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memory  作者: バックパッカー
第二章
8/8

第八話

「お願いした私が言うのもなんなんだけど、まさかアンタが初対面の、しかも中学生の女の子と和やかに会話するなんて難易度の高いミッションを普通にクリア出来るなんて完全に予想外だわ。アンタ本当にあのヘタレの直哉?」

「…おいコラ、ちょっと待て」


 水野の妹―――唯真(ゆま)の見舞い兼、敵情視察ならぬ友人視察を終えた直哉が帰宅してみれば、そこには姉からの容赦ない言葉が待っていた。


「確かに圭吾や水野に比べれば口下手なのは否定しないが、俺だってそこまでコミュ障ってわけじゃないからな」

「そうだっけ?」

「そうだ。…まあ、唯真が予想以上に話しやすい子だったから助かったのは確かだけどな」

「へぇ。唯真(ゆま)、ねぇ」


 わざと唯真の名前を強調するように呟き、含みを持たせて理沙は口元を緩める。


「会ったその日に年下の女の子を呼び捨てにするなんて、アンタも随分とプレイボーイになったもんじゃない」

「そんなんじゃない。ただ、普通に友人になっただけだ」

「高校生にもなった男子が女子中学生と友だちになったなんて、随分と犯罪の匂いがするわよねぇ」

「…おい」

「なによ、このロ・リ・コ・ン」

「………」


 直哉が何を言っても今の理紗が相手では意味がないようだった。どうやら理沙はどうあっても弟を犯罪者にしたいらしい。直哉の口から呆れたようにため息がこぼれる。そして、そんな二人の様子に圭吾と水野が苦笑いを返す。現在、河村家の居間には昨日と同じ四人が揃っていた。


「まあまあ。今回、一番頑張ってくれたのは間違いなく直哉なんですから、今日のところはその辺で勘弁してあげてください、理沙さん」

「えー」


 ソファに座ってテレビを観ていた圭吾が立ち上がる。つけっ放しのテレビでは最近人気のバラエティ番組が続いており、司会者の男の一言でVTR映像へと移ったところだった。


「『えー』じゃない。別に褒めろとは言わないが、今回は圭吾の言うとおりだからな。毎度毎度、理沙はいらん邪推をし過ぎなんだよ」

「なによー。直哉の癖に生意気になっちゃって」

「俺はいつもと何も変わってない」

「姉の遊び道具の癖に歯向かうつもり……っ!?」

「…いつから俺は理沙の遊び道具になったんだよ」

「そんなの生まれてきた時からに決まってるじゃない。弟は須らく姉の玩具になる宿命なのよ」

「…悪いが俺は理沙の遊び道具になった覚えはないからな。それにそもそも友人の妹に手を出すつもりなんて毛頭ないぞ」


 冷蔵庫からお茶を取り出しながら直哉が言う。コップに淹れたお茶はよく冷えていた。口をつけると冷たいお茶が喉を通っていく。渇いた喉が適度な潤いで満たされる。

 姉の遊び道具云々の話は横に置くとして、初対面かつ友人の妹に手を出すほど直哉も怖いもの知らずではない。圭吾からよく「閉鎖的人間関係を好む」と言われる直哉にとって、友人という範疇は決して広くはない。そして直哉にとって水野や圭吾はその決して広くはない範疇に適合する数少ない友人たちだ。だからこそなかなか直接的な言葉にはしなくても、二人は直哉にとって大切にしている存在だった。そんな貴重な交友関係を白紙に戻されかねないような恐ろしい愚行なんて、今の直哉はしようとも思わない。

 しかしこうしてハッキリと断言してみたところで、一度スイッチの入ってしまった理沙にはまるで意味がないようだった。理沙の表情を見てみれば、一向に疑いの色は晴れていない。もはや口でなんと言っても無駄だろう。理沙は完全に悪だくみを考えている顔をしていた。

 理沙に口で対抗することを諦めた直哉は、話し相手を変えるべく水野へと視線を向けた。丁度、直哉と水野の視線が絡み合う。水野は椅子に座ってはいるものの、今にも飛びつかんばかりに直哉のことを凝視していた。


「…そんなに凝視されると流石に穴が開くんだが」

「―――え?あ、ゴ、ゴメンっ!?」

「いや、まあ、水野にとっては妹の話だから気になるのは分かるけどな」

「うっ……」


 水野が気まずそうに顔を背ける。唯真のあっけらかんとした態度ですっかり忘れていたが、水野はまだ唯真の現状を、そして、家族に対する想いを知らない。完全に直哉の配慮不足だった。


「スマン。ちょっと配慮に欠けてたな」

「う、ううん。私こそ、その、ゴメン」

「気にするな」

「あ、ありがと」

「ああ」


 水野へと答えながら、直哉はコップに残っていたお茶を一息に飲む。そしてコップを机へと置き、息を吐く。直哉は再度、水野へと視線を向けた。

 椅子の上で膝を抱えたまま座っている水野は、顔を赤くしながら小さくなってしまっていた。どうやら直哉のことを凝視していたのは無自覚なことだったらしい。


「か、かわ……っ、なにこのカワイイ生き物……っ!?」

「それはもういいから。理沙が話し出すと話が前に進まないだろ」

「えーっ!?だってこんなにも可愛いのよ!?ちょっとぐらい抱き締めたっていいじゃない!!」

「ひゃっ!?」

「…文句言う前にもう抱き締めてるだろ」

「あーあ。ここに綾音ちゃんがいれば天国だったのになぁ」

「別に理沙のために集まってるわけじゃないんだ、諦めろ」

「ぶーぶー」

「文句言っても知らん」


 茶化してくる理沙にあくまでも直哉は冷静に言葉を返す。どうせまたいつものように相変わらず面白くない男だとか考えているのだろうが、今はそんなどうでもいいことに構ってはいられない。他の誰でもない水野のために、真面目な話をしなくてはならない。そしてそのことは直哉だけではなく、この場にいる誰もが理解していることだった。

 ここ数日の水野を見ていると、妹の話題になるとトコトン弱くなってしまうことが分かった。恐らくまだ幼かった唯真を置いてきてしまったという負い目が原因だろう。実際、両親の離婚が直接の原因だから水野自身に罪はない。だが、そんな理論的な話(・・・・・)と、水野本人が抱いている感情の話(・・・・)を混同してはいけない。

 迷っている水野に対して、正しく、全うで、教師が口にするかのように理想的で、何処までも耳に心地よい教科書通りの言葉を告げるのは簡単だ。そうすることで水野の問題が解決するのならば直哉に限らず、既に圭吾だって口にしているだろう。だが、そんな正しさだけ(・・・・・)では、たとえ机上では通用したとしても現実では通用しない。人間は理想の世界だけでは生きられない。胸の奥底に渦巻く強烈な感情が、正しいだけ(・・・・・)の言葉を誰知らぬ場所で否定する。

 幼い子供のように頬を膨らませた理沙が人形よろしく水野を抱き締めたまま直哉を睨む。


「それで?アンタと志保がその唯真ちゃんと友人になったってことは、結局のところ、優花ちゃんは唯真ちゃんと会ってもいいってことでいいのよね?」

「――っ!?」


 唐突に本題を切り出した理沙の腕の中で水野が僅かに震えた。

 今まで一歩を踏み出すための切っ掛けがなかったというだけで、水野自身は彼女のことを、つまり自身の妹である唯真(ゆま)のことをずっと思い続けてきただろうことは、直哉ですらよく分かっている。だからこそ直哉は告げる。実際に自分の目で見て、耳で聞き、そして肌で感じてきた彼女の妹のことを正直に告げる。


「ああ、それは全く問題ないはずだ」

「ホントにぃー?」


 疑るような目で理沙が見上げてくる。直哉にとっての「姉」というよりも、みんなにとっての「姉貴分」の目をしていた。自分の弟だからというフィルターをすべて取り払った冷たい瞳だった。


「本当だ。唯真本人からも言質は取った。「連れてきたいのなら連れて来いよ。オレは全く気にしないぜ」だってよ」


 問い掛けてきた理沙ではなく、その腕の中ですっかり大人しく抱き締められたままになっている水野へ向かって直哉が答える。


「…ほ、ホント?」


 今にも泣きそうな目で見つめてくる水野の唇が震えながら言葉を紡ぐ。

 普段の彼女らしからぬ小動物のような様相に、直哉は出来るだけ優しく語りかける。無愛想だと自覚している直哉にしては珍しく、水野が胸に抱く不安を少しでも和らげるように笑みを浮かべて話を続ける。


「何度でも言うが、本当だ。俺が水野に嘘をつくわけないだろ」

「…うん」

「それに、俺の両親はわりと放任主義者だったが、残念ながら俺を育ててくれた人間は色んな意味で厳しい人間だからな。友人を裏切ってもいいなんてことは教わってない」


 直哉が視線を上げる。


「だよな、理沙」

「よく分かってるじゃない」


 直哉に応えて理沙が笑う。直哉は再び水野を見た。水野の目は既に溢れんばかりに潤んでいた。


「そういうことだから喜んでいいぞ、水野。唯真は今まで一度もお前のことを憎んだりなんてしてないってよ」


 むしろ実際に直哉が唯真と会った感触としては、唯真が発する言葉の節々から「お姉ちゃんに会えるのならいつでも会いたい」という印象を抱いた。どれだけ特殊な環境に身を置いているとしても、まだまだ唯真も中学生の女の子であることに違いはない。どれだけ背伸びをしてみても、根本的な部分はなかなか変わらないものだ。


「だから水野の予定が空いている日に合わせるから、近いうちに唯真に会いに行こう。一人で不安なら圭吾がいる。それに頼りないかもしれないが、一応、俺や理沙だって一緒に行ってもいい。志保だって頼めば嫌とは言わないはずだ。みんなで協力すればなんとかなるだろ」


 そしてまだまだ子供に過ぎないという意味においては、水野だって唯真と何も変わりはしない。なにか楽しいことがあれば笑うし、腹が立つことがあれば怒りもする。それに哀しいことがあれば泣きもする。年齢の分だけ唯真よりも精神的には成熟しているのかもしれないが、それでも水野がそういう感情豊かな何処にでもいるありふれた普通の少女に過ぎないことに変わりはない。

 だからこそ直哉は言い切る。友人として、かつての自分がそうされたように、困った時や弱った時にこそ背中を押す。


「頑張れよ、お姉ちゃん(・・・・・)。素直じゃない家族を本当の意味で支えてやれるのは、やっぱり同じ血で繋がってる家族しかいないからな」

「……うんっ!!」


 瞳にいっぱいの涙を浮かべながら水野が笑う。

 胸に添えられた手は溢れ出た感情によって震えている。

 両親が離婚して、妹と離れ離れになってしまってからずっと溜め込んでいた想いが涙となって零れ落ちる。

 何年も決して表には出さなかった感情が、想いが、今はもう止まらない。

 一度零れてしまった涙は、とめどなく彼女の頬を伝っていく。


「ありがとうっ!ありがとうっ、直哉くん……っ!!」

「ああ」


 理沙に抱きしめられた体勢のまま、弱弱しく震えた手が伸びてくる。そっと触れてきた水野の手は想像以上に冷たく、そして今まで感じたことがないほどに脆そうだった。


「本当にありがとう……っ!!」


 宝物でも扱うかのように直哉の手が抱き締められる。震える水野の手に力はない。少しでも抵抗すればすぐに振りほどけるだろう。

 頬を伝って流れ落ちてくる涙が抱き締められた直哉の手に当たる。包まれた手の冷たさに比べて流れ落ちてくる涙は暖かい。まるで誰よりも家族思いな水野自身を表しているかのようだった。

 思わず伸ばし掛けた手を、しかし、直哉は途中で止める。今、ここで水野を慰めてやるのは自分のすべきことじゃない。

 直哉は視線を圭吾へ送る。ずっと黙ってやり取りを見守っていた圭吾は、どこか諦めにも羨望にも似た複雑な表情を浮かべていた。どうしようかと視線で問いかける直哉に、圭吾は肩を竦めながら頷いた。


「今回は直哉に譲っちゃったけど、唯真ちゃんは俺にとっても妹みたいな存在だし、ゆっくりでいいから一緒に頑張ろうね、優花」

「うんっ……うんっ!!」


 圭吾は水野の隣へと歩み寄ると、膝を折り、俯いた水野に目線を合わせる。水野は子供のように泣きじゃくっていた。どれだけ拭っても彼女の涙が止まることはないようだった。優しく笑い掛けた圭吾は水野の頭へと手を添える。近くで見てるだけでも、圭吾の水野に対する思いやりが分かる手つきだった。圭吾はできるだけ優しく、安心させるようにゆっくりと水野の頭を撫でる。細く柔らかい髪の間を慣れた手つきで圭吾の指が通っていく。


「さっすが、色男。女の慰め方をよく分かってるじゃない」


 水野の頭の上で意地の悪い顔をした理沙が囁く。


「人聞きが悪いなぁ」

「なーに言ってんのよ。泣いてる女の慰め方も知らない男よりは何倍もいいわよ」


 にんまりと理沙は楽しそうに笑う。明らかに視線は話し相手である圭吾ではなく直哉の方を向いていた。こういう時に反応すると碌な目に合わない。直哉は黙って理沙の視線を無視することにした。理沙と直哉の言葉のない会話に気付いた圭吾はくすりと笑う。


「俺がこうやってあげられるのは昔から知ってる幼馴染の優花と唯真ちゃんの二人だけですよ。俺も男だから女の子は好きですけど、二人以外の女の子にこんなことできませんよ」

「フーン。思ってた以上に身持ちが固いわね。いいじゃない。そういう一途な男、私は好きよ」

「ありがとうございます。理沙さんにそう言ってもらえるなんて光栄です」

「あはは。こんな美女のお姉さまに「好き」なんて言われてるのにまったく心が動いていない辺り、わりと本気でムカつくけど」

「…勘弁してください」


 水野の頭を撫でながら圭吾は苦笑する。今回は明らかに冗談だと分かるが、理沙がキレた時の恐怖は圭吾も身に染みているだけに冗談でも背中に冷や汗が流れた。


「ま、今日のところは何も気付かなかったことにしてあげるわよ。大事な大事なお姫様(・・・)の前でぐらいカッコつけないといけないものね、男の子は」

「…ありがとうございます」

「いえいえ」


 よほど圭吾の態度が気に入ったのか、理沙は上機嫌に手を振る。


「一人の女にしか優しく出来ない男に碌な男はいないけど、一人の女だけを特別に優しく出来る男は立派な男よ。この私が許す。誇りなさい」


 水野を抱き締めていた手を離して理沙が立ち上がる。思わず水野が寂しそうに理沙を見上げる。口元を緩めた理沙はそんな後輩の可愛らしい姿にウインクして返した。妙に気障な仕草だが、理沙がやると確かに絵になっていた。


「…理沙さんには一生敵いそうにありませんね」

「当たり前でしょ。この私を誰だと思ってるのよ」

「はは。そうでした」


 再度、圭吾が頭を下げる。理沙は気にしないでと小さく手を振ると、直哉の隣へ並んだ。そしてチェシャ猫のように笑いながら直哉の脇腹を肘で軽く突いた。


「アンタに足りないのはこういう行動なのよ。大切な女の子が泣いてる時にああやって安心感を与えられることが出来る男ってのがいい男だから、以後、覚えておくように」

「…放っとけ」


 直哉はバツが悪そうに顔を背けて答えた。自分があまり他人に対して気の遣える部類の人間ではないことぐらい、既に長年からかわれ続けてきた直哉には自覚があった。今更理沙に言われるまでもない。


「それよりも、そういえば理沙に伝言があったんだ」


 今、思い出したと直哉が手を打つ。


「伝言?」

「ああ」 


 首を傾げる理沙へと直哉は頷く。


「誰からよ?ひょっとして、志保?」

「いや、警察の人。たぶん刑事だろうな」

「刑…事……?」


 身に覚えのある過去を思い出そうと理沙は頭を捻る。


「圭吾から聞いてもう知ってるかもしれないが、昨日、志保と一緒に病院に行った時、病室の前に刑事がいてな」

「ま、何の関係もない女の子が一人刺されてるんだし、そりゃ刑事の一人や二人はいるでしょうね」

「ちゃんとした、って言うとちょっと妙な感じだが、一応、れっきとした刑事事件だしな」

「ええ、そうね」


 当たり前だとでも言いたげに理沙が答える。ただ頭の中で思案は続いているらしく、どこか適当さを感じさせる返答だった。


「まあ、警官がいたこと自体は別にどうでもいいんだ。理沙の言うとおり被害者の病室だからな。俺もそれが普通だと思う」


 ただ、と直哉は言葉を区切る。そして、理沙が顔を上げたことを確認すると、肝心の話を切り出した。


「そこにいた刑事の一人がどうも理沙の知り合いっぽい感じでさ」

「私の知り合いで、刑事?」

「心当たりはないのか?それなりに年配の男の人だったんだが」

「年配の男性ねぇ」


 思案する理沙の指が唇に触れる。何か思い悩んでいる時によく理沙が見せる癖だった。


「ちなみに一応聞いとくけど、その刑事ってなんて名前だったのか訊いてる?」

「確か「増岡」って名前だったと思うけど」

「増岡、ね」

「やっぱり知ってる人だったのか?」

「そうね、ちょっとした知り合いって感じかしらね。昔ちょっとお世話になったことがあるのよ」


 過去を懐かしむように理沙は遠くを見つめる。その瞳は姉弟として十六年間家族として過ごしてきた直哉も見たことがない色をしていた。


「…刑事に知り合いって……なにしたんだよ」

「別に私は何もしてないわよ。ただちょっと高校時代に友だちがヤンチャな火遊びしちゃったってだけよ」

「ヤンチャな火遊び?」

「真面目でいい子なアンタたちには縁のない話。気にしなくていいのよ」

「そう言われると余計に気になるんだが……」

「藪を突いても出てくるのは蛇だけよ。良い事なんてなんにもない。女が敢えて言わないことは、つまり触れてほしくないことなの。黙って聞き流すのが男の甲斐性よ」

「…そういうもんか?」

「そういうものよ」


 理沙は直哉の背中を軽く叩くと、さっきまで圭吾が座っていたソファに向かっていく。つけっ放しだったテレビではバラエティ番組が終わり、ニュース番組に変わっていた。ニュース番組では先日の唯真が刺された事件が報じられていた。知らず、直哉たちの顔もテレビの方へ向けられる。キャスターや評論家がいつも通り好きなように意見を交わしていた。普段なら気にもしない彼らの言葉が、妙に癇に障った。

 机の上にあったリモコンを手に取った理沙は、何も言わずにテレビの電源を切った。居間からテレビの音が消えた。


「それじゃあ発表します!!」


 直哉たちへと振り返った理沙がいきなり声を張り上げた。三人はその声につられて理沙を見る。直哉の頭には嫌な予感がよぎっていた。


「明日、君たちの学校が終わったら妹ちゃんのいる病院に向かいます!!」


 満足げに言い切った理沙の言葉を理解するまでには僅かではない時間を要した。唐突に無茶なことを言い出して周囲を巻き込むのはいつもの理紗の常套手段だが、今回ばかりは直哉もすぐには頭が起動出来なかった。

 しかし固まってしまった三人の中で、理沙の言葉をまず理解したのはやはり直哉だった。


「ちょっと待て」

「待たない」


 即答だった。


「いや、そこは待てよ」

「待・た・な・い」


 再度、一蹴される。


「いやいやいや。今、明らかにおかしいことを言ったからな」

「何もおかしいことなんて言ってないわよ」

「十分おかしいだろ」


 直哉は頭を押さえたくなった。


「今までの話を聞いてて、なんでそういう発想になる」

「今までの話を聞いてたから、こういう発想になったのよ」

「余計にタチが悪いっつの」


 直哉は髪を掻き上げながら痛み始めた額を擦る。


「そうですよ、理沙さん。いくらなんでも昨日の今日なんて……。優花だってもう少し心の準備が必要だと思います」

「圭吾の言うとおりだ。唯真はいつでも構わないって言ったんだ。別にそんなに急いで行くこともないだろ」


 圭吾が水野を守るように前へ立ち、直哉は先程とは逆に肘で理沙の腕を突く。

 男二人に守られる水野の顔は、理沙からでは伺うことが出来ない。ただ、たかが|男子高校生≪青くさいガキ≫二人が間に入ったぐらいで理沙の勢いは止まらない。


「アンタたち、馬鹿じゃないの?」


 言い放つ理沙の瞳は冷たかった。


「『善は急げ』って言うでしょう。こういう時こそ間を空けちゃダメなのよ。いつでも出来ると思ってることこそ、その時やらなきゃ後悔するものなの」


 ソファの背もたれへと腰掛けた理沙が足を組む。見つめる視線は真剣だ。直哉や圭吾を通り越し、水野を矢のように射抜く。


「私はこれでも優花ちゃんのことを気に入ってるの。だから絶対に後悔の残る決断なんてしてほしくない。幸せな人生を送ってほしいと思ってる。そのためなら、たとえ優花ちゃんの耳に痛いことでも私は平然と言うわよ」


 理沙は手に持ったリモコンを軽く投げ、宙で遊ばせる。その姿は姉貴分として面倒をみている優花に語っているようであり、また同時に水野を守るように立つ直哉たちを試しているようでもあった。


「まあ、アンタたちの心配も分かるけど、今回は私の言うとおりにしておきなさい。優花ちゃんとの付き合いは圭吾くんの方が長いかもしれないけど、人間(・・)との付き合いは私の方が断然長い。アンタたちに甘やかされた優花ちゃんが、結局決断できなくて後悔する姿は目に見えてるのよ」


 厳しい言葉だった。少なくとも、直哉にはまず言えない言葉だった。下手な反論をしようものなら叩き潰すと僅かに吊り上った理沙の瞳が告げていた。直哉も、そして圭吾ですら何も言えずに立ちすくむ。こういう時の理沙の助言はよく当たるのだ。


「優花ちゃん」


 圭吾の背中に隠れて見えないはずの水野に向かって理沙が語りかける。圭吾の腕の横から水野が顔を出す。水野と理沙の視線が絡む。理沙は愛しそうに微笑む。


「優しい優しい王子様(お友だち)に守られてるのは心地いいけど、女は守られてるだけじゃダメなのよ」

「………」

「重大な決断を迫られた時には男も女も関係ない。しっかりと地面に踏ん張って、心を強く持たなきゃいけない。貴女にとってそれは今なのよ」


 水野は答えない。黙って理沙の言葉を聞いている。ただ、圭吾の腕を掴む水野の腕は震えていた。


「決断しなさい。優花ちゃんが妹ちゃんのお姉ちゃんを今でも名乗りたいのなら、貴女は今すぐにでも会いに行かなきゃダメ」


 そう言うと、理沙は水野から僅かに視線を外して直哉を見た。思わず直哉は身構える。理沙の瞳に宿る感情は読み取れない。理沙の口元が緩む。微笑んでいた。水野や圭吾に向けるものとは異なる笑みだった。

 しかしそれも一瞬のことだった。理沙はすぐに視線を水野へと戻す。直哉は首を傾げた。


「勘違いしちゃダメよ。たとえ百の言葉、万の想いを紡いだとしても、今、一番不安なのは他の誰でもなく妹ちゃんなんだから」


 姉なら妹を第一に考えろ。要するに理沙の言いたいことはそういうことだった。言い終えた理沙は満足気に腕を組み、静かに水野の瞳を見つめていた。言うべきことは言った。あとは答えを待つだけだ、とでも言っているかのようだった。

 しばらく黙って俯いていた水野がゆっくりと顔を上げる。さっきまでの表情とは明らかに違っていた。スッキリした顔。あるいは覚悟を決めた顔。そういう類の表情だった。まっすぐ理沙を見つめ返した水野は、胸に渦巻く万感の思いを吐き出すように静かに答えた。



「―――はい」


 理沙は滅多に見せないような満面の笑みで頷いた。


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