087 大事なのは事後か事後じゃないかってことだよね。
広場からほど近い場所に立つ礼拝堂。
その入口に立つ石像の手には聖剣らしきものが握られていた。
向かいには明らかに魔族っぽい石像がひれ伏し、命乞いをしているかのような印象を与えていた。
うーん、まあ聖剣持っているほうが精霊王で、ひれ伏しているのが魔王とかなんだろうね。絵的に。
ホント魔族が嫌いなんだなぁ。エルフ族って……。
俺は鼻をほじりながら石像を素通りし、礼拝堂の扉に手を掛けました。
どうか無事でいますように。アルゼイン。
「お邪魔しまーす。アルゼイン、いますかー」
ギギギという音が礼拝堂の内部に木霊しました。
中は薄暗くて良く見えないんだけど、なんかムワっとした、むせ返るような臭いがします……。
さっそく気持ち悪くなってきた……。
「カズハっ! 避けろ!」
「はい?」
聞き覚えのある声が奥から聞こえてきたと同時に、一瞬だけヒュンと風を切る音が聞こえました。
俺はとりあえず言われた通りに半歩だけ後ろに下がりました。まあ瞬時に、だけど。
その直後、俺の身体と同じくらいの大きさの重剣がドオンと音を立てて礼拝堂の床にめり込みました。
危ねぇな! なにすんの! 潰れるやろ!
「ちっ、余計なことを……!」
暗がりから声が聞こえ、そちらを振り向きます。
あー、見た覚えあるわ。お前か。名前……なんだったっけ?
「ふん、魔王自ら単身で本丸に攻めてくるとはな。援軍も当てにならないというわけか」
重剣を抜いた男は殺意を隠そうともせずに俺を睨みつけた。
どうしてこんなに恨まれているんですかね。
俺、お前のこととか全然知らないんだけど……。
「カズハ! そいつは『重剣レイヴン・リンカーン』だ! その大きな剣は『体』の付与魔法で見た目以上に重さを増している! 受け止めては駄目だ! 避けて、チャンスを作るのだ!」
段々と目が慣れてきた俺は声のする方角に目を凝らした。
そこには鎖に繋がれているアルゼインの姿が――。
「……」
「聞いているのか、カズハ! 奴の武器はゲヒルロハネス製の重剣でもある! どんな状態異常魔法が発動するか、私でも分からんのだ! 注意して戦え!」
アルゼインは繋がれている身体を揺らし、一生懸命にアドバイスをしてくれています。
でも俺は口が開いたまま、まったくその話を聞いていません。
……いやいやいや! ちょっと待って!
アルゼインさん、ほぼ全裸なんですけど!
ほとんどおっぱい見えてるんだけど! どういうこと!?
え……? まさか――。
「………………事後、ですか?」
「馬鹿なことを言っていないで集中しろ!!!」
……すごい剣幕で怒られました。
いや、だって心配するだろ普通! ほぼ全裸で鎖に繋がれてるんだよ!?
このムワっとした臭いとか、そういうことなのかと思っちゃうじゃん!
俺の頭の中で色々なことが想像されちゃっても、俺別に悪くないだろ! むしろ正常だろ!!
「あ、ちょっと時間下さい。ええと……もう名前忘れちゃった、重剣の人。アルゼインと重要な話があるから、席外してくれないです?」
「……」
ニコリと愛想笑いで言ってみたものの、相手はまったく笑っていません。
というか更に額に血管が浮き出ているような気がします。
いや、もっとおおらかに生きようよ。早死にするよ、重剣の人。
まあいいや、面倒臭い。
許可くれなくても、俺はアルゼインと話すことがいっぱいあるし。
まずは事後なのか、そうじゃないのかという重要なところの確認から――。
「……舐めやがって……どいつも、こいつも……。俺は……俺は、英雄の子だぞ……。全てのエルフの民は、俺にひれ伏してさえいれば良いというのに……」
……何か重剣の人が急にブツブツ独り言を言い出しました。
え? なに? ヤバい奴……?
あー、もう目が逝っちゃってる。アレだ。完全に病んでる系のひとだ。
めっちゃ関わりたくない……。面倒臭い……。素通りしよう。
俺はそっとその場を離れてアルゼインの元に急ぎました。
いやー、久しぶりだなぁ。相変わらずデカいおっぱいをしているよね。
……うん? なに、この傷……。
全身、アザだらけじゃん……。
「お前、あいつに酷いことされたのか?」
俺はアルゼインの鎖を解き、着ていた黒衣の上着を投げ渡しました。
その瞬間、アルゼインの瞳から一筋の涙が零れ落ちました。
ふーん、なるほどね。それだけでもう答えはいらない感じかな。
「……何故、ここに来た? 私がお前達に何をしてきたのか、知っているのだろう? ……いや、お前の答えはもう分かっている。それでも……私とエアリーを迎えに来るお前のことを……とっくの昔から、私は知っている」
「うん。じゃあ何も言わなくても分かるよね。それが答えだ」
俺はアルゼインに背を向け、黒剣を鞘ごと抜いた。
何だかんだで、三周目の世界でアルゼインが一番付き合いが長いからな。
「……その女がそんなに大事か? 偽りの英雄、アルゼイン・ナイトハルト……! 奴隷の血が流れているくせに……! 俺が飼ってやると言っているのに、いつまでも強情を張りやがるメス豚が……!」
重剣の人はえらく怒っているみたいです。
もう顔がグニャグニャになってて、猟奇的で、わけが分かりません。
「本物の英雄はただ一人、俺の親父、エドワード・リンカーンだ……! それなのに、ジェイドは俺ではなくシャーリーを妖竜兵団の団長にしやがった……! 民政のトップは俺がなるべきなのに……! そして王政のトップは英雄である俺の親父がなるべきなのに……!!」
「何を馬鹿なことを……。王になるのは皇族出身の者だけという決まりがあるだろう」
震える足で立ち上がったアルゼイン。
おい、もうこんな奴の話とか聞かなくても良いんじゃね?
俺マジで、まったく、これっぽちも興味ないし。こういう話。
「……あいつが悪いんだ。ジェイドさえ帰ってこなければ、新法案を議会で通過させて、王政のトップを国政選挙で決めることができたのに……。英雄として名が知られている親父が、あれだけ議会にカネを渡して長年下地を作ってきたってのに、あいつが……」
勝手に色々と話し始めちゃった重剣の人。
どうしてエルフ族って自分語りが好きな奴が多いんだろう……。
誰も聞いてないんだけど、お前の話なんて。
「だから、俺は……ジェイドに頼まれた薬の量をわざと多くして……。なのにあいつは、それを俺のミスだと勝手に勘違いして、皇室や議会に根回しまでしやがって……! あいつを蹴落とすチャンスだったのに……! まさかラクシャディアやゲヒルロハネスに、あそこまで融通を利かすことができるなんて……!」
「まさか……それはエーテリアル女王の話か……!」
眠くなってきた俺は欠伸を噛み殺しました。
はーやーくー。こいつ、さっさとぶっ飛ばしてエアリー助けにいこうぜー。
もう飽きてきたー。
「くく……! ああ、そうさ……! 俺が殺してやったのさ……! あの無能な女王をな! 王に相応しいのは、俺の親父、エドワード・リンカーン、ただ一人だ! そうなれば、再びエルフ族の時代がやってくる! もう他国に頭を下げる必要など無いのだ! これ以上人間共の好きにさせてたまるか……! この世界は、エルフ族が支配すべきなのだ! ダークエルフと人間の混血である貴様には分からないだろう、アルゼイン!!」
そう言って高笑いを始めた重剣の人。
いやー、クズ中のクズですね、こいつ。
アルゼインさん、もうやっちゃって良いですか?
早くGOサインを下さい。
俺、ずっと待っているんですけど。
「……分かった。もう、お前には何の言葉も届かないことがな。一時でもお前を信頼していた自分が情けない……。…………カズハ」
「はいはーい! 待ってましたー!」
まるで『待て』から解放された犬のように、俺は地面を蹴りました。
俺の動きを予測していたのか、重剣の人はすぐに剣で防御の姿勢をとります。
俺は構わず全力で黒剣をそこにぶち当てました。
ガキィン、という音と共に俺の全身を紫色の煙が覆います。
そして次の瞬間、その煙の中から十数匹の毒蛇が具現化され、俺の全身に噛み付いてきました。
あー、そういえばこの重剣、ゲヒルロハネス製だとか言ってたっけ。
すっかり忘れてた。
「くく、馬鹿め……! この重剣には無魔法の『スネークバインド』が仕込まれているのだ……! 貴様は状態異常にめっぽう弱いのだったよなぁ? すぐに全身に毒が回って、まともに立っていることはおろか――」
「あー、もういいよ。喋んな、お前」
「!?」
俺はもう一本の黒剣を抜き、さらにパワーで押していきます。
衝突する魔力で礼拝堂全体が大きく揺れ、周囲に地割れが発生しました。
うーん、もう少しかな。イケると思うんだけど……。
ピキン――。
「なっ……!? 俺の重剣にヒビが……!? まさか、そんな……!!」
重剣の人の顔が恐怖に引き攣り始めています。
俺は最後のひと押しで魔力を高め、ついに重剣を折ることに成功しました。
「親父から受け継いだ剣が……!! リンカーン家の家宝がっ……!!」
折れた重剣の破片を必死で拾い集めるリンカーンさん。
俺は奴の首根っこを掴み、強制的に立たせます。
「ひっ……!」
「……こんなんで済むとか思っていないよな。お前がこれまでにしたことは何だ? 言ってみろ」
ギロリと睨みを利かせ、俺は空いている手で奴の首を軽く絞めました。
もう完全に戦意を喪失しているリンカーンは、涙と鼻水まみれの顔で意味不明の言葉を連発するばかりです。
『俺が悪いんじゃない』とか『親父が黙っていない』とか、そんな感じかな。
まあ、正真正銘のクズですね。こいつ。
「アルゼイン。こいつ殺してもいいよな。俺、人殺しするのは初めてなんだけど、どうせ俺魔王だし、世間的には悪人だし。それに殺しても誰も困らないだろ、こんな奴」
「カズハ……」
「お前のためだったら俺、人殺しになっても構わないよ。お前だけじゃない。エアリーのためでも喜んで殺すし、他の仲間のためでも殺す。殺さなきゃ駄目な奴っているだろ? こいつ多分、そういう奴なんじゃないかな」
綺麗事だけじゃ済まされない世界。
俺はもうそろそろ覚悟しなくちゃいけない。
戦争が始まるってそういうことなんだから。
――『殺す覚悟』と、『殺される覚悟』を。
でも、アルゼインはそっと俺の手に自身の手を重ね。
優しい顔を俺に向けて首を横に振ったんだ。
こいつ、普段こんな顔とか絶対にしないくせに。
眉間に皺を寄せて、俺を罵ってばかりだったくせに。
何か、ちょっとだけ、ちょーっとだけキュンとしちゃったんだよね。
あーあ、またエリーヌに怒られちまう……。
「はいはい、分かりました。殺す価値もないよね、こんな奴。じゃあ、せーの……」
俺はそのまま渾身の力を込めて窓ガラスに向かってリンカーンを投げ飛ばしました。
バリンと大きな音を立てて遥か遠くまで飛んでいった奴は、きっとお星さまにでもなっちゃったかな。
まあ、頑丈そうだから死ぬことはないだろ。たぶん。
「う……」
「おっと。お前、相当体力失ってるだろ。ちょっと待ってろ。ザノバのおっさんに頼んで、安全なところで休ませてやるから」
俺はウインドウを開き、ザノバ宛に一筆書いて魔法便を送信しました。
もちろん、先払いで300万Gも送付してあげたけどね。
「ザノバ……? まさか、あの空軍第四兵団のザノバか? お前、奴と通じていたのか……?」
「うん。金さえ与えれば何でも言うこと聞くおっさんだよ、あいつ。『信条のザノバ』だっけ?」
俺がそう答えると力なく笑い溜息を吐いたアルゼイン。
そうしていると、すぐにザノバから返信が来て、礼拝堂近くに奴がいることを知りました。
……ていうか、他のエルフ兵達に混ざって、さっき俺がばら撒いた金を奪い合っているみたいです。
どんだけ金の亡者なんだ、あのおっさんは……。
「すまん、カズハ。私が言える立場ではないが……。エアリーのことを、頼む」
俺の肩に寄りかかったまま、アルゼインは真剣な表情でそう言った。
だから俺は満面の笑みでこう答えてあげたんだ。
「ああ! さっさと助けて、みんなの元に一緒に帰ろうぜ!」




