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第2話 鳩の声から始まった、不幸と奇跡②

「……ねぇ、覚えてる?あのとき、どうやって私に告白したか」


「え……?それは……」


感情が麻痺してしまったのか、それとも心が疲れてしまったのか……。掠れた声で呟いた白瀬さんは俯き、きらりと光る涙の雫が、その白い頬を静かに伝って落ちた。


「……」


答えられるわけがない……。二人の間にあったであろうロマンチックなワンシーンなんて、普段から漫画を読んではたまに妄想に耽る程度の非モテな俺に分かるはずもない。だが、彼女のあまりに悲しそうな様子を見ていると、「知らない」という答えが、どうしても喉から出てこなかった。


いや、よく考えろ、俺!これまで積み上げてきた――実戦経験ゼロ、理論だけは無駄に豊富な恋愛知識を総動員して、できる限り当時の優介のセリフを再現するんだ!

あいつにできて、俺にできないはずはない……そうだ!もし俺が琴音さんに告白するなら、いったい、どんなふうに言えばいいんだ?


「えーと、確か……お、俺……ずっと前から好きだったんだ……つ、付き合って……ください?」


って、ストレートすぎるだろ俺!?


ロマンチックの欠片も感じられなかったし、しかも最後まで相手の目をまともに見られなかった……。普段ネットで友達と駄弁ってる時は恋愛マスターにでもなったかのように振る舞えるのに、いざ実践となるとこのザマかよ!?


「……うっ」


顔から火が出そうなほど熱い……!ヘルメットがあって本当に良かった。もし白瀬さんに今の俺の顔を見られてたら――恥ずかしすぎて、穴があったら入りたいって本気で思ってたに違いない。


「……やっぱり忘れてるんだね。どうせ、他の子に言ったことなんて、いちいち覚えてないんでしょ」


俺のささやかな努力は、まるで石を海に投げ込んだかのように、白瀬さんの心に何の波紋も起こさなかった。それどころか、冷ややかに顔を上げた彼女は、朝の光と影が交差する場所に立っていた……顔の半分は日差しに照らされて、いつものように穏やかに見える。けれど、もう半分は完全に影に溶け込み、底知れない執念を宿しているかのようだった。


「あ、あはは……さすがに、間違ってたかな……」


「――命に懸けて、決して裏切らない、と」


「……」


い……命に懸けて、か……。


俺の知らねぇところで、ずいぶんハードな告白してたんだな、優介……。


でもそれは、何人もの告白を断って、難攻不落と名高いクールな白瀬さんを落とすために、あいつがどれだけ必死に頭をひねってたかってことだよな。


なのに、苦労して手に入れたものを大切にしないから、こんな結末を迎えることになるなんて、皮肉にもほどがある。


「……ごめんな」


俺自身は彼女に何か悪いことをしたわけじゃない。けれど、あの情けない親友が彼女に与えた傷のことを思うと、どうしても胸の奥が痛んで、代わりに謝りたくなってしまうんだ……。


「ねえ、こっち見て」


「はい?」


その声音には、逆らうことを許さないような力があった。思わず顔を上げた俺の視線は、ワインレッドの瞳とぶつかる……。だが、そこには微笑みの欠片ひとつなく、あるのは底知れない、執拗な湖だけだった。


「誓いって、守るためにあるものだと思わない?」


頬のすぐ側で囁かれる声は、まるで溶けた蜜のように、耳の輪郭に滴り落ちる。彼女は正面から俺にぴたりと身を寄せ、その柔らかな感触と甘い髪の香りに、心臓が跳ね上がった。


ブスッ――


だから、鋭い異物が何の予兆もなく俺の胸を貫いた時、何が起きたのかを鈍い頭が理解するまで、数秒の時間をかかった。


「う……ぁ……がっ……あ」


それは錯覚でも、悪戯でもない。


ゆっくりと視線を下ろすと、銀色に光るフルーツナイフの刃が、俺の左胸、心臓の真上あたりに根元まで突き刺さっていた。狭い傷口からは鮮血が先を争うように溢れ出し、まるで壊れた蛇口のように、ゴボゴボと、小さくも致命的な音を立てている。そして、その温かい流れと共に、全身の体温が俺から離れていくようだった。


こいつ、最初から……そのつもりで……!?


「なぜ……うっ……あぁ……お前……気でも、狂ったのか……」


痛みと脱力感で体が震え、こみ上げてくる恐怖に目を見開く……。だが、言葉は最後まで続かず、溢れてきた血で喉が塞がれる。熱い液体が傷口から絶え間なく流れ出し、あっという間に俺のシャツを濡らし、同時に彼女の清潔なワンピースにも、深紅の斑点をいくつも咲かせた。それはまるで、満開の彼岸花のように妖しく、目に焼き付く。


「痛いでしょう……ねえ、すっごく痛いよね?」


彼女はこてんと首を傾げ、その瞳には涙と興奮が入り混じった光が揺らめいていた。


「う、ぐっ、あ……たす……」


「でも、どうして裏切ったの?私さえいればいいって言ったじゃない……ずっと私のことが一番好きだって、そう言ったよね?ね?ね?ね?ねえ!?」


彼女の声は次第に大きくなり、最後にはほとんど絶叫に近い泣き声になった。


俺は最後の力を振り絞って傷口を押さえるが、両足は骨を抜かれたように震えが止まらない。


どれだけ流れたか分からない血が、傷口からぽたぽたと石畳の隙間に落ちていく。彼女の手から滴り続けるナイフの血痕と合わさって、おぞましい光景を描き出していた。


「これで……もう、他の女に触れたりしないよね?」


光を失った彼女の瞳に、ようやく微笑みが浮かんだ。


あれは、まるで聖女のように清らかで、哀れみを帯びた笑み――けれど同時に、すべてを諦めた悪魔のように、背筋が凍るほど恐ろしいものだった。


彼女はそっともう片方の手を伸ばし、指先でナイフの柄についた血をすくい取る。そして、それをゆっくりと唇へと運び――まるで祈りのような仕草で、舌先に触れさせた。


「ん……優介の味」


満足げに目を細めるその表情は、まるでこの世でいちばん甘美なデザートを味わっているかのようだった。


だが、この時、身動き一つ取れない俺だけが知っていた――


残念だが、それはお前の恋人、優介の味じゃねぇ!


無関係なクラスメート、この俺――「笹原准」の味だってことをな!この救いようのないイカレ女が!


しかし、もはや何を言い返す力も残っていなかった。失血のせいで視界の端が暗く滲み、白瀬の顔がゆらゆらと歪んでいく。そして最後には、あの狂気と幸福が入り混じった微笑みだけが、冷たくなっていく俺の瞳に深く焼き付いた。


(くそっ、俺はもう……あのプールに立つことは、できないのか……)


クルック――


恐怖と、後悔と、無力と、そして絶望……。


前のめりに体が崩れ落ちるその瞬間、錯乱した頭が見せた最後の幻覚だろうか……。

俺には、群れから離れて孤立していたあの灰色の鳩が、こちらに向かって不気味な笑みを浮かべているのが見えた気がした。

 

****

 

「ぶはっ、はぁっ! はぁっ……はぁっ……」


終わりのない闇の悪夢に、不意に光が差し込んだようだった。溺れかけた深い海の底から、突然水面に顔を出したようだった。四方八方から押し寄せる暗い流れの中で、俺は勢いよく目を開ける。まるで陸に打ち上げられたばかりの魚のように、必死に鉄錆びの匂いがする空気を喘ぐように吸い込んだ。


「ふぅ……はぁ……お、俺……倒れてなかったのか?」


息を吸い込むたびに、喉が刃物で切り裂かれるような灼ける痛みに襲われる。まだ恐怖の余韻が残る心臓は、今にも体から飛び出しそうなほど激しく鼓動し、そのドクンドクンという響きが絶えず鼓膜を揺さぶる……。だが、それは不思議と安心感をもたらした――まだ、生きている証だった。


「白瀬!くっ、あのイカレ女はもう逃げたのか……?そ、そうだ!体の傷!今すぐ救急車を呼べば、まだ助かるかもしれない……」


震える指でスマホを取り出そうとしたが、ズボンのポケットが見当たらないことに気づいた……。


というか、この下半身の格好は、どう見てもズボンじゃない。むしろ……ス、スカート!?


「……は?」


混乱した頭は、ようやく体の異変に気づいた。


何とも言えない良い香りが、絶えず鼻腔を刺激している。耳元では慣れない長い髪が、時折風に揺れて滑らかな頬をくすぐる。胸には目を引く二つの果実が、まるで聳え立つ山のようでもあり、柔らかな羽毛のようでもあり、その上に眠る見覚えのあるヘルメットは、まるでゼリーの海に沈み込んでいるかのように、弾力のあるカーブを描いていて、実に羨ましく思えた。


って、そんなこと気にしてる場合か!?


「おっ、おっぱい!?なんで俺の体にこんなものが、それにこの意識のないやつは……」


間違いない。たとえ恋人を見間違えることはあっても、自分自身を見間違えることなんて絶対にありえない!


俺の上に倒れ込んでいるそいつは、間違いなく俺自身――笹原准だ!?


「おい、おい!しっかりしろ、お、お前、大丈夫か?」


俺はそいつのヘルメットを強く叩いた。まだ完全に起き上がる気配はないが、肩が少し動いたのを見て、多少安堵のため息を漏らした。


よかった……。もし自分の死体が横たわっていたら、それはもう絶望的なブラックジョークだ。


「ちょ、ちょっとごめんな」


おかしい。なんで俺は自分に謝ってるんだ?


これから、こいつの服を捲ろうとしているからだろうか。一刻も早く、自分の体の安否を確かめたい……。だって、さっきあんなに深く刺されたんだ――


「あれ?消えてる……」


服を掴んだ瞬間に、違和感を覚えた。大量に染み込んでいるはずの血痕も、俺の心臓を貫いたフルーツナイフも……いつの間にか、傷跡と共に跡形もなく消えていた。まるで、何も起こらなかったかのように。


だが、体温が失われた後の骨身に染みる寒さ、呼吸ができない絶望的なもがき、全身が縮こまるほどの強烈な痛み……。忘れられない恐怖の体験は、今も脳裏に焼き付いて離れない。


「こ……こんな常識外れなことが、本当にあり得るのか?未知の現象!?UMA!?異世界転生!?」


いや、どう見てもここはさっきの公園のままだ……。


一体何が起こったのかは分からないが、今のところ俺は生きていて、体に別状もないのなら、全ては万事解決……ってことか?


「ま、待てよ……。向こうにいるそいつが、笹原准本人だとしたら、今の『俺』は一体誰なんだ?」


まるで難解な哲学の問いのようだ。戸惑いながら周りを見渡しても、クルックーと鳴く食いしん坊な鳩の群れ以外に、答えをくれる者は誰もいない――いや、違う。


「え?」


目的もなく彷徨っていた視線は、最終的に俺の隣に停めてある――スクーターのバックミラーに映った、モデルのように綺麗な顔に吸い寄せられた……。


「し、しら……せ?」


さっき、刃物を握り、血に濡れた不気味な笑みで俺を見つめていた彼女の眼差しを思い出すと、背筋がぞっとする……。だが、今そこに映っている白瀬の表情は、俺の反応に合わせて、同時に驚きに目を見開いていた。まるで、俺の一挙手一投足を真似しているかのように。


「嘘だろ……?俺が、白瀬!?」


体に起きた数々の異変、俺の目に映る自分、その全てがこの予期せぬ発見によって、筋が通ってしまった。


とはいえ、いきなり、ただ恋人と見間違えられたというだけで俺を殺そうとしたイカレ女になってしまったなんて……。どう考えても受け入れ難いだろ!?


「猟奇的なのも大概にしろよ!神様!」


ただ公園で鳩に餌をやってただけなのに、一体どんな悪趣味な運命に巻き込まれたんだ。


しかし、俺の心からの愚痴は天には届かなかったようで、むしろより厳しい報復を招いてしまった。俺が途方に暮れていると、透き通るような明るい声が、何の予兆もなく背後から響いた――


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