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第9話 分かり合えないままの平行線①

「……ウーロン茶でいいか?」


「ダージリンの方が好き」


「……お前、本当に遠慮ってものを知らないな。それに、うちにはそんな高級なものはねぇよ」


まるで台風が過ぎ去ったかのように遥愛が去った後、ようやく「白瀬(笹原)」に思う存分ツッコミを入れることができた俺は、コンビニで買ってきたペットボトルのウーロン茶を、手当たり次第二つのグラスに注ぎ入れ……疲れ切った様子で椅子に座り込んだ。


「疲れた……」


朝から家を出て、また戻ってきて、せいぜい一日も経っていないのに、どうして数日間の合宿よりも疲れているんだろう。


「……あんた、水泳部でしょ?こんなに早く疲れるなんて、体力なさすぎじゃない?」


「心が疲れたって言ってるんだよ!」


でも、水泳部か……。


そういえば、もし何もなければ、今の俺は、いつも通りプールで、2分の壁を破るという個人目標に向かって、必死に頑張っていたはずだ……。


それなのに今、俺は学校で指折りの美少女で、優介の彼女……おまけに俺と体が入れ替わった白瀬と、自分の家で二人きりだなんて…………。本当に、人生何が起こるか分からないもんだ。


「え、よく考えたら、身分は変わったけど、これって俺を殺した『犯人』と、二人きりで密室にいるってことじゃ……」


「ふふっ、密室トリックも少々心得もあるよ。今から試してみるかい?」


何を試させる気だよ!?


「冗談はさておき、あんたは私の復讐の対象じゃないから、安心して」


全く安心できねぇ。


「それより!今は俺たち二人だけなんだから、周りを気にする必要もない……早速本題に入ろう」


「あんたの部屋にか?」


「そう……って、違う!俺をからかうのがそんなに楽しいのか!俺が言いたいのは、俺たちの体に起きた、この『奇妙な出来事』について、白瀬、お前は何か心当たりはないか?」


「ない」


なんてあっさりした答えだよ……ほんの少しの迷いも感じられないじゃないか。


もし一時的な入れ替わりなら、脳が損傷して幻覚を見ているとかで説明もつくだろうが、もうこんなに時間が経っている……。俺たちの体は、元に戻る気配すらない。むしろ、最初の驚きが過ぎ去った後は、どんどん自分の体のように自然に感じられて、何の違和感もなくなってきている……。


「やっぱり、常識じゃ説明できないのか……」


同じ年頃の女の子の体に「触れる」のはこれが初めてなのに、こんなにも早く慣れてしまった自分が、正直ちょっと怖い……。まさか魂の奥底に、TSに適した素質があるなんて、認めたくない。


「ふん、そう言う笹原はどうなの?そんな無実そうな顔をしてるけど、実はあんたが仕組なんじゃないのか?」


「え?俺が?」


「例えば、まぐれで成功した黒魔術とか……」


「おい……確かに俺は普段、根暗だけど、そんなに厨二病こじらせてるように見えるか?」


「十分あり得るわね。今頃、あんたの部屋には水晶玉が置いてあって、壁には魔法陣が描かれているのかも」


どんだけ重症なんだよ、俺。


「忘れるなよ!全ての元凶は、お前が俺を刺したことから始まってるんだぞ!この逆ギレ加害者め!」


「じゃあ逆に、もう一度同じことを繰り返せば、私たちの体は元に戻るんじゃない?」


お茶をひと口飲んだ「白瀬(笹原)」は、まったく表情を変えずに背筋が寒くなるようなことを言った。


冗談、だよな?


たとえ本当にその可能性があるとしても、お互いの命を危険に晒すような真似をする度胸は、俺にはない……。だって、説明のつかないあの奇跡が、もう一度俺たちに訪れる保証なんてどこにもないんだから。


だが、目の前の、復讐を成し遂げたと勘違いして自決した「白瀬(笹原)」にとっては、ただの冗談ではないのかもしれない……。


「なあ、白瀬……お前なんで、そんな簡単に自分の人生を諦めるんだ?」


「あんたには関係ない」


「俺を巻き込んだ以上は、関係ないとは言えないだろ……それに、今の俺は、その『白瀬』なんだぞ!」


「……口ではそう言うけど、あんたに私の何が分かるっていうの?」


グラスをテーブルに強く置き、白瀬の目つきは再び鋭くなった……。少し怯んでしまうが、ここで引くわけにはいかない。


「確かに俺は白瀬のことなんて何も知らない。だからこそ……巻き込まれた側として、もう少し穏便に解決できないのか?」


「……穏便に?例えば?」


「えっと……優介と腹を割って話し合うとか……」


「ふん、甘いわね。あんた、いくつだ?まだ子供向け作品の夢見てるの?」


ハッピーエンドの何が悪い!子供向け作品をなめるな!


「と、とにかく!白瀬!お前が笹原の身分を使って、俺の生活に不利益をもたらすようなことをするのを、黙って見ているつもりはないからな!」


「どうしても私の邪魔をするつもりか……理由は?」


「聞くまでもないだろ?もちろん、お互いの体が元に戻った後、ちゃんと元の日常に戻るためだ」


「そう……。でも、それは笹原、あんたがそう望んでるだけよ」


そう言うと、テーブルの上に遥愛が残していったせんべいを手に取った「白瀬(笹原)」は、丸ごと一枚を俺に差し出し、自分の分を半分に割った――


「……たとえ、体が元に戻る方法が見つかったとしても、私にはもう、帰るべき日常なんてない」


「……」


自嘲気味に笑う「白瀬(笹原)」に、何と答えればいいのか分からず、俺たちの間に絶望的な空気が漂い、沈黙が訪れた……。驚くほど静かな部屋に、まるで掛け時計の秒針の音だけが、静寂の中を絶え間なく刻み、俺を落ち着かなくさせた。


ついに、その息詰まるような空気を破ったのは、さらに耐え難い「窒息」だった――


「これで分かったでしょ、どんな理由で邪魔しようと、私は復讐を諦めるつもりはない。それが、私に残された唯一の目的だから」


「……分かった」


「へえ、あんたにしては珍しいわね。もっと粘るかと思ったけど、案外あっさり折れるのね……。まあ、私にとっては好都合だけど。これからは――」


「……取引をしよう」


「……は?」


俺の予想外の提案に、それまで無表情だった「白瀬(笹原)」は、思わず口をぽかんと開けた。


「と、取引?私と、あんたが?」


「ああ、あまりに酷いことはダメだけど、お前が優介を破滅させたいなら、学校の有名人で、しかも彼の彼女である『白瀬』……つまり『俺』が、あいつの悪行を暴く方が、地味なお前……『笹原』が言うより、ずっと影響力があるだろ?」


驚きから立ち直った「白瀬(笹原)」は、ゆっくりと目を細め、まるで俺の考えを探るかのように、手の中のグラスを揺らした。


「確かに、あんたが協力してくれるなら、それは文句のつけようがない最善策ね……。でも、そんな都合のいい話、あるわけないでしょ」


「ご名答。こっちの条件は……全国大会が終わるまで、お前は『笹原』として、余計なことをしないこと……。その後は、俺が優介の正体を暴く。そうなれば、たとえあいつがそのことで名を地に落としたとしても、もう大会の結果には影響はないだろう」


「……この期に及んで、まだあいつのことを気にしてるの?」


「優介のためじゃない。部活のみんなのためだ……。何ヶ月も、みんなで同じ目標に向かって頑張ってきたんだ……。俺のせいで、その努力が水の泡になるのは見たくない……」


「ふん……」


気のせいだろうか、「白瀬(笹原)」の口元から、鼻で笑うような声が聞こえた気がした。


「見かけによらず、本当に水泳部が好きみたいね。で、他には?」


「え?他?もうないけど」


「一番肝心なこと、まだ言ってないでしょ?あんた自身にとっては、何の得があるの?」


「それは……」


その言葉は喉に詰まった石のように、どうしても口にしたくないものだった。


「白瀬(笹原)」がもう帰るべき日常がないと言ったように、俺も、主力メンバーに入りするチャンスをほとんど失ってしまった……。たとえ大会が始まる前に体を元に戻せたとしても、このあいだのトレーニング不足による空白期間は、どうやっても取り戻すことが難しい。


「……」


思わず天井を見上げた……。今、俺が持っているのは「白瀬(笹原)」の、誰もが羨むような瞳だが、そこに映る景色は、以前と何も変わらない……。


そっと深呼吸をしてから、俺は改めて決意を固めた。



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