政略結婚を明日に控えた朝
「イツワリの令嬢少年」という自作のフリーゲームを元に小説化しています。キャラクターの外見等については公式サイトにて。
https://meltroman.wixsite.com/reijousyounen
ノワルシア島では、二大貴族が島を治めていた。
権力で支配するクレスタム家と、没落を行くフライジア家。
今両家は、政略結婚により、統合されようとしていた。
これは、政略結婚のために令嬢として育てられた、フライジア家の令嬢少年・リズの結婚式前日の物語。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
政略結婚前日の朝。令嬢少年・リズは、窓の外を見つめていた。その目は全てを諦めたようでもあり、でも、受け入れ難い心にまだ抗うようでもあった。
しばらくすると、扉の向こうから控えめなノックの音が響いた。
「ニンフでございます。もうお目覚めでいらっしゃいますか?」
リズは目を瞑ると、短く息を吸って、それから吐いた。ため息とはまた違うそれは、自身を奮い立たせるような一呼吸のように見えた。
「失礼致します。」
そう言って、ニンフが入室した。いつものように丁寧な所作で一礼する。
「・・・坊ちゃま、おはようございます。本日のご予定はクレスト様との食事会ですわ。約束の時間よりも大分早いですが・・・クレスト様はもう応接室にお見えになってますよ」
その言葉を聞きながら、リズは静かに彼女を見つめた。
ニンフ・ロザリア。
自分付きのメイドであり、自分が男であることを知っている、数少ない存在。
令嬢として偽りの生を続けてこられたのは、彼女がずっと傍で支え、味方でいてくれたからだった。
この地獄の中での唯一の光だった。
・・・だが、そんな彼女とも、今日で"終わる"。
「ああ・・・今行く」
「・・・あの・・・坊ちゃま!」
「?」
リズが視線を向けると、ニンフは一瞬だけ唇を動かし――けれど、言葉にはしなかった。
「・・・いえ」
それだけ、それだけで十分だった。今にも泣き出しそうな顔。震えた声。
彼女は、リズとの別れを惜しんでいる。それが伝わったからこそ、リズは大きな想いが込み上げるようだった。
「・・・なんで・・・お前が・・・」
絞り出すような声に、ニンフは悲しげに目を伏せる。
「ごめんなさい。泣きたいのは坊ちゃまの方ですわね。私、幸せでした。気高く美しい貴方にお仕えできたこと・・・」
やめろ。優しくするな。
ニンフと別れる、その現実を受け入れ難いものとするな、もうこれ以上は。
リズは体調が悪くなるのを感じた。
目の前の娘と、この優しい唯一の光を失う。その現実を今、つきつけられている。
リズは顔をそっぽに向けると、小さな声で言葉を投げつけた。
「ハッ・・・お前はずっと出来損ないだったな」
突き放した、そのつもりだった。
それでも、ニンフは微笑んだ。
「そんな出来損ないの私をずっとお傍に置いてくださって、ありがとうございました」
無理だ。そう感じた。
リズは拳を握り締め、激しい剣幕でニンフに向かって声を荒げた。
「・・・黙れ!お前は俺の秘密を知っているからやりやすかった、それ以上の理由はない」
ニンフは何も返さなかった。
ただ、静かに、心なしかいつもよりも深々と頭を下げた。
「・・・失礼いたします」
そっと閉められたはずの扉の開閉音が、やけに大きく響いた。
部屋に残されたリズは、絞り出したような声で呟く。
「これでいい・・・これで・・・でよかったんだ」
ニンフと自分では身分が違う。
それに、そもそも最初から、自分に選択肢などないのだ。
・・・。
今日、このあと控えているのはクレストとの食事会。結婚式前日だというのに、そんな予定を入れやがって。
気は進まない。
だが、拒むことはできない。もとより、俺に選択肢などないからだ。
クレストはもう到着しているらしい。すぐ応接室へ向かうこともできる。
けれど、約束の時間にはまだ早い。
屋敷の中を歩いて、最後に皆へ朝の挨拶をして回るのもいいかもしれない。
この屋敷にも、使用人にも思い入れなんてないが・・・最後くらいはな。
リズは"お嬢様"の顔になると、自室を後にした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
部屋を出ると、主人室前の廊下にいつものように佇む人影が視界に入る。執事のウルフ・ヴェルバックだった。
「ごきげんよう、ウルフ」
「お嬢様、おはようございます。こうしてお嬢様と顔を合わせられるのは後僅かと思うと、寂しく思います」
「まあ・・・本当にそう思っておいで?」
少し意地の悪い問いに、ウルフは瞬きひとつせず答えた。
「当然の事」
「殆ど口をきいていなかったのにね」
「・・・恐れながら、俺はこれで。御用があればいつでもお申し付けください」
それだけ言って、彼は目を瞑った。
――俺が“男”だと知っている、数少ない人間のひとりだ。
ウルフは昔から、父上の従順な下僕だった。
・・・バッファレイの犬が・・・。
1階に行き、最初に足を向けたのは厨房だった。
中では、メイドのマリアン・メリーポワロが朝の支度に追われていた。リズの姿を見つけるなり、彼女はぱっと顔を輝かせる。
「・・・あら! まあ! お嬢様ぁ。どうされたんですか? こんな朝からお会いできるなんて今日はいい一日になりそうですわ」
「相変わらず大げさね、マリアン。この屋敷とももうすぐお別れだから――」
そう言いかけると、マリアンは両手を胸の前で組み、今にも泣き出しそうな顔になった。
「やぁーん、寂しいですわ! お嬢様ともうお会いできないなんて・・・。でも・・・でもマリアンはいつだって、お嬢様のことを考えておりますからね。離れていたって、それは変わりませんことよ」
そう言って、彼女は気安くリズの手を握った。
柔らかく、温かい手だった。
「今までありがとうね、マリアン」
口ではそう言いながら、リズの胸の内には別の感情が渦巻いていた。
ニンフに対しては嫌がらせをしているくせに、上の立場の人間にはこうして媚びへつらう。
・・・俺が一番嫌いな類の人間だ。
笑みを崩さないまま、リズはそっと手を離した。
次はーー
傍らで静かにお茶の準備をする、カリンカ・リノア。
正直、あまり得意ではないが、最後だ。せっかくだから挨拶しておこう。
カリンカの目の前まで行くと、カリンカは一瞬目を瞑ってからこちらに向き直った。
「・・・お嬢様。おはようございます」
「ごきげんよう、カリンカ」
「・・・」
「・・・」
会話はそれで途切れた。
気まずい沈黙のあと、カリンカはぶっきらぼうに口を開く。
「・・・お紅茶とお茶菓子は応接室までお運びしますね」
「ええ、ありがとう」
また沈黙。互いにそれ以上の言葉が出てこない。
やがて、カリンカがわずかに眉を寄せた。
「・・・まだ、なにか?」
「いいえ・・・もう行くわね」
踵を返しながら、リズは内心で鼻を鳴らした。
相変わらず不愛想だ。明日屋敷を去るというのに、お構いなしか。まあいいが。
カリンカは長くこの屋敷に仕えているが、必要最低限のやりとりしかしてこなかった。いい年した大人だというのに、アニータが後任を任せようとしないのは、こういう性格のせいだろう。
リズは厨房を後にした。
次に、使用人棟へ向かうと、最年少メイドのメルチェ・キュリリアがぱたぱたと駆け寄ってきた。
「おじょうさま、おはようございます。きょうは、おせんたくをしますの! それから、それから・・・」
だが、そこで彼女はにこっと笑った。
笑ってごまかしているようだ・・・。
いいよな・・・そんなんで許される奴は。
「そうなの、偉いわね」
リズがそう返すと、メルチェは首を傾げた。
「・・・おじょうさま、あしたいなくなっちゃうの?」
「そうね・・もうすぐ」
「かなしいけど・・・めるちぇ、なきませんの! だって、はなれていたって、おじょうさまがいきてるかぎり・・・つながっていられますから」
メルチェはよくわからない子だ。だが愛想があるせいか、誰からも可愛がられている。表向き邪険にはできなかったものの、リズにはそれが妬ましくて仕方がなかった。
子供相手に情けないのはわかってる。
子供なのは、どっちだろうな・・・。
中庭に出ると、庭師のレオナ・カートレイが朝の草木に囲まれていた。
「・・・お嬢様? おはようございます。朝からお会いできるなんて、今日は運がいいようだ」
「少しお散歩をね。この屋敷とも、もうお別れだから」
「名残惜しいです」
レオナは寂しそうに目を伏せたあと、ふと思い出したように白薔薇を一輪差し出した。
「・・・そうだ、お嬢様にこれを」
白薔薇。
それを目にした瞬間、リズの胸に嫌悪が走る。
大嫌いな花だ・・・反吐が出る。
だが、表情には出さない。
「まあ・・・お気になさらないで、レオナ。わたくしはもう行きますわ」
「ああ、お嬢様。出過ぎた真似を失礼しました。では・・・今日という一日が、貴女にとって素敵な一日となりますよう」
誰にでも優しい声音。
思い返せば、彼は昔からずっとこんな調子だった。人たらしで、だらしがない庭師。屋敷の者はこぞって彼を慕っていたが、リズにとっては、どうしてか“慈悲”というものが感じられなかった。
分け隔てなく善良な言動。けれど、そこに責任が伴わない。他者に与える影響を推し量れない――いや、もしかしたら全てわかった上で、そうあれるのかもしれない。
そんなものを優しさとは呼ばない。
だからリズは、レオナが得意ではなかった。
次にリズが向かったのは、食堂。入ってすぐのところに、メイド長のアニータ・ネイマンがいた。
アニータは、隙のない微笑を浮かべて一礼する。
「お嬢様、本日も麗しゅうございます。明日は、いよいよ待ちに待った日ですわね」
真面目で聡明なメイド長。リズが男であることを知りながら、この“令嬢芝居”に何事もない顔で付き合っている。バッファレイからの信頼も厚い。
「ありがとう。・・・寂しくなるわね、アニータ」
「本当ですわ。生まれた時からお嬢様を見てきた身としては――」
そこまで言って、彼女はわずかに言葉を止めた。
「・・・生まれたとき・・・。・・・感慨深いものですわね。本当に、美しくご立派になられて・・・クレスタム家に行っても、どうか達者で」
アニータは時折こうして目を伏せる。まるで、リズの境遇に心を痛めているかのように。
どうせ助けてくれないなら意味がない。
元から、期待なんてしていない。
リズは胸の内でそう切り捨てた。
最後にーー食堂の奥、母ジニア・フライジアが佇んでいた。
リズがゆっくりとジニアに向かって歩みを進めると、ジニアは、リズに視線を向けて、無表情のまま口を小さく動かした。
「おはよう・・・リズ。遂に明日ね・・・」
「おはようございます、お母様。明日という日を待ちわびておりました」
「・・・ごめんなさい」
「あら・・・どうして・・・」
問い返しても、彼女はすぐには答えない。しばらく黙り込んだあと、ようやく小さな声で呟いた。
「“クレスト様ならば”きっと・・・大事にして下さるわ」
婚約者のクレスト。彼は慈悲深く立派な青年だ。本来、婚約者としては申し分のないクレストだが、リズが男性である以上状況は違った。
ジニアの瞳は虚ろで、どこか遠くを見ていた。視線が合わないのはいつものことだ。
相変わらず、抜け殻のようなひとだ。
昔は、よく笑う明るい人だった、と人づてに聞いたことがある。
そう、俺のせいだ。俺が男に生まれたばかりに・・・。
リズは何も言えず、ただ沈黙するしかなかった。
こうして全員と言葉を交わし終えたところで、リズは小さく息を吐いた。
最後の朝の挨拶、殆どが別れを惜しむような顔をした。
だがその誰も、リズを本当に救ってはくれなかった。
やがて彼は気持ちを切り替えるように、静かに応接室へ向かって歩き出した。
婚約者ーークレストが待っている。
※ゲーム版では一部シナリオを協力者様が手がけて頂いているため、協力者様の手がけた部分を書き換えて小説化しております。
※シナリオを手書き→AIによる推敲補助→手作業にて手直しの過程で作成しています。




