三周目の異世界で思い付いたのはとりあえず回想することでした。
「おーい、着いたぞー。今夜はここに泊まろうぜー」
「はあっ……はあっ……。よ、ようやく……一息つけるアル……」
「私も力を封じられているせいでヘトヘトです……」
魔族と人間族との領土の境――デモンズブリッジ。
名前のとおり俺達の目の前には巨大な橋が架かっている。
眼下に広がるのは底の見えない大きな崖だ。
今までに何回も見てきているけど、どう見ても奈落の底にしか見えませんね。
「ゴクリ……。ここから落ちたらひとたまりもないアルね……」
「精霊の丘でさえかなりの標高ですからね。そこからデビルロードを抜けて最果ての街、さらに山道を延々と登りこのデモンズブリッジですから。アゼルライムス帝国で最高峰と言われているアゼレスト山脈とまではいきませんが、かなりの高さには違いありません」
「ひえぇ……」
幼女の説明に震え上がってしまったタオ。
しかしそれよりも重要な問題が残っている。
それは――今夜の晩飯だ。
ここに到着するまでに目ぼしい食材を手に入れることができなかった。
どうしよう。何か食べないと元気が出ません。
「さあ、今日は一日中歩きっぱなしだったからお腹が空いたアルよね」
そう言ったタオは背中に背負ったリュックを地面に降ろした。
中から出てきたのは簡易型のテントと焚き木セット。
それに道道飯店のロゴが刻まれた大きな弁当箱が三つだ。
「マジか……! え? もしかしてこの時のために弁当を作ってきてくれたのか?」
「その大荷物の理由はこれだったわけですね……。さすがはタオです」
最果ての街を出発するときに言っていた『お返し』とは、この事だったのか……!
タオは手際よくテントを張り、焚き木を外にセットする。
うんうん。お前は良い奥さんになれるよ。
「カズハ。貴女も一緒に手伝ってください。タオも疲れているのですから」
焚き木の前を囲むように弁当を広げ、小皿を用意しているルル。
うんうん。お前も幼女にしては気が利くな。
将来立派なお嫁さんになるんだぞ。
「……全然、手伝う気がないアルね」
「……そうですね。でも仕方がありません。カズハですから」
二人は同時に深く溜息を吐きました。
いや、俺だってけっこう頑張りましたから!
ていうか襲い掛かってきたモンスターの99%くらいは俺が倒したから!
「まあ良いアル。腕によりをかけて栄養満点のお弁当を作ったアルから、皆で食べるアルよ」
弁当の中身に視線を移すと、そこには回鍋肉や小龍包、北京ダックなどがぎっしりと詰まっていた。
うわ……! これ全部、道道飯店の人気商品じゃん……!
「すごい豪勢ですね……。でもこんなに食べ切れるでしょうか」
「駄目アルよ、ルルちゃん。きちんと食べないと大きくなれないアル」
「……私は精霊ですから、これ以上大きくはなれませんが」
「う……。そ、そうだったアルね。忘れていたアル……」
二人が雑談を交わしている隙に俺は弁当に手を伸ばした。
……うん! 旨い!
やっぱこの味だな!
ルルが食べ切れない分は、俺が責任を持って食ってやろう!
◇
「あー、食った食ったー。もう無理。入らない」
弁当を完食し、俺は焚き木の前でごろんと横になった。
あー、超しあわせー。
もしかしてタオを仲間にしたら、毎日こんな旨い飯が食えるのかなぁ。
横に視線を移すと、同じくお腹がいっぱいになった様子のルルが寝息を立てていた。
満腹になって寝ちゃうとか、どう見ても幼女だろこいつ……。
「ルルちゃんも疲れたアルよ。私もこれを片付けたら早めに寝るアル」
弁当箱を水で綺麗に洗い、布で水気を拭きとっているタオ。
いやー、何から何まですいません。
「……それよりも、これからどうするつもりアルか?」
作業をしつつ、タオが話しかけてきた。
俺はごろんと転がり、顔をタオに向ける。
「どうするって……何が?」
「何が、じゃないアル。ルルちゃんの事アルよ」
タオは静かに寝息を立てているルルを見てそう言った。
全身の拘束具が邪魔なのか、無意識に手で触って嫌そうな顔をしているルル。
その様子を見たタオが俺に視線を向けて睨んでいます。
……うん。
「こうして見ていると、普通の女の子にしか見えないアルのにね」
再びルルに視線を戻したタオは優しく彼女の頭を撫でた。
それがくすぐったいらしく、そっぽを向いて再び寝息を立てたルル。
「うーん、まあどうするって言われても捕まえちゃったからなぁ。解放したらすぐにドラゴンになって俺を襲うだろうし……。ていうか最初に襲ってきたの、こいつだぜ?」
「それは……きっとカズハが悪いアル」
「なんで! どうして予想だけで俺が悪者にされるんだよ!」
納得がいかん!
だって『勇者をやりたくない』って言っただけなんだよ!
別に俺の個人的な趣味で幼女に拘束具を着せて捕えているとかじゃないんだから!
「ルルちゃんは精霊様アル。精霊様は人間族を守る使命を持っているアルし、カズハに勇者としての力を感じたから、協力を求めただけだと思うアルけど……」
「その協力を拒んだら殺されかけたんですけど!」
俺は自分の考えを主張しただけだし、この世界で別の奴が勇者をやればいいだけの話だし。
何度も何度もループするのが嫌だから、のんびりまったりこの世界で暮らそうと考えただけだし。
俺は悪くないもん!
「……ていうかまあ、俺に非がないことは確実だとして。タオはどうしてルルが精霊をやっているんだと思う?」
ここは話を変えるしかない。
精霊捕縛が重罪だということは考えないようにして……。
「ルルちゃんが精霊をやる理由? そんなもの、精霊として生まれてきたからに決まっているアル」
即答したタオ。
しかし俺はすでに答えを用意していた。
「生まれてきた時点で自分の運命を決められているなんて、可哀想だと思わないか?」
「う……。そんなことを言われても、精霊様がいなければ勇者が誕生することなく、この世界は魔王に支配されて人間族はみんな殺されてしまうアル」
うん。まあそう返すしかないわな。
勇者が魔王を倒せば、世界は平和になる。
魔王が人間族を滅ぼせば、世界は終わる。
誰でも知っている、当然の内容だ。
「もしも、だ。もしもルルが本当は『精霊なんてやりたくない』って思っていたら、どうする?」
これは仮説だ。
俺はこの世界を二回もループしている。
そして三度目の人生で、もう勇者をやりたくなくなった。
じゃあ、ルルはどうか。
もしもループをしているのが俺だけじゃなかったら?
そして彼女にもその記憶が残っていたら?
もう一度、この人生において『精霊をやりたい』と思うかどうか――。
「……カズハの言っている意味がさっぱり分からないアル。ルルちゃんがそう言ったアルか?」
「ううん。むしろ精霊として、今でも俺を正しい道に進ませようとしてる」
俺がそう堂々と言うとタオは深く溜息を吐きました。
まあいいや。
せっかくだし、もう少しこの議論を深めていきましょうか。
そしてタオを悩ませてやろう。
「タオはさぁ、『こことは違う別の世界がある』って考えたことはある?」
別に俺の転生前の話を彼女にするつもりはない。
今までだって誰にも話したことがないのだから。
「それは……ルルちゃんが、その異世界からきた存在だっていうことアルか?」
俺は特になにも返答しない。
悩め。悩むんだ。
俺はもう何度もこの件で頭を悩ませたんだ。
少しは同じ苦しみを味わうが良い……!
「うーん……。信じがたいことアルが、聞いたことならあるアル。伝承では『精霊は神の使いであり、異世界から召喚された存在』となっているアルからね」
「あー、伝承ってアレね。アムゼリアにある古代図書館の古文書の一説」
「カズハも知っているアルか。ていうかアムゼリアに行ったことがあるアルか?」
「うん。昔、ちょっとだけね」
アムゼリアとは、アゼルライムス帝国から遥か東にあるラクシャディア共和国の首都だ。
そこにある古代図書館は世界的にも有名で、過去の歴史が記された古文書なども保管されている。
「私は共和国の出身アルよ。アムゼリアから遥か北に位置する和漢に住んでいたアル」
「うわ……。やっぱそうか。あそこは通称『盗賊の街』だからなぁ。納得しました」
和漢出身の盗賊一家だったら、かなりの手練れだろう。
あの道道飯店の親父さんなんか、只者じゃないとは思っていたけど……。
「ん……」
幼女が目を擦りつつ起き上がってきました。
俺達がうるさいから目を覚ましちゃったか。
「ごめんアル。もう少し静かに話せば良かったアルね」
弁当箱を全て片付け終わったタオはルルの横に座った。
「いいえ。なんだかカズハが私の悪口を言っている気がして、目が覚めちゃいました」
「俺のせいか! お前は毎回俺を貶めないと気が済まないのか!」
「はい。カズハがこの拘束具を解くまで、私は言い続けます」
……幼女、宣言しやがりました。
そういうはっきりした所、嫌いじゃありません!
「そろそろ火を消して寝るアルよ。じゃ、そういうことでカズハ。しっかり警備を頼むアル」
「え……?」
「当然でしょう。凶悪なモンスターが蠢く場所で三人同時に寝るわけにはいきませんから」
そう言い残した二人は火を消してテントに戻っていきました。
……うん。
あれ、なんか寒いし……俺、薄着だし……。
ここ標高高いから結構気温が低いんですけど……。
「タオさん! お願いだから毛布一枚ちょうだい!」
――俺の声が空しくデモンズブリッジに響き渡りました。




