024 思い出したくないことって、いっぱいあります。
【注】シリアスいっぱいなので読み飛ばしても大丈夫です。
俺が初めて『魔術禁書』の存在を知ったのは、勇者候補として悪戦苦闘をしていた1周目のことだ。
何度も何度もクエストを失敗し、半ばこの異世界で生きていくことを諦めかけていた頃。
アゼルライムスで五本の指に入ると言われていた大魔道士リリィ・ゼアルロッドと出会った。
彼女との初めての会話は今でも覚えている。
『男なのに情けないのね』。
『そんなことだから皆に置いていかれるのよ』。
厳しい言葉を掛けられた俺は更にやる気を無くし、訓練を途中で放棄して大聖堂にある大広間でよく昼寝をしていた。
そんな俺を城の庭園から眺めていた一人の女性。
それがアゼルライムス王の一人娘、エリーヌ・アゼルライムスだった。
彼女は王とは違い、心優しき王女だった。
やさぐれていた俺にも優しく声を掛けてくれて、訓練で付いた傷も回復魔法で治してくれた。
彼女のために、もう一度真剣に頑張ろうと思った。
兄貴分であるグラハムに頭を下げ、再び特訓を受けさせてもらおうと心を入れ替えた。
それから俺は辛い戦闘も、血の滲むような訓練でもあまり弱音を吐かなくなった。
それを間近で見ていたグラハムは王に進言した。
『大魔道士リリィ・ゼアルロッドをカズト・アックスプラントの魔法教育官として任命してもらいたい』――。
グラハムはアゼルライムス帝国の帝国兵士長を務めたことのある男だ。
王からの信頼も厚く、彼を尊敬する兵士たちも少なくない。
そのグラハムからの進言を無下にもできない王は、期間を設けて俺専属の魔法教育官としてリリィを任命した。
彼女の魔法教育は的確だった。
それまでほとんど肉弾戦に頼っていた俺は、彼女のおかげで魔法の有用性を知った。
リリィから初めて教わったのは、火属性の《ファイアボール》だ。
初級中の初級火魔法だが、初めて使えたときは死ぬほど感動した。
俺は何度も何度も訓練用の的に火の玉を放ち続け。
SPが尽きたらその場に寝転がり、回復したらまた放ち続けた。
それを三日三晩、ぶっ通しで続けた。
もう何百回《ファイアボール》を唱え続けただろう。
そしてふと疑問に思った。
『火属性の最強魔法って、一体どんな魔法なんだろう』と。
訓練を終え、リリィに尋ねてみた。
そこで俺は『魔術禁書』についての講義を受けた。
この世界には十二の属性が存在する。
そして、それと同じ数だけの『魔術禁書』が存在する。
その実態はベールに包まれていて、詳細は一部の人間しか知らない。
魔術禁書を手にした者は、神になるとも悪魔になるとも言われ。
一度使用すれば世界が崩壊するとまで語り継がれている伝説の書物――。
そんな大層なシロモノを、この俺が手にすることなど一生無いと確信した。
だが、意外に早く俺は『最初の魔術禁書』を手にすることになる。
◇
順調に訓練を重ね、地道にクエストをクリアし続けて一年。
グラハムやリリィとはすっかり意気投合し、俺達三人はいつの間にか一緒に行動することが多くなっていた頃。
とあるクエストで運良く大金星を挙げた俺達はアゼルライムス王に報告に向かった。
王は俺達の上げた成果にご満悦だった。
そして勇者候補ながら帝国一の槍の使い手と、帝国で五本の指に入る大魔道士を携えている俺を見て頼もしく思ったのだろう。
さらには、ここ最近、魔王軍が不穏な動きを見せているという情報も寄せられていた。
この三つが重なり、王は俺を『勇者』として相応しい者と認め、世界にそれを発信した。
これには俺もグラハムもリリィも、目を丸くして驚いたものだ。
だがそれだけ事態が逼迫していたのだと、後から考えれば容易に想像できたのだ。
俺は急遽、勇者として正式に任じられるため、グラハムとリリィと共に精霊の丘へと向かった。
そこで精霊と出会い、契約を交わし、世界最強の剣と言われる勇者の剣――《聖者の罪裁剣》を授かる。
勇者の剣は勇者の素質を持つ者しか扱うことが出来ず、世界にたった一本しかない貴重な剣だ。
これが無ければ魔王の持つ『魔王の剣』に対抗できない。
しかし、魔王は俺達の行動を予測していた。
俺達が王都を離れ精霊の丘に向かっている最中に、街は任命式の準備で大忙しだった。
宴とあっては、兵士たちの気も緩む。
――そこに、魔王軍の襲撃が起きたのだ。
魔法便で知らせを受けた俺達は、すぐさま王都へと戻った。
幸い城の内部までは侵略されておらず、ギリギリのタイミングで魔王軍と対峙することができたことが奇跡だった。
しかし、奇跡はそうそう続かない。
精霊から授かったばかりの勇者の剣をもってしても、魔王軍の幹部には手も足も出なかった。
――勝てない。
何をどうしても、どう抗っても。
グラハムがいても、リリィがいても、城の精鋭兵がどれだけ集まっても。
この化物には、勝てない――。
一人、また一人と兵士が死んでいく。
そしてついに王の間まで魔族の侵攻を許した俺達の背後には。
それでも気丈を振る舞い、精一杯回復魔法を唱え続けているエリーヌの姿があった。
王はすでに城から脱出している。
なのにこの魔族の幹部はエリーヌに狙いを定めていた。
グラハムの一撃が空を切る。
リリィの魔力が底を突く。
もう俺しか、この勇者の剣でしか、皆を救うことが出来ない。
俺は全身の力を剣に込め、玉砕覚悟で魔王の幹部に突っ込んでいった。
死んでもいい、と思った。
もう十分に頑張ったから。
元の世界には帰れないだろうけれど。
この異世界に転生して、色々なことを学んで、仲間が出来て、力を認められて。
渾身の力を込めて剣を振り下ろした。
ザクリ、と手応えを感じた。
魔王の幹部に、初めてダメージを与えられた。
しかし、奇跡はそこで終了した。
肩にめり込んだ剣は、引き抜くことが出来ない。
俺は簡単に蹴り飛ばされ、グラハムに受け止められ静止する。
もう、誰も動けなかった。
勝利を勝ち誇った魔王の幹部は俺達の元に歩み寄る。
そこにエリーヌが立ち塞がった。
一瞬、俺は彼女が何をしているのか理解できなかった。
『もう十分です。私の回復魔法もこれが最後でしょう。だから――逃げて下さい』
わずかながらに残ったSPを使い切り、彼女は俺達三人に回復魔法を使った。
そしてニコリと笑った彼女は、魔王の幹部に振り向いた。
『悪しき魔王の手下よ。きっといつか勇者様がこの世界を平和に導いてくれます。……嗚呼、古の勇者オルガン様。カズト様を、皆を守ってくださ――』
エリーヌの言葉がふいに途切れた。
俺の全身に赤い血の雨が降り注ぐ。
俺は声にならない声を上げ、倒れたエリーヌを抱えた。
リリィが必死に回復魔法を唱えているが、SPはとうに底を突いている。
グラハムは敵の次の一撃を竜槍で必死に防いでくれている。
血が、止まらない。
ドクンドクンという彼女の心音が、徐々に弱まっていくのを感じた。
グラハムが吹き飛ばされ、魔王の幹部の刃が俺達を襲うかと思った瞬間――。
城から逃れていたアゼルライムス王が各地より援軍を率いて王都に到着したようだった。
魔王の幹部は部下に指示を出し、王の間より引き上げていった。
俺はそれをエリーヌにも伝えようと、彼女の身体を自身に引き寄せた。
『助かったぞ、エリーヌ!』
『もう大丈夫だ! すぐに救援が来るから!』
何度も何度も俺は彼女に声を掛けた。
しかしエリーヌは何も返答しない。
俺の横でリリィが泣きじゃくっている。
どうして泣く?
俺達は助かったんだ。
だから、早くエリーヌを――。
再びエリーヌに視線を戻すと、彼女の切り裂かれた肩から光が漏れているのが見えた。
その光が凝縮し、一筋の光が空中に何かを象りはじめた。
それは、一冊の書物だった。
その書物に向かい、彼女から流れ出した血が集まっていく。
『あれは……?』
神々しさとは違う、明らかに何者かに仕組まれた『呪い』――。
彼女の体内に隠されていたもの。
それが何かに気付いたのはリリィだった。
『陰の魔術禁書……。どうしてこんなものが、エリーヌ皇女の体内に……?』
ふわりと舞った禁書は俺の手に落ちる。
そしてその瞬間、俺の目から涙が溢れ出てきた。
エリーヌの『死』という事実が、その瞬間、津波のように押し寄せてきた。
禁書の重みが、温かみが、まるでエリーヌの体温のようで。
そこに彼女の命が宿っているような気がして、俺はそれを抱きしめて、泣いた。
エリーヌの葬儀は国を挙げて執り行われた。
本来であれば勇者の任命式という、めでたい日に起きた悲劇。
俺とグラハム、リリィはすぐに魔王城へと向かう決意をした。
エリーヌの敵を討つために。
彼女が望んでいた『平和な世界』を取り戻すために――。