三周目の異世界で思い付いたのはとりあえず正座することでした。
「ああっ! トイレ、トイレぇっ!!」
部屋のベッドで考えごとをしながらお茶を三杯も飲んだから、急におしっこに行きたくなりました。
ていうか女に転生してから、いまいち尿意の感覚が分からん。
膀胱、破裂しそうなんですけど……。
「う……。なんか、おなかも痛くなってきた……!」
これは本格的にヤバい。
調子に乗って道道炒飯をおかわりしたのがマズかったのだろうか……。
三周目のループが始まってから、そろそろ一ヶ月が経とうとしている。
そのうちの半分以上は闘技場に費やしたんだけど、女の身体に慣れるにはあとどれくらい時間が掛かるんだか。
「あの角を曲がった先にトイレがある……! もう少しだ……! 頑張って!」
自分で自分を励ましつつ、俺はダッシュで廊下の角を曲がろうとした。
その瞬間――。
ドンッ!
「きゃあっ!」
「おぶっ!?」
何やら柔らかくて弾力のある壁に弾かれ、俺は派手にすっ転んだ。
いててて……。何だよ一体!
前方不注意だろ!
こっちは緊急事態なんだよおおぉぉ!
「痛たたアル……。こんな曲がり角でぶつかってくるなんて、危ないアルねぇ……」
尻餅を付いて文句を言っているのは、あの道道飯店の看板娘のチャイナっ子だった。
ということは、今俺が弾かれたのはあの豊満な胸――。
……いやいや、どんだけ巨乳やねん。
「すまん、チャイナっ子! 今、俺は緊急事態なんだ……!」
すぐさま起き上がり彼女の脇を通ろうとする。
「チャイナっ子言うなアル! ……て、昼間の女剣士さんじゃないアルか。何をそんなに慌てているアルか? ……ん?」
何かに気付いた様子のチャイナ娘は俺の下腹部をじっと見つめている。
え、何……?
そんなところをガン見してると変態だと思われるよ……。
「あの、もう行ってもいいですか……! 膀胱、破裂しそうなんですけど……!」
内股でモジモジしながら答える俺。
空気読んで! ここで呼び止めないで!
「あ……ごめんアル。ついでに出ちゃってるアルから、ナプキンも変えたほうが良いアルよ」
「…………はい?」
今、なんと仰いましたか?
『ついでに出ちゃってる』……?
何がどのように、ついでに出ちゃってるんですか……?
「もしかして、替えを持っていないアルか? じゃあ、私のをあげるアル」
懐から何やらカサカサした物を取り出したチャイナ娘。
それをそっと俺に握らせ、彼女はニコリと微笑んだ。
……うん。
これは、もしかして――。
「? 急いでいるんじゃないアルか? ……あー、なるほど。手伝って欲しいアルね。もう……仕方ないアルねぇ」
「あ……ちょっと……」
俺の手をとったチャイナ娘は、そのままトイレに向かった。
ショックのあまり喉がカラカラになっている俺。
どうしよう……。
ていうか、今までどうして気付かなった……?
女の身体に転生して、そろそろ一ヶ月が経つっていうのに……!
個室の扉を開き、そのまま中に俺を連れ込むチャイナ娘。
そして手際良く俺のズボンのベルトを緩め……っておい!
「あー、やっぱり漏れちゃってるアルね。これはちょっとやそっとじゃ落ちないアルよぅ」
「何でそんなに手際よくベルトを外せるんだよおぉぉ! もういいから出てって!」
こんな狭い個室に女と二人でいたら出るものも出ないんだよおぉぉ!
処理はあとで自分でするから、今はおしっこを先にさせて!
「あ、ごめんアル。私のことは気にしないでいいアルよ。ほら、ちゃっちゃと済ますアル」
「気にするから出てけっつってんだろうが! この馬鹿あああぁぁ!!」
「ひゃん!?」
チャイナ娘の襟首を掴み、乱暴に個室の外に投げ飛ばしました。
そして急いで鍵を閉め、深く息を吐きます。
落ち着け。まずは現状の確認だ。
……。
…………。
………………うん。
やはり、そういうことか――。
呆然と立ち尽くす俺。
覚悟はしていたが、実際に見てしまうと大切な何かを失ったショックで声も出なくなる。
「大丈夫アルかー? 替えのパンツとズボンを持ってきてあげるから、そこで待っているアルよー?」
「…………」
チャイナ娘の声がすごく遠くから聞こえる気がする……。
そして彼女の足音が遠退いたのを確認した俺は、大きく息を吸った。
「…………だあああああぁぁぁ!! 俺、『生理』になっちまったよおおおおおぉぉぉ!!!」
俺の無情な叫びがトイレに木霊した――。
◇
「……しゅん」
部屋に戻った俺は正座の姿勢で大きく肩を落とした。
あの後、チャイナ娘に貰ったナプキンの使い方が分からず、結局彼女に手伝ってもらったのでした。
「カサカサして落ち着かないです……」
「まったく……。ナプキンも付けずにあんなに漏らしちゃうなんて……。私まで一緒に店の人に怒られたアルよ」
「ホント……すんません。何から何まで……」
そのまま深く頭を下げる。
彼女がいなかったら、もっと大騒ぎになっていたかもしれない……。
「今までどうしていたアルか? まさか初めてなわけが無いアルし……」
「…………初めて、です」
「……」
俺がそう返答するとチャイナ娘は黙っちゃいました。
いやいやいや、本当のことだから!
そんな目で睨まれても、俺はこれっぽっちも悪くないから!
「まあでも代わりのパンツとズボンも借りられたし、明日までこれで我慢するアルね」
「……しゅん」
俺のズボンは洗濯に出されてしまい、俺は今ブカブカの替えのズボンを無理矢理ベルトで縛って穿いています。
なんか変な柄が刺繍された超ダサいズボンなんですけど……。
「あ、そういえば、チャイナっ子さん」
「チャイナっ子じゃないアルよ。タオアル」
「タオル?」
「タオ、アル!!」
今、思いっきり俺の顔にお前の唾が……。
俺は服の袖で顔を拭き、今度はちゃんと名前で呼ぶことにしました。
「……タオさんは、どうしてこの宿にいるんですか?」
彼女の家は道道飯店だ。
目と鼻の先に実家があるんだから宿に泊まる必要もないだろう。
「今、うちの家のお風呂が壊れているアルよぅ。この宿の向かいに温泉があるアルけど、そこのオーナーとこの宿のオーナーが一緒アル」
「あー、つまりここに泊まりに来たわけじゃなくて、温泉の代金を払いにきたわけか」
確か店の受付のメニューにも『温泉一回100G』って書いてあった気がする。
「まあ、そういうことアルね。……そういえば、あの小さな女の子はどうしたアルか?」
「ルルか? あいつも今、その温泉に入ってるよ」
「あんな小さい子が、一人でアルか……? 大丈夫アルか?」
「大丈夫って……何が?」
タオの質問を質問で返すと、彼女は深く溜息を吐きました。
「ここは人間族と魔族の領土の境の街――『最果ての街』アルよ? 魔王城から最も近いこの街では、どんな危険が待ち受けているか分からないアル。あんな小さな子が一人で温泉に入っている時に魔王軍から襲撃でもされたらどうするアルか?」
「う……」
確かにタオの言うとおりだ。
しかも今、俺の陰魔法によりルルの力は封印されている。
魔族は聖なる力を嫌がるから、力を失った精霊なんて格好の餌食になるだろう。
「よし。今すぐ温泉に行こう」
「そうアルね。ついでだし、一緒に行くアルか」
――というわけで、俺達は温泉に向かうことにしました。