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洗浄機能付きトイレが世界中で普及しない理由

作者: 歌池 聡
掲載日:2026/06/26


※武頼庵(藤谷K介)様主催『みずに纏わる物語企画』参加作品です。



『じゃあ、お疲れさま。乾杯!』


 夕方の居酒屋。まずは生ビールのジョッキを掲げて軽くぶつけあい、一気に喉に流し込む。


「──ぷっはーっ! もう、この一杯のために生きてると言っても過言じゃないッスね、センパイっ!」


 俺のツレのセリフに、近くの店員さんや周りのお客さんたちが、一斉にギョッとしたような顔を向けてくる。──まあ、もう見慣れた光景だけど。


 何しろ俺の向かいで生ビールを堪能しているのは、ウェーブのかかったロングのダーク金髪(ブロンド)碧眼(ブルーアイ)、どこからどう見ても『ザ・外国人』な美女なのだ。

 その洋画かドラマから脱け出してきたような美人の唇から、少しオッサンくさい日本語のセリフが飛び出したら、そりゃびっくりするよなー。






 東欧から来た留学生のペトラと出会ったのは、大学3年の春だった。


 ──その日俺は、大学事務局の掲示板前に立っている外国人女性に気づいた。

 眉間に皺をよせて何かの連絡を必死に読もうとしている彼女は、その整った容姿も相まってかなり目立ってはいたんだけど、誰もが遠巻きに見てるだけで、話しかけようとはしていない。

 英会話に自信がないのか、あるいは彼女が美人過ぎて気後れしてるのか──。

 そういうとこが、日本人のダメなとこなんだけどなー。


 俺も英会話に自信があるわけじゃないけど、困ってる人を放ってもおけなかったので、思い切って声をかけてみることにした。


「Hello. Do you need any help? Can I help you?」

「あ、すみません。手書きの文字が読みにくいので、読んでもらえると助かります」

「──えっ、日本語上手(うま)っ!?」

「これはかたじけない」


 ちょっとチグハグな受け答えに、俺は思わず吹き出してしまった。すると彼女は、真顔で詰め寄ってきたのだ。


「今の答え方、何かおかしかったですか?」

「あ、いや、別に間違ってはいないんだけども──」

「でも、この場にふさわしくない言い回しだったんですね?

 私はネイティブ・レベルの日本語をマスターしたいのです。よろしければ、私の日本語のおかしいところを教えてもらえませんか?」






 その彼女──ペトラは、かなり重度の日本アニメのオタクだった。

 アニメ好きが高じて日本語に興味を持ち、大好きなアニメを原語で理解したいという情熱から独学で日本語を猛勉強して、母国の大学の日本語学科に入学した。でも、カリキュラムがあまりに初歩的だったのに失望して、日本への留学を決めたそうだ。


 まあ、俺もアニメは好きだし、ペトラが熱愛する作品にも好きなものが多かったので、割とすぐに打ち解けることができた。

 時折会ってアニメ談議をしたり、文化や言葉の違いなどを語りながら、より自然な日本語になるようアドバイスするようになったのだ。


 そしてその関係は、俺が卒業して社会人になった今でも細々と続いている。






「そういやペトラ、来年卒業だろ? 就職とかどうすんの?」

「日本で仕事をしたい気持ちはあるんですけどねー。実際、いくつかお誘いももらってますし。

 親は帰って来いってうるさいですけど」


 何串目かの焼鳥に手を伸ばしながら、ペトラがつまらなさそうに答える。

 まあ、ペトラぐらい日本語ペラペラで、しかも少しマイナーな○○語との通訳も出来るとなれば、それなりに需要はあるだろうな。


「ふうん。迷ってるんだ?」

「そりゃそうですよ! 両親の気持ちもわかりますけど、今さら○○に戻って暮らすとか、想像できないですよ!」


 ペトラが身を乗り出して熱弁をふるい始める。


「○○に戻ったら、コンビニの『玉子サンド』も『おにぎり』もないんですよ! そんなの、辛すぎるじゃないですか!」


 ──いや、キミたち外国人って、何でそんなに日本のコンビニが好きなの?


 最近SNSでは、日本びいきの外国人旅行者が日本のコンビニ・フードへの熱い想いを語る動画が山のように溢れ、しかもよくバズってるらしい。

 でも、海外旅行で日本に来ている最中に、何でわざわざチープなコンビニ飯を食べようとするかなー。その感覚が、日本人にはちょっと理解できないぞ。


「うーん、気持ちはわからないでもないけどさ。帰国しない理由が食い物ってだけじゃ、ご両親も納得はしないだろ?」

「わかってないなー、センパイ! それよりもっとずーっと切実な問題があるんです。

 ○○国には〇ォシュレットがないんですよ!」


 お、おーい、ペトラ。そっちの話題になるなら、もうちょっと声のボリューム落としてくれないかな。


「ひとたびあの感覚を味わってしまったら、もう忘れることなんてできません!

 ウォ〇ュレットのない生活なんて──絶対に無理です!」


 あー、それはわかるかも。ペトラ繋がりで何人かの留学生と友だちになったけど、みんなそれは言うもんな。──あれっ?


「そういや、エディがアメリカに帰国する時にウォシュ〇ット買ってなかったっけ。持って帰って自分で取り付けるって──。

 ペトラもそうしてみたらいいんじゃないか?」


 俺がそう言うと、なぜかペトラは軽蔑し切ったようなジト目で、大きく溜息をついた。


「わかってないなー、センパイ。誰もが感動する日本のウォシュレッ〇が、何で世界中にほとんど広がってないのか、理由を知らないんですか?」


 え? そう言われてみれば確かに。──何でだ?


「それはね、『水』が違うからなんです」






 日本の水道水は、9割以上の地域でミネラル分の少ない『軟水』が供給されている。一方ヨーロッパなどでは、ほとんどがミネラルの豊富な『硬水』だ。

 そのため、ヨーロッパで洗浄機能付きトイレを使おうとしても、モーター回りやノズルの穴にミネラル分が付着して、やがて目詰まりなどの不具合を起こしてしまうそうなのだ。


濾過(ろか)装置をつけて小まめにフィルター交換するとか、定期的に部品を交換するとかすればいいんですけど、コストがかかり過ぎちゃうんですよ。やってくれる業者もほとんどないですし」


 なるほど、そういうことだったのか。


「まだアメリカだと、州によっては軟水のところもあるみたいなんですけどね。ウチの国ではまず無理です」

「へー、そんなことがネックになってるんだなぁ」


 そう答えながら、何げなくスマホで関連情報を検索していると、洗浄式トイレに関しての意外な情報が出てきた。


「あれ? なあ、ほら、この『水圧式』ってやつならいけるんじゃないか? フィルター交換式で硬水地域でも使えるみたいだし、電源もいらないらしいぞ?」

「あー、それは私も一度は検討したんですけどねぇ」


 せっかく俺が見つけた情報に、ペトラはまったく関心なさげだ。


「電源を使わないってことは、出てくる水は水道水──つまり常温のままなんですよ」

「は?」

「うちの国の真冬の水道水は、もうほとんど氷水みたいなものです。それがダイレクトにお尻に──って考えたら、どうです?」


 うーん、何だか下半身がムズムズしてきたぞ。


「真夏に水が熱いくらいならまだ我慢できそうですけどね。

 あ、あと便座ヒーターもないから、冬場は便座も氷みたいに冷たいままです。そこに座って、さらに氷水のアタックを受けたりしたら──ええと、『心停止』起こしちゃいますよ」

「うわ、使いたくねー。

 ──あ、『心停止』って言葉は一般人はまず使わないぞ。この場合は『心臓麻痺』の方が自然に聞こえるかな」

「なるほど、勉強になります」


 俺の指摘を律儀に小さなメモ帳に書きとめると、ペトラは生ビールをひとくち飲んで、テーブルに突っ伏して弱音を吐いた。


「はああ、せっかくここまで日本語をマスターしても、ウチの国には日本人観光客もほとんど来ないから、使いどころもロクにないんですよ。

 うわーん、国に帰りたくないよー。センパーイ、何とかしてくださいよー!」






 ──うーん、何だか違和感があるぞ。ペトラがこんなにストレートに助けを求めてくるなんて、初めてじゃないか?


 バイタリティの塊みたいなペトラは、困ったことがあっても絶対に逃げたりしない。俺や周りにアドバイスやヒントを求めてくることはあっても、最終的には何ごとも自分で解決してきたのだ。

 そんなペトラが、親に反対されてるくらいでこんなにグダグダになるか? 俺の知ってるペトラなら、どれだけ時間がかかっても親を説得するとか──いや、むしろ親を無理やり日本旅行に連れてきて、日本びいきに染め上げるくらいのことはやってのけそうなんだけど。


 これってもしかして――『甘えられてる』と思っていいんだろうか?






 ──確かに、俺にも()()()()()今のペトラのためにしてやれることはある。そうしてやりたい気持ちもあるんだが、これまで俺はずっと、その気持ちを封印し続けてきたのだ。


 でも、もしペトラが()()を望んでいるのだとしたら──?


 ──いや、違う。肝心なのは『俺がどうしたいか』だ。本気でペトラを帰したくないのなら──今こそが踏み込むべき時なんじゃないか?






「ペトラ。ひとつ確認しときたいんだけど、本当にこのまま日本に住み続けるのが一番の望みなんだな?」

「はい、そのとおりですけど」


 ペトラが弱々しくうなづく。よし、覚悟を決めろ、俺!


「なら、ひとつ提案がある。

 ──ペトラ、俺と結婚してくれないか」


「は? ──ちょ、ちょっと待って下さいよ、センパイ!?

 いくらセンパイが困ってる人を放っておけない性分だからって、軽々しくそんなこと言っちゃだめですよー」


 ペトラが真っ赤な顔で、冗談めかした言い方で返してくるが、逃がしてなんてやるものか。


「バーカ。言っておくけど、同情とか勢いで言ってるんじゃないぞ。

 ペトラのことはずっとすごい子だと思ってた。その勇気や行動力はじゅうぶん尊敬に値するし、俺も負けてられないと頑張る原動力にもなってる。

 でも俺は、それ以上の気持ちは絶対に持たないことにしてた。ペトラはいつか帰国してしまうんだからと、自分の気持ちを抑えていたんだ──」


 ペトラは真剣な表情で、じっと俺の話を聞いている。

 ──って、気づいたら店中の人たちが固唾を飲んで俺たちに注目してるし!!!

 でももう、今さら後には引けないぞ。


「──いや、違うな。とっくに好きになってたんだ。でも、その気持ちに無理やり蓋をしてしまってただけだ。

 でも、ペトラが日本に残るかどうかで迷ってるのなら、俺はもう迷わない。

 俺は、ペトラに帰ってほしくない。この日本で、ずっと一緒に生きていきたい。

 俺ではダメか? 俺は、ペトラが日本に残る一番の理由にはなれないか?」






「──わかってないなー、センパイ」


 しばらくの沈黙の後に、ペトラがちょっと拗ねたような口ぶりで話し始めた。


「そんなの、ずっと前からセンパイのことが一番だったに決まってるじゃないですか。

 でも、センパイは全然私のことをそういう目で見てくれてないって思ってたし──正直、こうなったら最後はもう、こっちから押し倒しちゃおうかとも思ってました」


 お、おおう。さすがは勇気と行動力の女、大胆なこと言うなぁ。


「でも、これでもう『相思相愛』だって思ってもいいんですよね?

 ──私もセンパイが大好きです。日本でずっと一緒に生きていきたいです。

 プロポーズの件、つつしんでお受けいたします」


 ペトラが丁寧に言って、深々と頭を下げる。──そのとたん、店中から一斉に歓声と拍手が沸き上がった。


『おおっ、おめでとーっ!』

『よく言った、兄ちゃん! さすが日本男児!』

『末永くお幸せに!』

『うわー、すっごいシーンを見ちゃった!』


 そんな大騒ぎの中、ペトラはすっくと立ちあがって、誇らしげな顔で右こぶしを力強く突き上げたのだ。


「皆さん、ありがとーっ! ずーっと憧れだった日本にやってきて、さらに未来の旦那様までゲットしちゃいましたー!」

『うぉぉぉっ!』

『二人の未来に乾杯!』

『おっちゃんたちからのお祝いだ、嬢ちゃん、好きなもの頼みな!』


 店内の盛り上がりは、もう最高潮にまで達しようとしていた。

 だが──そんな中、俺はふと、とんでもなく重大な()()()()に気づいてしまったのだ。


「や、やっちまった、最悪だ……」


 高揚感が一気にマイナスにまで落ち込み、悶絶したくなるほどの羞恥心に苛まれる。


「──あれ、どうしたんですか、センパイ? まさか、プロポーズしてくれたことを後悔しているとか──?」


 それに気づいたペトラが、不安そうな顔で訊いてくる。


「い、いや、そんなことはないけど。

 でも、こんなムードのかけらもない居酒屋で、しかも〇ォシュレットの話の流れからのプロポーズって──これ、最低最悪のプロポーズじゃないか!?」

「そんなことないですよ。確かにちょっぴりダサかったけど、私にとっては最高のプロポーズでした」


 そう言ってくれたペトラの笑顔は、幸福感に満ちあふれていて、眩いばかりだった。


「あ、でも、あとはあのセリフを言ってくれてたらもう完璧だったんですけどね。

 日本人のプロポーズの定番──『月がとっても綺麗ですね』っていうやつ」

「言っとくけど、実際にそれを言う日本人なんていないからな?」


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― 新着の感想 ―
とても楽しく読ませていただきました。 でも確かに〇ォシュレットのない生活なんてもう創造できませんよね! ペトラさんの気持ち「よ~う~く」わかります。   良き作品を読ませていただいて有難うございました…
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