014 仮面の人物
「ぶえっくしっ!」
無事《和漢》から逃げ出した俺達一行は、ラクシャディア共和国の南東に位置するミューヘンツ渓谷へと差し掛かった辺りで休憩中である。
この渓谷を抜け更に東へと進んだところにある港町サウザンタウンから船に乗り。
そこから北東に延々と向かえばゲヒルロハネス連邦国の領土へと到着する。
「へげっしゅしっ!」
「……唾と鼻水を同時に飛ばすでないわ、カズハ」
思いっきりセレンの長い黒髪に俺の汚い汁がぶっかかる。
昨夜からクシャミがずっと止まらない。
うん。
これは完全に風邪引いたっぽい。
「カズハも人の子ってことなのかねぇ……」
木陰で大きく寝そべりながらアルゼインが呟く。
傍らには空になった酒瓶がいくつか転がっている。
いつ買ったのその酒……。
「へぶしっ! あー……もう駄目。あたまクラクラする……」
アルゼインの言葉に突っ込もうと思ったがクシャミは止まらないしあたまクラクラするしで、そんな気力も湧かない。
いつ以来だろう。
ここまで思いっきり風邪を引くのは……。
「ほぼ全裸で丸1日草原を走ってたら、そりゃぁ風邪も引くアルよ」
「お前が無理矢理脱がしたんだろうが! へぐしょんぶっ!」
「ああ! 何するんですかカズハ! いま私の口の中に唾が飛んできたじゃないですか!」
タオに突っ込んだと同時にクシャミが出ちゃいました。
そして幼女の口の中に唾が飛んじゃいました。
「間接キッス///」
「嬉しそうになに言ってるんですか! 気持ち悪い!」
スコーンと幼女に頭を叩かれる。
精霊は今日も俺に厳しい……。
ていうか病人なんだから少しは優しくして下さい……。
「あー、マジ無理……。俺、ちょっと寝てるわー。モンスター襲って来たらお前ら宜しくー」
パタリと倒れ込み目を瞑る。
なんか喉も痛くなってきたし、熱もあるような気がする。
やっぱ布一枚身体に巻きつけて走り回るのには無理があったか。
「……なにしているアルか」
俺の頭上でタオが低い声で呻く。
「なにって……。膝枕?」
俺は正座で座っているタオの膝を枕代わりにして倒れ込んでいる。
だってタオの太股ってプニプニしてて枕代わりにはちょうど良いんだもん。
ていうかこの辺、岩がごつごつしてて寝にくいし。
「どうして私の許可をとることも無く勝手に膝枕しているアルか! とう!」
ズンッ!
「いでっ!! おま……! いま思いっきり眼球に指が……! 殺す気かアホ!」
あろう事か、病人の俺に向かって目潰し攻撃をかましやがったチャイナ娘。
そして悶絶する俺。
「酒が無いな……。セレン、あんたの分を少し分けてくれないかい?」
「またか……。昨日もそんなことを言って、我の酒をたらふく飲んだではないか」
「細かいことは良いじゃないか。数週間も酒の無い生活を強いられたんだからねぇ。拷問よりもそっちの方がよっぽどきつかったよ」
痛みで悶絶している俺を無視して酒の話で盛り上がるアルゼインとセレン。
お前ら……。
「そういえば、どういう経緯で貴女方が囚われていたのか聞いていませんでしたね」
ルルが二人に質問する。
確かに追っ手から逃げている間にそんな話を聞く時間なんて無かったし。
ていうか痛い。
腹を抱えて笑っているタオがものすごく憎い……。
「ああ、まあ話すと長くなるんだが――」
起き上がり、おもむろに話し出すアルゼイン。
俺達はしばし、その話に耳を傾けることになる。
話は彼女らが瑠燕を中心とした闇ブローカーらに囚われてしまう数週間前に遡る。
ラクシャディア共和国からの要請で『四宝』と呼ばれる重要文化財の搬送任務をこなしていたレイさんを中心とした《インフィニティコリドル》の面々。
しかし任務終了間際、今までに見たこともないモンスターの軍勢に取り囲まれてしまったのだという。
死闘を繰り広げ、どうにかして『四宝』を死守したまでは良かったのだが――。
「仮面の人物?」
「ああ。奇妙な仮面を被った奴に『四宝』を奪われちまったのさ。今思い出しても腹が立つけどねぇ……!」
悔しそうに拳を掌に打ちつけるアルゼイン。
「我々もモンスター共の急襲で随分と体力を削られていたからな。それが仮面の人物の放った刺客なのか、それとも偶然が重なったのかは定かでは無いが……」
セレンがアルゼインに続く。
もしもその仮面の人物とやらがモンスターを操っていたとしたら、一体どうなるのだろう。
見たこともない強力なモンスターを操ることの出来る奴なんて、今まで聞いたことも無いんだが……。
「え? ていうかその仮面の一人にみんなやられたアルか? 相手は一人だったアルか?」
「まあ、そういうことになるのかねぇ。そいつも馬鹿みたいに強いやつでねぇ。もしかしたらカズハと良い勝負かもしれないね」
「まさか……。そんな化物みたいな人物がこの世にいるとは思えません……」
「ルルさん。いま『化物』の部分をわざと強調したよね。俺を睨みながら」
人外である精霊に化物呼ばわりされたくないよ!
俺ちゃんとした人間だから!
人類だから!
「その後、束縛系の魔法を全員掛けられてしまってな。目覚めたら既にあの屋敷の地下牢に捕らえられていたのだよ」
悔しそうな表情でそう語るセレン。
そうして数週間の拷問の後、あの競売で競りに掛けられる羽目になったのだという。
救出したときの生々しい傷がそれを物語っていたが、彼女らにとったら屁でもなかった様子だ。
大陸屈指の魔導戦士であるアルゼインと元魔王であるセレン。
拷問など取るに足らないということなのだろう。
(やっぱ、あいつ等が全面的に関わってるとしか考えられないな……)
俺はもう一度、デボルグから送られてきた封書に目を通す。
偶然を装い、俺に近づき、あの闇ブローカーの競りに参加させたという事なのか。
もしそうだとしたら、そのシナリオを描いた人物が背後にいるはず――。
(はぁ……。結局また、あいつに関わんなきゃなんねぇのかな……)
脳裏にその人物を思い浮かべただけで、余計熱が高くなって行く気がする。
今度の指定場所がゲヒルロハネス連邦国だということも、それらを裏付ける根拠にもなってしまう。
魔法都市アークランド。
魔法遺伝子についての研究が盛んなかの国で、最も権威のある科学者達が住んでいる街――。
無属性の新魔法が開発された街――。
(なんで俺に喧嘩を売るような真似をするんだろうな……。せっかく仲間にしようとか考えてたのに……)
あの時、声を掛けておけばこんなことにはならなかったのだろうか。
それとも闘技大会での出会い以前から、計画されていたことなのか。
もしもそうだとしたら、俺は一杯食わされたことになる。
あの4人が元々グルで、俺の意識を闘技大会に集中させておいて、その隙にレイさん達を――。
(……いや、そんなことは流石に無いだろ。闘技大会が開催された時期と重要文化財発見の知らせが重なったのは偶然のはず……)
思考が止まらない。
こんな考えになってしまうのは頭がボーっとしているからだ、きっと。
どちらにせよ、相手が誰であろうと俺の仲間を傷つける奴は絶対に許さない。
俺はそう、静かに決意する。




