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第一章
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第三話

 およそ十五分は掛かる『セリシール』から学校までの道のりを十分足らずで走り抜けた直哉が下足場に着くと、そこには電話で約束したはずの丸山の姿はなかった。

 『セリシール』を出た後、街中を走りながら電話をした時には確かに下足場で待っていると約束したにも拘らず、実際には当の丸山はいない。

 偶然、誰か傘を持っている友人と出会って一緒に帰宅した可能性や、先生から何か用事を頼まれた可能性は捨てきれない。

 だが前者の場合なら、圭吾は兎も角として、丸山ならば必ずもう一度その旨を伝えようと連絡を入れる。自ら迎えに来るように頼んだ相手に連絡一つ寄越さないほど丸山綾音という少女は無責任にはできていない。

 そして後者の場合でもそれは同じ。この学校では授業中に使用しないという条件を守れば携帯電話の所持が認められているが、丸山なら少なくとも一言ぐらい詫びのメールはするだろう。


「―――――となると、教室に忘れ物でもしたのか?」


 普段はしっかりしているが、あれでいて丸山は意外と抜けているところもある。完璧主義を自認している丸山にとっては何としても改善したいウィークポイントの一つだとかつて彼女自身が言っていた。

 ここまで来たのならばもう下足場から教室なんて誤差の範囲だろう。そんなに距離的に離れているわけでもない。

 運動靴を自分の下足箱に入れた直哉は、小学生の頃からあまり変わり映えのしない上履きに履き替えた。


「―――――」


 放課後ということもあり、校内は妙に静かだった。

 普段なら生徒たちで溢れている廊下は閑散としており、一種の寂寥感さえ抱かせる。

 頭上から響く吹奏楽部が奏でる演奏の音や、校庭で活動しているサッカー部や陸上部の声、或いは職員室から漏れ聞こえる教師たちの会話を除けば、殆ど校内には音がなかった。


「―――――」


 静謐とした学校の廊下を直哉は一人で歩く。

 いつも鬱陶しいぐらいの生徒たちで溢れかえり、いっそ耳栓でもしようかと思うぐらい多くの声で満たされている廊下も、放課後となると静かなものだ。

 学校という場所は、放課後になると昼間とはまた大きく異なる景色を見せる。

 特にこの学校では、生徒の部活動所属率がすべての学年で九割を超えている。だからこそ放課後に教室に残って友人とだべっている生徒なんてほとんどいない。

 昼間のむせ返るような人の群れが嘘のようにガランとした空っぽの空間は、まるで中身を無くしたドールハウスそのものだ。

 そしてそんな空虚な校舎の中を一人で歩く直哉の目の前には、昼間、自分たちが勉学に勤しんでいる一年生の教室があった。

 廊下から教室の中を窺って見るが、果たしてそこも他の教室と同じように誰もいなかった。


「…当てが外れたか」


 教室の窓から離れた直哉が呟く。

 おそらく忘れ物でもしたのだろうという予測は誤っていたらしい。


「何処に行ったんだ、丸山の奴……」


 直哉は腕を組んで考え込む。

 暇な時なら時間を気にせずにのんびりと丸山を探すことも吝かではない。

 ただ、今日に限ってはあまり時間がない。なんといっても本当ならまだまだアルバイト中の身だ。無理を言って店から出させてもらった以上、あまり志保に迷惑が掛ける前にさっさと店へ帰らなければならない。

 最初にして最後、つまり唯一の当てが外れた直哉は、悩んだ末に一つの回答を導き出す。


「失礼します」


 再び校舎の一階に降りてきた直哉が立ち寄ったのは保健室だった。

 部活動の活発なこの学校では、放課後でも普通に保健室は施錠されていない。保健室の管理を一任されている養護教諭も、大体が部活動終了の時間まで保健室に滞在している。もし仮に、放課後や部活動中急に体調を崩したとしてもこの学校では保健室で対応することが可能だった。


「清水先生、いらっしゃいますか?」


 僅かに開いていた扉から顔をのぞかせた直哉が声を掛けるが、しかし、いつもなら直ぐに返ってくる声は室内から聞こえない。

 再度、室内へと問いかけながら直哉がゆっくりと保健室の扉を開いていく。

 机や椅子、ベッド、そして薬品の並べてある棚と少しずつ保健室の中の様子が見えていく。

 直哉の予想に反して、保健室の中には誰もいなかった。

 僅かな逡巡の後、直哉はだれもいない保健室へと足を踏み入れた。

 特に意味はない。ただ、なんとなく「施錠されていない保健室に誰もいない」という状況が気になっただけだった。


「失礼します」


 誰もいない空白の空間の中で、直哉はそれでも一応断りをいれて備え付けの椅子へと腰を下ろす。

 今日の直哉は運動部でもないのによく動いている。

 朝は理沙、学校では圭吾、そして夕方には丸山。

 今日一日だけでも悉く面倒事に巻き込まれている運の無さには本当にため息しか出ない。

 大きく腕を上げて背中を伸ばす直哉は、そのまま脱力したように机に突っ伏する。


「―――――ん?」


 不意に、視界の隅に白いカーテンが入った。

 保健室のベッドはぜんぶで四床ある。すべてが一度に埋まるようなことは今まで見たことがないが、いつ行っても必ず一床はカーテンで覆われている。

 そしてベッドが使用中の場合はこれも必ずカーテンで覆われている。

 つまりカーテンで覆われているという状況は、そのまま誰かが眠っているということに直結する。

 保健室の管理人である清水教諭がいない今、勝手に生徒が保健室で眠っているというのはよろしくない。

 直哉は椅子から立ち上がると、ベッドの方へと足を向ける。


「丸山か?」


 カーテン越しに呼び掛けてみるが、しかし相手からの返答はない。

 清潔な白いカーテンの向こう側では確かに誰かが眠っている影が見える。

 規則正しく上下する胸が、その人物が女性だということを示していた。

 それにしても、体調を崩して保健室のベッドで横になること自体は構わないが、眠ってしまう前にメールの一つでも寄越せないものなのか。電話が無理でもメールの一つでも送ってくれれば、学校の中を探し回らなくてもすむというのに。

 面倒くさそうに頭を掻きながら、直哉は少し遠慮がちにカーテンを開けた。

 カーテンの金具が頭上のレールを走り、覆われていたベッドが直哉の目に飛び込む。


「おはようさん。いい加減起きろ、丸……や………ま?」


 起床を促すために伸ばした手が女生徒の肩に触れる直前、直哉はその動きを停止させた。

 直哉もよく知る丸山綾音の髪の色は鮮やかな栗色だった。

 少なくとも、今、目の前のベッドに広がる絹を思わせるほどの美しい「黒」ではなかった。

 それに髪の長さも違う。

 ボブカットのように肩の辺りで切り揃えられていた丸山に対し、ベッドで眠っている人物の髪は明らかに腰のあたりまではありそうなほど長い。

 純白のベッドの上に広がった長く繊細そうな深黒の髪。

 ベッドで眠っている女生徒は間違いなく直哉の探している丸山綾音ではなかった。


「―――――誰だよ、おい」


 手を差し出したままの状態で、直哉は呆然とその場で停止した。

 思考が完全に真っ白になって何も考えることができなくなった。

 そんな錯覚すら覚えるほどに動転した心をなんとか押さえる。


「―――――ぅん」

「―――――っ!?」


 くぐもった吐息が腕を掠めた。

 背筋にゾクゾクとした「ナニカ」が流れ、一気に全身から汗が噴き出してくる。

 この体勢は非常に拙い。端から見れば、眠っている女生徒を襲っている男の図にしか見えない。教師にでも見つかれば、説教の上、最悪の場合は停学もあり得るかもしれない。

 あまりにもよろしくない構図に、直哉は姿勢を戻そうと体を起こす―――――その前に、眠っていた女生徒が身動ぎ、ゆっくりと閉じていた瞳を開けた。


「―――――河村、くん?」

「…おはよう、櫻井さん」


 ベッドで眠っていた女生徒、即ち、櫻井美月が自身の名を呟いた瞬間、直哉は自らの社会的な死を悟った。

 言い訳したい気持ちは多々あるが、状況的に言い訳できる状況ではないことは明らかだった。

 もし仮に直哉が第三者的な立場でこの状況を見たとしたら、まず間違いなく男を捕まえるだろう。そして教師を呼びに行き、とびっきりの説教をしてもらうはずだ。

 止めどなく冷や汗が背中を流れる中、直哉は覚悟を決めて櫻井の反応を待った。

 しかし当の櫻井はいまだにハッキリと覚醒していないのか、目を軽く擦りながらぼんやりとした瞳で直哉を見ていた。

 普段、凛とした態度を崩さない少女の見せる可愛らしい仕草に思わず心が動かされそうになるが、なんとか耐える。

 お互いに何も語らぬ間にも、果たして時間は流れていく。

 すぐ傍で固まっている直哉には、次第に覚醒していく櫻井の意識がよく分かった。


「…どうして河村くんが保健室(ここ)に?」

「っ!?」


 ベッドで横になっていた体を起こしながら櫻井が問う。

 まだ完璧には覚醒していないのか、少しぼんやりしているという印象は拭えない。

 ただ、現在の状況はそんなことよりも更に重大なことが起きていた。

 起床することはいい。普通の行動だ。おかしなところは何もない。十全な人間なら誰だって起床と同時に一度は体を起こすものだ。

 しかし、しかしだ。

 一般的に言って、人間は溜まった疲労を解消するために就寝時には主に楽な服装を好むものだ。しっかりと熟睡しなければ次の日に疲労を持ち越し、そしてまた次の日に持ち越すという負の連鎖を生んでしまう。そうやって疲労とは本人も気づかぬ内に体の中で積み重なっていく。

 この時の櫻井も同じだった。

 櫻井の起床と共に彼女の体を覆っていた掛布団が女性特有の柔和なラインの上から滑り落ちていく。

 細く華奢な肩から豊かな胸元、そして括れた腰へ。

 徐々に露わになっていく櫻井の姿は制服を着ているにも拘らず非常に扇情的で、高校生男子の目には猛毒のように感じられる。

 そして掛布団がベッドの上へと落ちると、改めて鮮明となった櫻井の服装に直哉は思わず彼女から目を背けた。


「…河村くん?」

「………」


 可愛らしく首を傾げた櫻井は、まだ現状が理解できていないらしい。

 彼女の名誉のためにもここで真実を打ち明けた方がいいのは直哉もすぐに理解できた。そして同時に、その代償まで瞬時に理解できてしまう自分の理解力を直哉は呪った。

 悩んだ末、直哉は現状を櫻井に教えることに決めた。


「…その、なんだ。大変言いづらいんだが……」

「なに?」


 問い直された直哉は、櫻井に背中を見せながら頬を掻いた。


「上。もう少し着直した方がいいんじゃないか」

「…上?」


 櫻井の視線が胸元に注がれる。

 さっきまでは掛布団に覆われていたから分からなかったが、今の櫻井の服装は非常に危ういものがあった。

 楽な姿勢で眠りたかったのか、櫻井は胸元のリボンを外し、更にシャツも第二ボタンまで外していた。

 ベッドで横になっているままなら何も見えなかったのだが、櫻井が体を起こした結果、肌蹴た制服の胸元からは白色のブラジャーが覗いていた。


「…見たい?」

「―――――っ!?」


 ベッドから降りて靴を履く音の後、直哉の背中へ柔らかい感触が伝わる。

 戸惑う直哉を余所に、まるで逃がさないと宣言しているかのようにお腹の当たりに細い腕が回される。


「櫻井。流石にこれはやり過ぎだ。女が男にこういうことをすれば、男は冗談だと分かっていてもそういう(・・・・)期待をする」


 少し強い口調で直哉が告げる。

 しかし―――――……


「「直哉」になら、私は構わないわよ」


 櫻井の返答に、体が固まった。


「私は直哉を愛しているんだから、直哉になら犯されてもいいわ」


 背中に当たっていた二つの柔らかい感触が更に強く押し付けられる。


「その代わり、直哉も私を愛しなさい。蕩けるようなキスをして、力強く胸を愛撫して、でも、本当に愛しそうに、優しく私を抱いて」


 吐息が(うなじ)にかかってこそばかゆい。

 神経のすべてが背中と首に持って行かれる。


「―――――ん」

「―――――っ!?」


 優しく触れた「ナニカ」が首の辺りを妖しく(ついば)む。

 反射的に直哉がその箇所を手で抑えると、同時に腹へ回されていた櫻井の手が解ける。

 そのまま櫻井の真正面へと向き直った直哉は、目の前にいる彼女の色気に目が眩みそうになった。

 そっと唇に指を触れた櫻井は、本当に愛しそうにゆっくりと自分の唇をなぞり、満面の笑みを浮かべた。


「み、つき?」


 意識して彼女の名前を呼んだわけじゃない。

 ただ、呆然と彼女の顔を見つめることしかできなかった。


「………」

「………」


 真正面から見つめあった二人の間に沈黙が流れる。

 一秒とも十秒とも、または一分とも一時間とも取れる時間。なにも語らず、ただジッと二人は見つめあう。

 そして、そんな静寂を切り裂いたのは櫻井の方だった。


「…残念だけど、今日はここまでね」


 風に揺られた美しい黒髪に手櫛を入れながら美月が告げた。


「私としてはこのまま最後までいってもいいんだけど、直哉は急いでいるんでしょう?」

「………」


 ベッドの掛布団を折りたたみながら櫻井は言葉を続ける。


「でもこれだけは忘れないでね、直哉。私は貴方のもの。直哉が望めば、私のすべてはいつだって貴方にあげる」


 背を向けた櫻井の表情を窺うことは出来ない。

 ただ、普段の彼女らしからぬ色気を含んだ声は艶めかしく耳に残る。


「嬉しい?嬉しくない?私はとて嬉しいわ。ここが学校でなければ、このまま愛してほしいぐらい」


 ボタンを留め、リボンをつけた櫻井はもう既に普段の教室にいる彼女となんら遜色はない。外見だけならばいつもの彼女だ。

 しかしそれでも彼女の言葉だけは止むことを知らない。


「好き、好きよ、直哉。愛してる。本当に愛しているの。いまはまだ無理かもしれないけど、いつか貴方に私を愛していると言わせてみせるわ」


 ベッドに脇に残った眼鏡を手に、櫻井は直哉の横をすれ違い、保健室の扉に手をかける。


「そういえば彼女、確か丸山綾音さんと言ったかしら?」

「―――――丸山がどうした?」

「彼女、三年生の男子に中庭へ呼び出されていたわよ。たぶん、あの様子から察するに告白ね」


 振り返りもせずに櫻井が告げる。


「…そうか」


 直哉の返答には力がこもっていなかった。

 さっきの出来事があまりにも衝撃的過ぎて、正直な話、もう訳が分からなくなっていた。

 櫻井が一体なにを考えてこんな行動に出たのか、まったく意味が分からない。

 少なくとも、この学校へ入学してから知り合った河村直哉と櫻井美月はこんなことをするほど深い関係ではない。男女の仲になったこともなければ、友人としての付き合いもない。あくまでもお互いにクラスメイトの一人であったはずだった。

 様々な思考の波が押し寄せては引いていく。まるで濁流に呑み込まれたかのように直哉の頭の中は混乱していた。


「ねえ、直哉」


 扉に手をかけた櫻井が、視線だけを直哉に向ける。


「…なんだ」


 直哉の口調は非常に硬い。


「これからは私のことも、吉田くんみたいに『美月』と名前で呼んでくれると嬉しいわ」


 最後にそう囁くように告げると、櫻井―――――改め美月は保健室から出て行った。

 女子高生とは思えない色気を醸し出していた学校随一の才女は、やはり最後まで色気たっぷりのウインクを投げていった。左の目元に小さく存在する黒子(ほくろ)が彼女の艶やかさを一層際立たせていた。

 残された直哉は、さっきまで美月の眠っていたベッドに力なく腰を落とす。


「…なんなんだ、まったく」


 直哉の呟きに対する返答は当然ながら存在しない。

 右手で押さえた首が、まだ熱い。

 まるで別人のように雰囲気と態度が変わってしまった美月は、もはや直哉の知る彼女ではなかった。

 いつもの櫻井美月の印象といえば、恐らく誰に聞いても「落ち着いていて頼りになる美少女」という言葉が出てくるだろう。学校の成績では五本の指に入るほど優良な上に、クラスでは学級委員を務め、更に一年生の学年代表として生徒会にも所属している。そんな誰からも信用され、信頼され、信認されている櫻井は、まさにすべての生徒が模範とすべき規範的な高校生だった。

 少なくとも直哉は、さっき垣間見たばかりの蟲惑的な、或いは情欲的な印象を彼女に対して抱いたことはなかった。

 これならまだ櫻井美月の姿をした別人と話をしていると言われた方がむしろしっくりとするし、胸に落ち着く。


―――――ただ、と直哉は混乱した頭を乱暴に掻く。


 仮に彼女の本性が先程の姿だとすれば、なんと怖い女なのだろうか。

 今までそんな素振りなんて見せなかったのに、唐突にその本性を(あらわ)にする。

 正直、背中から抱きしめられた時の直哉は、あのまま押し倒されてセックスまでいくんじゃないかと内心ではかなり焦っていた。

 櫻井みたいな美人となら健康的な男子高校生なら誰もが喜んで応じるところだろうが、あんな意味の分からない状態でなし崩し的にセックスまでいくというのは些か以上に情けない。

 純情な少年にはそれ相応のロマンというものを胸の中に抱いているのだ。

 あまりにも唐突な展開に、昔、姉に押し倒された(・・・・・・)時のことを思い出してしまった。


―――――嫌な思い出だ。


「つーか、女って恐ろしい……」


 圭吾の漫画ではないが、あのまま美月に食べられて(・・・・・)しまうかと思った。

 女が本気になったら男なんて手も足も出ない。どう足掻いたって勝てっこない。根本的に男は女に比べれば弱い生き物なのだ。

 特にさっきの櫻井からは姉の理沙と同じ匂いがした。非常に危険な匂い。出来れば敬遠した方が何事もなく平穏無事に暮らせることが間違いなく確定している匂いだ。

 直哉は女には二つの種類が存在していると考えている。

 一つは直哉にとって最も身近な女性である姉の理沙。自由奔放で天真爛漫ないつも自分を振り回す諸悪の根源。いかに抵抗しようとも必ず自分を追い詰め首を縦に振らせる無茶苦茶な()

 対してもう一つはその理沙の友人にして直哉がアルバイトをしている店の店長でもある岬志保。理沙とは対極に位置し、優しく穏やかで常に周囲のことを考え、時には自分が引いてまで他人を優先することのできる女性(・・)

 普段の美月は丁度両者の中間に位置する立場にあるが、先ほどの美月はまず間違いなく前者に類する感じだった。

 あの姉が二人に増えると考えると寒気すら感じる。


「…取り敢えずは、だ」


 驚愕のあまり萎縮した筋肉が解れ、そろそろ体にも力が入るようになってきた。

 美月のことは気になるが、今はそれよりも優先しなければならないことがある。

 志保に無理を言って学校にやって来た目的を果たさなければならない。

 現在絶賛行方不明中である丸山の捜索は、保健室にいない時点で再度振り出しに戻っていた。

 そう。櫻井美月の言葉がなければ。


「…確か、中庭だったか」


 あの状態の美月を信用してもいいのかは、ハッキリいってあまり交流のない直哉には判断が付かない。普段、直哉が美月と話をする機会なんて殆どない。あったとしても、それは事務的な会話に過ぎない。

 友人の心の内すら分かり様がないのに、ただのクラスメイトに過ぎない異性の心の内なんて分かるはずがない。

 ただ、あのタイミングで美月が嘘を教える意味なんてない。引き止めたり、束縛するために嘘をつくならまだしも、あのタイミングでの丸山の話は完全に余計な会話だった。黙っていても構わないタイミングでの発言は、一応、信用するに値する。

 ベッドへ座っていた直哉は、全身にもう一度力を込めて勢いよく立ち上がる。

 場所が中庭となると、実のところ保健室からはかなり近いことになる。

 まだ丸山が中庭に留まっているのかどうかは分からないが、次に向かう場所は決まった。

直哉は二度、肩を回して再び体を解す。


「頼むから、いい加減中庭にいてくれよ」


現時点で既に直哉の予想を遥かに上回る時間が掛かってしまっていた。

 あれで器用になんでも如才無くこなすことが出来る圭吾がいるから大丈夫だとは思うが、アルバイト中なのに丸山を迎えに行くことを許してくれた志保への心苦しさは十分に感じている。

きっと店に帰るのが相当遅れたとしても志保が怒ることはないだろう。むしろ店に帰るのが遅れれば遅れるほど、志保は怒りを溜めるどころか心配してくれているだろう。

これが理沙なら直哉も遠慮なくのんびりとしていく。たとえどれだけ遅れたとしてもまったく直哉の良心は痛まない。

 だが、相手が志保となれば話は大きく変わってくる。

 志保の優しさの上で何も知らないような顔をして胡座はかきたくない。

意を決した直哉は保健室の扉に触れ、一息に開けた。

恐らく櫻井が中庭で丸山を見たのは保健室で直哉と出会う前の話だろう。更にいえば、きっと櫻井が保健室で眠るよりも前の話に違いない。

 つまり、あまり保健室でのんびりしているとまた丸山の行方を見失ってしまうということだ。

もう一度、直哉は保健室の中で唯一乱れている(・・・・・)ベッドを振り返る。

 夢のような現実。信じられない出来事。いまだに遠いことのように感じられる邂逅だった。

 しかし、彼女の触れた首筋に残る熱がアレは現実だったと知らせてくる。

 考え出すと止まらない 

 直哉は先程の出来事を頭の中から振り払うように頭を左右へ振った。


「―――――さ、行くか」


 そうして保健室から一歩だけ廊下へ踏み出す。

 中庭までは、急げば保健室から一分も歩かなくても着くほどの距離しかない。

 さっさと丸山を見つけて店へ戻ろう。

 改めて決意した直哉が中庭へ向かおうと体の向きをした瞬間、廊下の先から声が聞こえた。


「あれ?直哉じゃない?」


 聞き慣れた声が直哉を呼ぶ。

 もはや振り返るまでもなく、その声の主が誰であるのか直哉には想像出来る。

 毎日のように傍で聞いているから、既に直哉にとっての日常の中へと組み込まれている聞き慣れた声だ。


「アンタ、こんなところで何やってんのよ?」


 強気な口調と意志の強い瞳。

 そこにいたのは間違いようもないくらに丸山綾音であった。


「お前こそ何やってんだよ、丸山。わざわざ呼びつけた本人が約束の場所にいないなんてどういうつもりだ?」

「うっ……。それは、その、なんというか、あの、…悪かったわよ」


 直哉に対する言葉はそのままブーメランとなって丸山自身へと返っていく。

 頭のいい丸山だからこそ、自分の犯した過ちは既に自覚していた。

 つい今しがた見せたばかりの強気な態度を瞬時に隠し、丸山はいかにも嫌なところを突かれたとばかりにバツが悪そうな顔でそっぽを向いた。

 髪の隙間から見える彼女の耳は赤い。


「…ま、別にいいけどな」


 一目で申し訳なさを感じさせる丸山の様子に、直哉は言葉を濁した。

 櫻井の話が真実であるとするならば、丸山が席を外していた理由を既に直哉は知っていることになる。本人からではなく第三者から聞かされたというのは、図式から考えてあまりよろしくない。

 そもそも人によってはあまり聞かれたくないような個人的な話を一方的に聞き出すほど、直哉自身も恥知らずではない。

 だからこそ、直哉は直ぐに理由を追求することは諦めた。

 しかし。


「よくないわよ。アンタの言うとおり、呼び出した私が連絡も入れずにいなくなったのが悪いんだし、ちゃんと謝るわよ」


 真っ赤な顔のまま丸山が直哉に向き合う。


「…どうしても話がしたいって必死に言われたから席を外してたの。その、…悪かったわね」


 謝るとすぐに丸山は顔を直哉から逸らして横を向く。

 丸山の反応から推測するに、恐らく櫻井の言っていた告白の件は真実らしい。クラスメイトの一部から女子にも拘らず「イケメン」と呼ばれている丸山が、こんなにも乙女な反応を見せるなんて珍しい。

 果たして相手の告白が成功したのか失敗したのかは丸山の反応からは分からないが、なにかしらそういう出来事があったことは間違いないようだ。


「はいはい。じゃあ次から気を付けてくれ。今回に関しては、まあ、理由もなく行方不明になられちゃ流石に怒るが、急遽用事が入ったんなら仕方ないだろ」

「…アンタって本当に甘いわよね」

「そうか?」

「でもありがと。今はアンタのその妙な優しさに甘んじておくわ」

「なんだかよく分からんが、まあ、そうしてくれ」


 非常に有耶無耶な感じだが、それでも取り敢えずの納得を見たことに違いはない。

 直哉と丸山は並んで下足へ向かって歩き始める。


「わざわざ悪かったわね。今日は志保さんのところでアルバイトしてたんでしょ?」

「まあな。でも気にすんな。当の志保本人から許可は貰ってる」

「アンタはいいかもしれないけど、私はそうもいかないでしょ。いくら許可を貰ってるからって、就労中のアルバイトを個人的な理由で借りてるんだから」

「お前が気にしてるほど、志保は気にしてないと思うけどな」

「そういう問題じゃないのよ。志保さんには普段からお世話になってるんだから、この上更に迷惑の重ね掛けなんてホント、ないわ」

「相手の気にしてないことまで頭を悩ませるなんて、お前も細かいことだな」

「うるさい。それにアンタを借りてるんだから、今、お店は志保さんだけなんでしょ?」

「いや、一応圭吾を置いてきたからそこに関しては大丈夫だろ」

「圭吾?アイツ、接客なんてできるの?」

「普段からしょっちゅう店にいるんだし、なんとかなるだろ」

「…あの馬鹿なら客をナンパしかねないわよ?」

「瑞穂ちゃんもいるし、妹の前でいきなり客を口説いたりは流石に圭吾でもしないって、…たぶんな」


 とりとめのに会話を交わしながら二人は校舎の中を進んでいく。

 静かな廊下に二人の会話している声だけが響いていた。


「そういえば、さ」

「んー?」


 不意に、丸山が声を上げた。


「ちょっと訊きたいことがあるんだけど」

「訊きたいこと?」

「ええ」


 改まって質問があるという丸山の態度に違和感を覚えた直哉は、首を傾げながらも丸山の方へ顔を向ける。

 真剣な表情で直哉を見つめる丸山と視線が絡んだ。


「アンタ、保健室なんかで何してたのよ?」


 唐突な丸山の問い掛けに、直哉は一瞬だけ足を止めた。


「―――――いきなりだな」

「そう?別にそんなにいきなりでもないと思うけど」


 直哉の言葉に今度は丸山の方が首を傾げた。


「もともと待ち合わせ場所で待ってなかった私が完全に悪いんだけど、私を捜してた間に怪我でもさせたなら悪いと思ったんだけど?」

「―――――ああ、そういうことね」


 直哉は自分でも気づかぬ内にホッと胸を撫で下ろしていた。

 別に丸山に対して隠さなければならないようなことは特にしていない。口にしづらいことは確かにあったが、あくまでもやましいことは一切していない。

 だから後ろめたい事なんてなにもないはずなのに、それでも何故か丸山の問い掛けに対して直哉は妙な緊張感を覚えた。


「そういうことって、どういうことよ」

「別になんでもねーよ。お前がいると思って保健室を覗いたけど、肝心のお前がいなかったから外に出た。そしたら偶然にもお前と鉢合わせたってだけだ」

「ふーん。それだけ、か」

「…おいおい、なに期待してんだよ」

「別にぃー。ただ、もし私を捜してて怪我なんてしてたら、志保さんに悪いかなって思っただけよ」

「…あっそ」


 なんとも言えない態度の丸山へため息をつくと、直哉は背中に嫌な汗が流れるのを感じた。

 嘘は言っていない。ただ、真実をすべて語っているわけでもなかった。

 保健室の出来事は、今はまだ丸山だろうと圭吾だろうと水野だろうと、直哉には誰にも話すつもりはなかった。

 男女の仲に関することは、いかに信用しているからと言ってもおいそれと他人に話をするようなことではない。あくまでも男女の仲に関する話は個人と個人、つまり当人同士の話に過ぎない。他人がとやかく入り込む話ではない。

 要するに、保健室の一件はなんだったのかと直哉が櫻井ともう一度話をすればいいだけの話だ。


「…そう、よね」

「丸山?」

「それならいいのよ、それなら。それにしても、アンタもわざわざこんなところまで探しに来なくても、下足場で待ってればよかったのよ」

「おいコラ。そこは嘘でも面倒だと思いながらもお前を探すために校内を歩き回った俺の優しさに感謝するところだろ」

「はいはい、ありがと」


 特に意味のない話を再開させた二人は、誰もいない廊下を進んでいく。

 下足場についた二人が空を見上げると、さっきまで機嫌よく降っていた雨がいつの間にか止み、既に空には青空が広がっていた。

 どうやら先程まで降っていた雨は完全に通り雨だったらしい。


「折角持って来た傘も使わなきゃ意味がないよな」

「そうね。わざわざアンタが来なくてもよかったかもね」

「…おい」

「冗談よ」


 先に一歩を踏み出したのは丸山だった。

 丸山は部活を終えて部室に戻っていく生徒たちを横目に眺めながら下足室から校門へと続く『希望の道』を歩いていく。

 遠ざかる背中を追って直哉も足を踏み出す。


「お前はどこかに入らないのか?」

「どこかって?」

「部活だよ」


 校庭で後片付けを開始したサッカー部や陸上部を眺めて直哉が言う。

 圭吾もそうだが、丸山の身体能力もかなり高い。部活動に所属している男子ほどではないにしろ、同年代の運動部系の部活動に所属している女子に比べても遜色はない。

 実際、入学後から一か月間の仮入部期間にいくつかの部活動へと顔を出した結果、丸山には様々な部活動から入部を懇願されるという過去がある。

 休み時間という限られた時間でありながら一年生の教室へと集まる上級生たちは、少しでも部活を強くするために必死だったのだろう。周囲が引いてしまうほど熱烈な勧誘を行う先輩もいた。

 結局、結果だけ言えば、丸山はすべての勧誘を断ってしまったらしい。


「…私、そんなに部活に興味ないから」

「意外だな」

「そう?」

「ああ。丸山は運動神経もいいから、俺はてっきりスポーツが好きなのかもと思っていたんだが―――――」

「スポーツは好きよ。ただ、部活動っていうものに興味がないだけ」

「…なるほどな」


 そもそも、直哉や圭吾と一緒にいた方が気が楽だなんて言っている人間が集団での行動を強制される部活動に向いているはずもない。

 特にスポーツもそれが「部活動」となれば多くの制限がつけられる。中学生の時よりはマシだろうが、それでも高校生という多感な時期には複数の生徒たちが集団を作り、共同で何かを行い、更に何かを成し遂げるという姿勢を教師によって強要されることもある。


「みんなでお手て繋いで仲良しこよし、なんて私には合わないのよね」

「確かにお前はどっちかっつーと、みんなの輪の中に入っていくよりは一人で読書とかパソコン弄ってる方が似合ってるかもな」

「でしょう?私もそう思うわ」


 坂道を下りながら二人の会話は続く。


「そういうアンタこそ、今更だけど部活には入らないの?中学時代にはサッカーで結構鳴らしてたって聞いたわよ」

「…誰がそんな適当なことを」

「アンタの姉よ。それと志保さん。この間、偶然町で会った時に志保さんの喫茶店に拉致されたのよ」

「…すまん」

「もう慣れたわよ。それに親切なアンタの姉はコーヒーにケーキまで付けて私に奢ってくれたもの」

「………すまん」


 直哉の姉である理沙は、何故か妙に丸山のことを非常に気に入っていた。

 学校の授業が終わった後、アルバイトのない日に直哉がまっすぐ帰宅すると、理沙によって帰宅中に拉致されてきたらしい丸山が家にいて居間でコーヒーを飲んでいたなんてことも既に何度かあった。

 直哉ですら丸山とは出会ってまだたったの数ヶ月しか経っていない。理沙にいたっては一か月ほどしか経っていないはずだった。たったそれだけの付き合いにも拘らず、理沙はもう丸山にメロメロ(・・・・)だった。

 一目惚れに時間は関係ないとは理沙の言だが、弟としては姉にその手の気(・・・・・)がないことを信じたい。


「実際、私だって理沙さんのことを嫌ってるわけじゃないのよ。ただ、ちょっと強引すぎるところが苦手っていうだけでね」

「理沙は自由人だからな。昨日もいきなり「そうだ、京都に行こう!」とか言い出していきなり出てったきりだし」

「…テレビの影響を受けすぎなんじゃないの?」

「俺もそう思う。ま、一応、アレで理沙はマメに連絡を寄越すタイプだから生きてるってのは確認できるからいいんだけどな」

「ふーん。理沙さんも弟には勝てないってわけね」

「…なんだそりゃ」

「アンタは気にしなくていいのよ」


 そう言って丸山は直哉の背中を軽く叩く。


「…叩かれる理由が分からないんだが?」

「それも気にしなくていいの」


 どこか嬉しそうに足を進める丸山の表情は明るい。

 帰宅部組は既におらず、更に部活動組が帰宅するにはまだ少々早いという絶妙に中途半端な時間だけあって、坂道を下る二人の周囲には誰もいなかった。

 二人の声以外には、葉擦れの音と鳥の鳴き声しかしない。

 静謐とした空間のただ中を、二人は並んで歩いていく。


「…アンタ、さ」

「ん?」

「―――ううん。やっぱりなんでもない」


 果たして、こうして丸山が言葉を濁すことは非常に珍しいことだった。

 なんでもハッキリと物事に関して意見を言うことが彼女の持ち味であるはずなのに、この時の彼女の瞳は少し曇って見えた。


「なんだよ。気になるところで止めるなって」

「…何でもないわ」

「丸山」

「………」


 妙な感じだった。

 ついさっきまでは確かに明るかったはずの丸山の顔は、今では雨が降る前の空模様のような表情を浮かべている。


「言ってみろ。他ならぬお前の話なら、たとえどんな話であろうと真剣に耳を傾ける用意が俺にはあるぞ」

「………」

「それとも、俺なんか(・・・・)には話せないか?」

「ちっ、ちがっ!?」


 我ながら卑怯な言い方をするものだ、と直哉は内心で自分を蔑んだ。

 こんな言い方をされれば、半ば強引に聞き出していることと同意ではないか。まったく男らしくない。狡いやり方だ。

 こういう言い方をすれば、友人想い―――決して本人は認めないだろうが―――の丸山が友人を裏切るかのような心持ちになることを予測した上で敢えて訊ねたのだから本当にどうしようもない。

 それでも、直哉はまるで魔法にでも掛かっているかのように丸山が途中で言いよどんだ内容のことが気になって仕方がなかった。


「じゃあ一体なんなんだ?」


 憮然とした表情のまま訊ねる直哉の前に、丸山は小さく唸った後、観念して口を開いた。


「…アンタ、さ」


 丸山が小さく呟く。


「ん?」


 直哉が聞き返す。


「―――」


 瞳を閉じた丸山は、大きく息を吸い込んだ。

 それはまるで何か大きな覚悟を決めたかのような行動だった。

 丸山は再び瞳を開けると、真っ直ぐに直哉を見つめながら告げた。


「アンタ、さっき保健室で何してたの?」

「―――――」


 一瞬、直哉は背筋が凍ったような錯覚を覚えた。

 物事の核心を突く一言を選択したのは、非常に率直で愚直なまでに真っ直ぐな丸山らしい選択だった。

 一度態度を決めたら決して後ろを振り向かずに前だけを向いて突っ走る。なんとも羨ましくも誇らしい。誰もが出来ない「当たり前のこと」を容易くやってのける彼女の迫力は凄いの一言に尽きる。

 丸山の迫力に思わず息を呑んだ直哉だが、すぐに驚きの表情を隠す。


「何の話だ?」


 頭の中で言葉の取捨選択が行われる前に直哉の口から飛び出したのは誤魔化しの言葉だった。

 無意識の内に、直哉はとんでもない藪を突いていたことを理解していた。

 しかし、覚悟を決めたらしい丸山は止まらない。視線すら逸らすことなく直哉を追い詰めていく。


「私、さっきアンタを探してる時にすれ違ったのよ」

「…誰と?」

「櫻井美月とよ」


 真剣な瞳が直哉を捕らえて放さなかった。

 曖昧にしてしまうことはもう出来そうもない。解決しないことで解決とする、なんていう玉虫色の結果はもう導き出すことは出来なくなった。

 櫻井美月の名前が出たところで、もう誤魔化しきれるものでもなくなった。

 彼女の名前を出したということで、丸山が既に直哉と櫻井の間でなにかがあった(・・・・・・・)ことを確信していることは簡単に予想がついた。


「アンタのことだから、私のことを探してたってことは事実だと思う。アンタは私に嘘はつかないものね。真実をすべて語るとは限らないけど。

 でも、保健室にいた時のアンタは絶対に一人じゃなかった。それは間違いない。具体的に言うと櫻井美月と一緒にいた。

 そしてそこでアンタ的にはあんまり話をしたくない何かがあった。そうよね?」

「…み―――櫻井さんがそう言ったのか?」


 問い返しながらも、直哉の頭には既に回答が用意されていた。


「いいえ。彼女はあくまでも私とすれ違っただけよ」


 そして丸山の回答も直哉の予想通りだった。


「なら、どうしてそこまで確信的な物言いになったんだ?」

「そうね、言ってしまえば根拠にもならないんだけど」

「根拠にならないんだけど?」

「―――――女の勘ってやつよ」


 覚悟を決めた女は恐ろしい。一切の容赦なく男の退路を断っていく。


「…なるほど、確かにそりゃ十分な根拠にならんよな」

「そうね。でも―――――信じるには十分な要素よ」


 後はアンタの答える番よ、とでも言いたげな顔で丸山は直哉に話の続きを促す。

 目を口ほどにものを言う。たとえ無言であっても―――――いや、むしろ無言だからこそ、丸山の目は直哉に対して雄弁に語りかけていた。

 追及から逃れられないことを既に悟っていた直哉は小さく両手を挙げると、正直に保健室での出来事を話し始めた。

 櫻井の名誉のため、そして自身の立場のために一部の場面を有耶無耶にしたままで。

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