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第1話 鳩の声から始まった、不幸と奇跡①

「なぜ……うっ……あぁ……」


氷のように冷たい鋭器が体から引き抜かれ、大量の鮮血と体温が共に奪い去られるのを見ながら、制御できない意識と共にゆっくりと地面へ墜ちていく俺は、まさか自分の命がこんな何の変哲もない日に、縁もゆかりもない「あの人」の手によって終わりを迎えるなど、夢にも思わなかった……。


少し前のこと――


「おっせぇな……」


駅の近くにある人気のない公園。早朝ということもあって、いるのは俺一人だけだ。

空気には昨夜の雨上がりの青草の香りが漂い、石畳の地面にはまだ少し水たまりが残っていて、昇り始めたばかりの淡い朝日を反射している。


クルック――


俺の足音に気づいたのか、明らかに太りすぎな鳩が数羽寄ってきた。その限界まで見開かれた瞳に映っているのは、俺が手に持っている食べかけの焼きそばパンだ……。こいつらにとっては、人影を見かけさえすれば餌をくれるんじゃないかと近寄ってくるらしく、いつの間にかここを自分たちの餌場にしているようだった。


「予備を取りに行くだけで、こんなに時間かかるもんか……あいつの厚意に甘えてヘルメットを借りちまったけど、まずかったかな?」


俺はパンをちぎって鳩の群れにばら撒きながら、手持ち無沙汰にスマホをいじって時間を潰す。


画面の時間表示はまだ10分しか経っていないのに、まるで10日間も過ぎたかのように長く感じる……。今日という日は、俺にとってとても大事な日なんだ。


――何としても、200メートルクロールで2分の壁を破る。そうして初めて、もうすぐ行われる水泳部の選考会で、あいつと一緒に全国大会へ出場できるんだ。


「見てろよ、優介。俺は必ずお前と同じスタート台に立ってやる……」


そう思うと、ますます気持ちが昂ってきて、俺は思わずパン屑を鳩の群れに盛大にばら撒いた。鳩たちの騒がしい鳴き声が上がる。


「神は二物を与えず」なんて言うが……久堂優介(くどうゆうすけ)、俺の幼馴染みで一番の親友である彼は、まさにその例外だった。


俺と一緒に全国レベルの強豪校の水泳部に入ったはずなのに、あいつは持ち前の才能と実力、それに加えて元々整っていたイケメンなルックスも相まって、すぐさま部内の他のメンバーを魅了し、あっという間に不動のエースとしての地位を確立。次期部長候補とまで目されるようになった。それに比べて、入部当初からパッとしない俺は、必死に練習を重ねて、ようやく落ちこぼれないようにするのが精一杯。何をやっても誰にも注目されず、万の期待を一身に背負うあいつとは、まさに天と地ほどの差があった。


たぶん、こういうやつのことを、世間では「勝ち組」って言うんだろうな……。


「あ……そういえば、あいつ最近彼女ができたんだっけ」


相手はあの有名な白瀬千紗(しらせちさ)さん……。抜群のスタイルとルックスで、普段はカバーモデルのバイトもしているらしく、校内でも有名な美少女の一人だ。多少クールなとこがある彼女より、俺は天真爛漫な琴音(ことね)さんの方が好みだけど……まあ、絵の中から抜け出してきたような子と付き合えるなんて、それだけで一生分の運を使い果たしたと言っても過言じゃない。


「くそっ!同じスタート台に立つ、だぁ?人生っていうレースじゃ、とっくに大差つけられてんじゃねえか……羨ましいぜ、ちくしょう!」


クルック――


俺の嘆きに、虚しい鳩の鳴き声が返ってくるだけ……。太った鳩の群れに愚痴ったところで仕方ないか……。俺は苦笑しながら群れの端っこにいる、一羽だけぽつんと孤立した灰色の鳩と目が合った。まるで自分を見ているようだ。


「……お前も一人ぼっちか?ほら、そんな遠くで見てないで、こっち来て食えよ。いつまでも受け身でいたら、誰にも勝てないぜ」


まるで自分に言い聞かせるような言葉だった。俺は苦笑してその鳩に近づき、残っていたパン屑を全部投げてやった。


こうして口では文句ばかり言っているが、心の底では、親友である優介には、ちゃんと幸せになってほしいと願っている。


さっき俺と合流した時もそうだ。急いで電動スクーターで家を飛び出してきた俺がヘルメットを忘れているのに気づくと、あいつは自分のヘルメットをすぐに貸してくれて、そのまま予備を取りに歩いて家に戻って行った。


たぶん、こういう常に誰かのことを考えられる優しさがあるからこそ、周りからどれだけ好かれても、嫉妬されにくいんだろうな……。


「それにしても、自分のプリクラをヘルメットに貼るやつなんているか?ちょっとナルシストすぎだろ、優介のやつ……ははっ」


俺がヘルメットを撫でながら苦笑していると、不意に背後から慌ただしい足音が聞こえてきた。そのせいで、目の前でパン屑をついばんでいた鳩たちが、一斉にばさばさと騒ぎ出す――


「……こんなところに隠れてたんだ。ずっと探したよ」


「わりぃわりぃ、駅みたいな人混みは苦手でさ。やっと戻ってきたか、優……あれ?」


予想に反して、背後に立っていたのは待ちわびた優介ではなかった。……さっき頭に思い浮かべたばかりの、あいつの彼女――白瀬千紗さん、その人本人だった。


(うわ、さすがカバーモデル。間近で見ると、めちゃくちゃ可愛いな……)


月光そのものを紡いで糸にしたかのような銀髪が肩を流れ、ふわりと柔らかく、毛先はわずかに内巻きになって、彼女の小さな顔を絶妙に包み込んでいる。朝のそよ風が彼女の髪を優しく揺らすと、その眩い銀白は流れる雪のように、柔らかな光の輪を広げた。


その銀色に映える、透き通るように白い肌は一層きめ細かく見え、豪華でありながら華美すぎないワンピースが、まだ若いながらも成熟したボディラインを覆っている。頭の小さくお洒落な帽子の横には、リボンで結ばれた印象的な花飾りが、彼女の動きに合わせて蝶のようにひらひらと舞っていた。


「……うっ」


ヘルメット越しにも、ふわりと良い香りがする。彼女とは同じクラスだけど、挨拶を交わしたことなんて数えるほどしかない。いつもは席から遠巻きに眺めているだけだったから……こんな至近距離でじっと見つめられるなんて、入学してから初めてだ……。


ただ、なぜか顔色が少し悪く、憔悴しきっているように見える。いつもの華やかな印象は全くなく、むしろ全身から、水に落ちた獣のような、刺々しく苛立った雰囲気を発していた。特に、長くカールした睫毛の下の、いつも澄んだ瞳は、今は赤く腫れて、疲労で濁りきっていた。


(おいおい、どうしたんだ……この様子、もしかして……ずっと泣いてたのか??)


「……謝罪の一言もないわけ?」


「は?謝罪?何のことだ?」


昨日の夜、コンビニ行くのが面倒で妹のアイスを勝手に食ったことか?


「ふん、そうよね……あなたはいつもそう。とぼけて、追い詰められるまで認めないんだから」


訳が分からない俺を前に、白瀬さんは挨拶もなしに謝罪を求めてくる……。怒りで全身を震わせ、細く長い指を白くなるほど強く握りしめ、きつく噛み締められた唇からは、今にも血が滲みそうだ。


絵に描いたような美人でも、怒るとこんなに怖いんだな。一体何があったんだ?


俺はこっそりポケットに手を突っ込み、優介にメッセージを送ろうとしたが、一向に「既読」がつかない。


こんな肝心な時に何やってんだ? デカい方か? 頼むから……早く戻ってきてくれ!


「あ、あのさ……何か用なら、とりあえず待っ――」


「もう待たない!今更、逃げ切れるとでも思ってるの!?優介!」


「え?優介?あ……」


どうりで話が微妙に噛み合わないわけだ……。どうやら、この借り物のヘルメットのせいで俺の顔が見えないし、声もくぐもって聞こえるから……頭に血が上っている白瀬さんは、優介のヘルメットを被った俺を、本人だと勘違いしているらしい……。


「いやいや、人違いだって!俺は優介の友達で、同じく白瀬さんのクラスメイトの――笹原准(ささはらじゅん)だ!」


「……笹原准?誰それ?知らない名前で話をそらそうとしても無駄よ!」


俺のこと、まったく覚えてないのかよ!?


まあ、クラスじゃ影の薄い俺にしてみれば、特に珍しい反応でもないんだけどさ……はぁ。


ともかく、原因がわかった以上、誤解を解くのは簡単だ。このヘルメットを脱げばいいだけ――


「んん……ん?あれ?おかしいな……このヘルメット、どうして……脱げなくなってる!?」


取ろうとした瞬間、ヘルメットがびくともしないことに気づいた。どんな方向に力を入れても、頑丈に固定された位置から動かず、がっちりと頭に固定されてしまっている……被る時はあんなにスムーズだったのに!?


「くそっ、全然取れねえ……なんだよこのポンコツ……」


ヤケクソでガンガン叩いてみるが、頭の中がガンガン響くだけで余計にひどくなる……どうしよう?優介が戻ってくるのを待つしかないのか。


「……そんな反省してるフリしたって、私が許すとでも思ってるの?」


勘弁してくれ、白瀬さん……。反省じゃなくて、物理的に取れないんだって!

しかし、俺が頭を抱えて必死にもがいているうちに、白瀬さんの表情はさらに険しくなった。まるで葬式の弔辞でも聞いているかのような、底冷えのする声だ――


「全部知ってるの……私、この一週間、ずっとあなたのこと尾行してたんだから。そんなこと、思いもしなかったでしょ?」


「……」


ああ、確かに夢にも思わなかった……。クラスでも指折りの美少女が、目の前で、自分が彼氏を一週間もストーキングしてたなんて事実を、自ら暴露するなんて。


というか、普段のクールなイメージと、なんか違くないですか……白瀬さん。


「ふふっ、言葉も出ないくらいショック?私も最初は驚いて声も出なかった。三組の真央(まお)さん、あなた、あの子と随分親しいみたいじゃない。わざわざ休日に待ち合わせして、一緒に買い物に出かけるなんて。それに、図書室の司書、水泳部のマネージャー、生徒会の書記……先輩、後輩、果てはメイド喫茶の店員まで!どいつもこいつも、あなたとイチャイチャ、イチャイチャして!一体、何人の女の子と関係を持ってるの!?」


「……ひっ」


最初は、ただの痴話喧嘩か何かだと高を括っていた……。だが、白瀬さんの怒涛の詰問を聞いて、無関係な俺でさえ、思わず息を呑んでしまった。


優介のやつ、まさか……ハーレムでも作る気か?


白瀬さんみたいな、美人の彼女がいるのに、まだ満足せずにあちこちで手を出すなんて、どんだけ羨ま……げふん、見下げたやつなんだ!


「わ、分かった。とにかく、まずは落ち着こう、な? 深呼吸して――すぅー、はぁー」


どんどんヒートアップしていく白瀬さんをなだめつつ、俺はどうしたものかと板挟み状態に陥っていた……。どうすりゃいいんだよ、こんな状況……。


今のところは、あくまで彼女の一方的な話にすぎない。――けど、これまで部活で見てきた優介の、冗談めかして女の子にちょっかいを出すあの手の態度を思い出すと……ほとんど黒に近いって言ってもいいくらい、疑わしいんだよな。


やっぱり、この後二人が顔を合わせたら、もっと激しい言い争いになって、収集がつかなくなって、最終的には別れることになるのか……。


はぁ……結婚式の招待状ならまだしも、別れの証人にさせられるなんて、どう考えたってごめんだ。


白瀬さんのやり方も多少過激かもしれないけど、なんで好きでいてくれる恋人を裏切るようなことをするんだよ、優介……。


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