして再び議会室は静寂に包まれた。
「……ふん、何の茶番なのだこれは? あの男に全ての責任を負わせて、今回の件をチャラにするつもりか? お前が全世界に発信したあの映像のせいで、奴隷制度反対派の連中から説明を求められておるのだぞ? ドベルラクトスが中立の立場を固持している原因はまさしくあれなのだろう?」
面白くなさそうにそう言ったのはハウエルだった。
彼が言っているのは、世界中に配信された映像の中にエルフィンランドの女王であるエリアル・ユーフェリウスが拘束されているシーンが映っていたことに他ならない。
ギルド公報の説明では、魔導増幅装置により魔力を増幅させるための措置と報じられたが、涙を流し、魔王を討つことを躊躇う彼女の姿に同情の声が多く寄せられたのだ。
音声は調整できても、映像は加工できない。
見る人が見れば、どちらが正義でどちらが悪なのかが一目瞭然であったことも問題視された。
「説明など必要ないでしょう。議会は今回の戦争を『宗教戦争』と位置づけました。メリサ教もアムゼリア教も精霊王を主として崇めているのですから、奴隷制度には賛成のはずです。一部の反対派による抗議など取るに足らない、些細な抵抗と言えるでしょう」
そう言い空いている最後の席に座ったジェイド。
四人が座る席の中央には精霊王を模した像が建てられていた。
その手に握られているのは『精霊王の聖杯』と呼ばれる神器――。
かつてカズハらがラクシャディアの地下遺跡より持ち帰った秘宝だ。
「その傲慢さが今回の敗北を招いたのだ。奴らに渡ったとされる六冊の魔術禁書、そして四つに分かたれた四宝――。それだけでも頭痛の種だというのに、伝説の鍛冶師ゼギウス・バハムートが制作したとされる新たな武器まで報告されているではないか。これにどう対処するのだ?」
キセルから灰を落とし、不機嫌な顔でそう言ったバルザック。
しかしこれにも余裕の笑みで返すジェイド。
「奴らに渡った魔術禁書のうち、氷の魔術禁書と気の魔術禁書はお二方の失態で奪われた物。そして四宝も試作段階だった新生物を使い奴らを襲わせたにも関わらず、別の賊に奪われたハウエル殿の失態。それらが重なり、敵に塩を送る形になったのは言うまでもありません。ですが、私も奴らの力を舐めていたことは事実。そこは反省致しましょう。しかし今回の戦いで得た物は非常に大きなものでした」
そう答えたジェイドは精霊王の像の頭上に魔道杖を振りかざした。
そこに出現したのは魔王軍の面々の映像や重要とされる武具や秘宝の数々だった。
彼は続けて説明する。
「我らが悲願とするのは『世界征服』と『不老不死』の二つ――。前者を達成するために必要なことは新生物部隊の増員と魔導増幅装置の大量生産、無属性因子を盛り込んだ武具の生産増強など様々です。無論、ラクシャディアが誇る陽魔道士部隊の補強、世界最強と名高いユーフラテスの聖堂騎士団の補強も必須でしょう。これに対処するためには莫大な金と魔力が必要となります。金は議会でどうにでもなりますが、魔力はそういうわけにはいかない。そこで私が目を付けたのが、魔王の持つこの黒剣――『血塗られた黒双剣』です。紅魔の里の監獄で得られたデータから、この黒剣は鞘から刀身を抜いたときのみ魔王の持つ魔力を吸収する仕組みであることが判明いたしました」
ジェイドの説明に興味深そうに聞き入る三者。
さらに続けるジェイド。
「この魔力を利用すれば一気に研究が進み、世界征服への大きな足掛かりとなるでしょう。そして陽の魔術禁書以外の残り五冊の魔術禁書。これらの所在はすでに議会の調査により明らかになっております故、妖竜兵団や和漢の闇ブローカー、及び奴隷商人ガレイドなどをすでに現地に向かわせております」
「ふん、肝心な『幻の十三冊目』の魔術禁書のほうは、まだ調査が済んでおらんではないか」
これに口を挟んだのはエルザイム主教だ。
先ほど助け船を出した彼を一蹴したジェイドの態度が気に入らなかったのか。
一転して太々しい態度で彼に質問を浴びせる。
「『無の魔術禁書』、ですか。確かに調査は済んでおりませんが、存在するかも分からない物に時間を掛けている暇などありませんからなぁ。無属性因子の抽出が確立されてから、まだわずか五年の歳月しか経っておりません。我らが先祖、アーザイムヘレストが魔法遺伝子の抽出に成功し、その後魔術禁書の存在が明らかになったのは彼の死後五十年が経った後なのはご存じのはず。調査は継続いたしますが、現在の世界情勢から考えて何が優先順位なのかは明白でしょう」
ぴしゃりと言い切ったジェイド。
苦虫を噛み潰したような顔をしたエルザイムだったが、特に何かを言うでもなく彼に説明を続けさせた。
「そして後者――『不老不死』の件ですが、奴らの仲間に精霊族の生き残り、ルリュセイム・オリンビアという娘がいることが判明しております。彼女を拘束し、遺伝子を抽出することに成功すれば『不老魔法』の研究を開始することができましょう。恐らく不死魔法と同じく、付与効果は一瞬で消失してしまうでしょうが、我らの血筋は一定条件をクリアさえすれば、効果を永遠に引き延ばすことが可能――。つまり彼女の血肉を喰らえば、若返り、その若さを永遠に持続することが可能ということです。これぞ我らが悲願、不老不死の確立。奴らは最大の敵でありながら、我らの悲願を達成するために必要な物を全て所持しております。……くく、面白いと思いませんか? 敵としてこれほど面白い者と対峙できるとは幸福の極み……!」
歓喜のあまり震えるジェイドに対し溜息を吐いた三者。
『四皇』と言われる彼らの中で頭脳派と呼ばれるジェイドであるが、常軌を逸した行動に三者は頭を抱えていた。
唯一彼の行動を抑制できるのは、議長であるバルザックだ。
そのバルザックが口を開く。
「……もう良い。お前の言い分は分かった。引き続き奴らに渡った魔術禁書と四宝の奪還は継続して行い、魔王の黒剣の強奪と精霊族の娘の誘拐は超法規的措置にて全世界にいる犯罪者に任せよう。表向きはこちらが『正義』だからな」
「……くく、正義ですか。正義とは勝者が得て語るもの。この世に正義も悪もありません」
そう言い椅子から立ち上がったジェイド。
彼の様子に首を軽く横に振ったバルザックだったが、ジェイドに同調し彼も椅子から立ち上がる。
これに続き、ハウエルとエルザイムも立ち上がり、中央に建つ精霊王の像に歩み寄った。
四者がそれぞれ聖杯に手を掲げ、懐から精霊王の紋章が刻まれたナイフを取り出した。
そして手首に刃を当て、一気に引く。
飛び散る鮮血は聖杯に注がれるが、杯が血で満たされる頃には自然と傷口が塞がった。
四者は同時に呟く。
それに呼応するかのように、精霊王の像は光り輝いた。
「神の復活まであと少し。五千年前の悲願は我らが必ず果たして見せましょう――」
 




