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ドラゴンマスクより「私・鈴(りん)」  作者: 美憂


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後ろの声は神の声

サッカーでは「後ろの声は神の声」と言う。


 私は、少しだけ体が楽になっていることに気がついた。朝、階段を降りる時の足の重さが違う。以前は、練習の次の日になると、椅子から立ち上がるたびに「よ!」と声が出ていた。さすがに「よっこいしょ」とフルには言わなかったが、今はそれもない。悔しいが、ドラゴンマスクのおかげだ。

食事。

睡眠。

ストレッチ。

水分。

最初は「そんなので変わるのか」と思っていた。でも、少しずつ変わっていくのに気がついた。特に、練習後にちゃんと食べるようになってから、次の日の体が違う。体は精神論だけじゃダメなことを身を持って知った。


人間って、ちゃんと整備すると動くんだなと。

私、中古車だもんなー。放っておけば錆びる。


でも、楽になったからと言って、急にサッカーが上手くなるわけではない。

私は相変わらず足が遅い。

ロングキックも飛ばない。

競り合いで吹き飛ばされることだってある。

試合中、自分だけ一瞬遅れている感じがする。「今!」と思った時には、もう相手が動いている。サッカー経験の差は、やっぱり大きい。

悔しい。

でも、律が言うには、私は見えてるものがあるらしい。

どこにリスクがあるのか。

どこにスペースが空くのか。

私は、誰よりもサッカーを見てきた。チームメイトの中では、1番年上だからってのもあるけど、Jリーグを発足から知ってるのは、私だけだ。海外のサッカーもドイツもオランダもイタリアもフランスも韓国も家で見ることができるサッカーはなんでも見てきた。

以前、韓流ドラマが流行った時「韓国のスターは誰が好き?」と「この年齢の女性は当然韓流スターが好き」を前提に聞かれたことがある。「んー洪 明甫ホン・ミョンボかな」と答えたら「え?誰?新人?!」となった。韓流スターは誰も知らないが、サッカー選手ならわかる。

試合はよく見てたので、ピッチの中でも、ウイイレのようにボールの動きが読める時がある。

どうボールを動かせば、チャンスになるのか。

それは、ずっと“見る側”だった時間が長かったからかもしれない。

動けない。

でも、見えている。


だったら、伝えればいいんだ。


最初はできなかった。

こんな初心者が声を出していいのか分からなかったから。

でも、ある日の練習で、サイドを突破されそうになった時、思わず叫んでいた。

「縦切って!」

自分でも驚いた。

でも、その瞬間、味方が半歩早く動いた。

相手は中に切り返した。

そこにチームNO,1のスピードプレーヤー、キャプテンが入って奪った。

「ナイス!」

誰かが叫ぶ。

その“ナイス”が、自分にも向けられたものだと気づくのに少し時間がかかった。

その日の帰り道、私はずっとそのプレーを考えていた。

そして、不意に思い出した。

半身。

バックステップ。

相手をゴールから遠ざける。

高校生だったあいつが、公園で教えてくれたことだ。

『その構えだと簡単に股抜きできる』

そう言われて、悔しくて、何度も練習した。

あの時は股抜きされたくないだけだった。が、今は分かる。

それが攻撃の方向を限定すること。

ゴールから遠ざけること。

ラインを味方につけて追い込むこと。

でも、今、体が勝手に動く。

相手の利き足。

重心。

抜きたい方向。

全部は止められない。

でも、ゴールから遠ざけることはできる。

私は、走れない。

でも、遅らせることはできる。

時間を作ることはできる。

その時間で、味方が戻れる。

そういう守備なら、私にもできるかもしれない。

練習中、

声が出るようになった。

「外切る!」

「一回戻そ!」

「逆空いてる!」

最初は、自分の声に自分が驚いていた。

でも、次第に、周りも反応するようになった。

ある日、律が笑いながら言った。

「最近、うるさいな」

「悪口?」

「褒めてる」

そう言って、ボードに磁石を置いた。

「お前さ、走力とかキック力とか、今から急激には変わらない」

「ひどいなー」

「でも、試合を読む力はある。そして、伸びる」


 ーお前、DF、アンカーだなー

律はそう言って、ボードのピッチを指でなぞった。


「そこ、才能あると思うよ」

その言葉に、少しだけ息が止まった。

“才能”。

その言葉を、サッカーで自分に向けられる日が来るなんて思っていなかった。

もちろん、若い選手みたいな伸び方はしない。

でも、自分のサッカーなら作れるのかもしれない。

私は、初めてそう思った。

そして、その夜。

ドラゴンマスクから届いたメモには、一行だけ書いてあった。


『声は、走力を超える』


私は、しばらく、その文字を見ていた。

14 私


サッカーの神様は、誰にでもサッカーを楽しむ権利は与えているのだと思う。やるかやらないか。ただそれだけだ。


サッカーを1度だけ辞めたい、と思ったことがある。

 

 下手ながらもできることが増えてくると、欲を出して試合をしてみたくなる。サッカー教室のスーパービギナーの試合は、「スーパービギナー」と言う嘘つきたちと、本当のスーパービギナーが混在する。そして、サッカー教室は、男性も女性も老いも若きもいるので、いろんな意味での混合試合となる。そんなことで試合が成り立つのかということで、律が選んだゲームコントロールするための上級クラス生徒が1名投入されている。この1名のおかげで、嘘つきスーパービギナーも私たちと大して違わない程度の実力に括られる。対戦チームも律が選んだ同等チーム。私たち教室生が楽しく試合ができるよう考えている律はなかなかの経営者だ。


「空きがあるよ」そう、律に言われて武者修行のつもりで試合に臨んだ。


 最近、女子チームでボロボロになってるので『遊び』のサッカーでどれだけできるかやってみたかった。そりゃ、嘘つきスーパービギナーもいるから私には格上には間違いない。さっきから「嘘つき」って言ってるのは、「スーパービギナー」と偽って上級者がこのクラスにエントリーして、本物のスーパービギナーを翻弄して楽しむ(私が勝手にそう思ってる)人々のことだ。そんな人を相手に本物の初心者は勝てっこない。そこに律が要する上級者が入ってボールをコントロールする。自分では決してドリブルもシュートもしない。あくまでも周囲を使う役割だ。

 で、まず驚いたのは、ボールの速さだった。女子チームでの練習で追いつかなかったボールがトラップできる。トラップもコントロールできる。多分、パスの強さが違うのだ。チーム練習の段階でボールに慣れてきていることを実感した。

 システムは433。ポジションはLSH。女子チームではやらないポジションだ。明らかなおばさんプレーヤーに戸惑ってた若者たちも、練習の中に諦めてくれたのか、笑顔で「頑張りましょう!」と声をかけてくれた。私は、とにかく右利きも左利きも拘らず練習してきたので、ポジション的に右も左も苦手はない。そして、得意もない。ただ、カットインしてゴール前に運ぶイメージはあっても体が追いつかないので、早めのDFを仕掛けて周囲を使うイメージでプレイすることにした。

 ピンチは突然訪れた。マッチアップしていた20代男子が、ボールを持って私に向かってドリブルしてきた。中央突破でボランチにいる律が要する上級者を抜くのは困難と見たのだろう。でも、そんなにスピードはない。私は、練習通り右足を前に出した半身の構えで迎え、左サイドのラインを味方につけ小刻みにバックステップ。コースを制限して更にスピードを止める。突っ込まずに高い位置からDFをしたので、味方は下がらずLSBが縦を切った。ありがたい。私を抜こうと焦って出した相手ボールは、私の左足に当たり、中を占めていた味方のFWがそれをかっさらってシュート。見事にゴールした!嬉しくて、ずっと試合で見ていた「あのシーン」得点者にみんなで飛びついて、モミクシャにするあのシーンをやりたくて走って行って、直前に恥ずかしくなりハイタッチをした。ベンチで律が親指を立てていた。


「サッカーって楽しい!」そう思った瞬間だった。


 試合はその1点を守りきり、勝った。本当に本当に練習してよかったと思った時、

相手チームのベンチから、その会話は聞こえてきた。


「お前さーあんな位置でミスるってなんだよ」

「結局、あの1点で負けたじゃん」

「しゃーねーだろ!だって、おばさんが、すっごい顔で前に立つからさー笑」

「こわっ」

最後の言葉は間違いなく、私とマッチアップした20代男子だった。


え?

あのミスは、おばさんがすっごい顔して前に立ったからなのか。

私がちゃんとDFして、ボールを奪ったんだよね?ミスさせたんだよね?

一生懸命って「すっごい顔」じゃダメなの?

それがミスの理由なの?

てか、おばさんが一生懸命やってることって認めてもらえないの?

これじゃ

全ての理由が「おばさん」で終わる。

嬉しかったこの日が、最悪の日になった。こんなにボロボロになって、一生懸命練習して、毎日の生活を整えて、得点につながるワンプレイができて、試合は勝って、なのに、なのに「おばさん」が理由なんて。律に話せば「負け惜しみだよ」って言ってくれたかもしれない。でも、悔しくて話したくない。だって、事実「私はおばさん」なんだから。何をいい気になってたんだろう。


そんなんなら、サッカーやめよう。

そんなスポーツ、やったって「おばさん」で終わるんじゃん。


私は、その頃、辛い練習でボロボロになってた自分に「サッカーを辞める言い訳」を探していたのかもしれない。これで、終われる。あいつのせいだ。


私は、その日、珍しくボールを触らなかった。帰宅してもスパイクを出さなかった。足も痛い。気持ちも痛い。試合に勝ったのに、全然嬉しくなかった。


 「おばさん」。


 その言葉だけが頭に残っている。悔しい。


 でも、もっと嫌だったのは、自分でも「そうだよな」と思ってしまったことだ。サッカーを辞める理由にしてることだ。


 私は若くない。

 速くない。

 上手くない。


 その事実を、サッカーは容赦なく突きつけてくる。


(ドラゴンマスクだったら)


 弱った自分を見せられるのはドラゴンマスクだけだな。私は、動画サイトにあったDMに今回のことを正直に書いて「もう、サッカー辞めます。だから、大丈夫です。」と締めた。

次の朝、ポストに封筒が入っていた。最近はもう、あまり驚かない。


 私は、しばらくその封筒を見ていた。

 今日は開ける気になれない。

 でも、そこに答えがある気がして、乱暴に封を切る。


 中に入っていたのは、一冊の本だった。


『サッカーの神様がいる国』


 なんだこれ。


 もっとこう、「切り替えていきましょう!」とか、「ナイスディフェンスでした!」とか、そういうのじゃないのか。


 私は少しイラッとしたが、本には罪はない。付箋のある部分を開く。都合のいい文字ばかりが目に入ってきた。


『ブラジル。この国では、老人も、女も、子どもも、同じようにボールを蹴る。』

『誰もがサッカーを楽しみ、サッカー国の土台を作っている』

『上手いからサッカーをするのではない。

サッカーが好きだから、サッカーをするのだ。』


『だから、ブラジルはサッカーが強い』


 その下に、ドラゴンマスクの字で、小さく書いてあった。


『“おばさん”のサッカーをバカにする国は、絶対、強くはならない。』


 私は、しばらくその文字を見ていた。滲んできた。

 なんだよ、それ。


 泣くじゃん。


 悔しくて、情けなくて、でも少し救われて、私は顔を覆った。


 今日、私は、「プレー」を見てほしかった。


 年齢じゃなく。

 女だからじゃなく。

 おばさんだからじゃなく。


 ちゃんとDFしたことを。

 相手を止めたことを。

 ボールを奪ったことを。


 大声で泣いた。

 サッカー辞めたくないよぉ。


 声を出して泣きながら思った。

 もしブラジルだったら、

 今日の私は、「おばさん」じゃなくて「ただ、サッカーを楽しんでいる人」だったのかな。


私は、ピッチで、ただ「サッカーを楽しむ人」として存在したかったんだ。

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