向かい側の家の女⑧
汐緒から連絡がきたのはそれから一時間程経ってからだった。合流する待ち合わせ場所を駅の近くにある喫煙所にしたのは、少しばかりの意趣返しだった。
ゆっくり煙草の煙を吐き出していると、ニコニコと笑顔で汐緒がやってきた。
「潮さん、色々聞けましたよ」
「……そうかよ」
ゆらゆら揺らめく紫煙を眺めながら、爽やかな笑顔の男に一言物申したくなる。
「どうせオレは、聞き出したり説得したりすんのに向いてねえよ」
言ってから、しまったと顔を顰める。この言い方だとまるで拗ねた子供のようではないか。
舌打ちをしてから汐緒から視線を逸らすと、彼は堪らないとでもいう風に「あはっ」と声を出して笑った。
「何笑ってんだよ」
「いや、すいません。潮さん、そういうの気にするタイプなんですね」
思わず鼻に皺を寄せる。
「でも、適材適所ですよ。前回俺はあまり役に立ちませんでしたからね。少しでも挽回しようと思って。説得するのは得意なので」
「詐欺師みたいだったな」
悪態を吐いて新たな煙草に火を点ける潮に、何故か言われた当の本人は軽く同意した。
「思ってもないことをペラペラ話す点では、似たようなモノですね」
言ったのは潮だが、こうもあっけらかんと頷かれると何とも言えない気持ちになった。罪悪感のようなものが去来するのを不快に思いながら、小さく呟く。
「言い過ぎた、悪かった」
「……気にしてないですけど、はい、わかりました。──潮さんって、可愛いひとですね」
「煩い」
この男と会話をすると、調子が狂う。
「お前のあの大丈夫ですよって言うの、癖か?」
「え? 俺そんなこと言ってました?」
「いつも言ってる」
彼は少しばかり思案するように首を傾げてから、小さく頷いた。
「兄たちの仕事のやり方を真似ているので、そうかもしれませんね」
自覚していなかったのか、その顔には少しだけ苦笑が浮かんでいた。
「ふぅん、ま、いいや。で、あの女はなんて?」
汐緒の話によると、田畑が夢を見るようになったのは休職する羽目になったあるトラブルの後すぐだったという。
そもそも彼女は同じ病院に勤務するある医者と付き合っていた。だが彼が病院の院長の娘と婚約したのを聞いた彼女は、一体どういうことだと二股をかけていたのかと問い詰めた。
病院の中で修羅場に発展した際、付き合っていた男は田畑を妄想の激しいストーカー女だと断罪し、ずっと付き纏われていて困っていたと周囲に話したそうだ。
「付き合っている当時も、職場恋愛は色々言われらから結婚するまでは周囲には秘密にしようと相手から言われていたようです。元々働く科が違っていたので、周囲からも接点はないと思われていたのが逆に相手の言い分が真実だとされる要因になってしまったのだとか」
針の筵状態になってしまい、心身共に不調をきたしたということか。しかし辞めずに休職したということは戻るつもりなのだろうが、逆にガッツがあるというか、執念すら窺える。
「付き合っている時に、一緒に撮った写真とかはなかったのか?」
「相手が写真は苦手だと言って一枚も二人で写る写真は撮らせなかったそうです。会う時も必ず夜で、彼女の家以外では絶対会わなかったみたいです」
「……徹底してんな」
どう考えても遊ばれている。
「彼女も少し可笑しいなとは思っていたそうですが、嫌われたくなくて交際中は何も言えなかったそうです」
「あっそ。ま、それはどうでもいいな」
彼女が裏切られたのか、本当に妄想だったのか、事実はどちらでもいい。重要なのはそこではないからだ。
「で、その後夢を見るようになったと?」
「はい。内容的には小説に書かれていた通りで、山田さんと違うのは、田畑さんの父方の実家の裏に、例の家が実際にあったということです」
「! あったのか?」
「夢の内容が怖くなって、本人が一度確認しに行ったそうです」
「やっぱり原因は田畑の方だったか。それで、何か家のことは聞けたのか?」
潮の言葉に汐緒は首を左右に振った。
「いえ、彼女自身気が動転して、お祖父さんに聞くこともせず慌てて帰ったと言ってました」
「ちっ……やっぱ一回現場に行くしかねぇか」
「あ、なのでアポとってきましたよ」
「は?」
なんてことのない様子で言った彼に、思わず間抜けな声が漏れる。
「明日彼女も同行してその家に行くことになりました。お祖父さんも明日は家にいらっしゃるようなので、詳しい話も聞けそうですね」
まずはオレの予定を確認しろよ。
話つけるの早いな。
など色々言いたいことはあったが、咄嗟に出たのは偉そうな上司のような台詞だった。
「……よくやった」
「はい」
コミュニケーション能力が高い、対人関係イージーな人間が間に入るだけでこうも楽に話が進むのか。
そんなことを間の抜けた顔で考えながら、弾けるような笑顔で頷く彼を見上げる。
「あ、でも、少し気になることがあって」
新しい煙草を取り出そうとしていた潮は、彼の言葉に手を止めた。
「どうしてあんなやり方を思いついたのか気になって、聞いたんです」
確かにそこは潮も気にはなっていた。オカルトに興味があるような人間ならいざ知らず、普通の人間があんな呪いを広めるようなやり方で霊的存在を伝染させようなどと思いつくだろうか。知識のない人間から出る発想ではないし、何より彼女はただでさえ普通の精神状態ではないのだ。
──吹き込んだ人間がいる。
「誰かに教えてもらったか?」
「そうみたいです。でも、田畑さん自身、誰に聞いたのか思い出せないそうなんです」
「思い出せない?」
一気にキナ臭くなった話に柳眉を寄せる。
「いつだったか、一人で公園にいた時に誰かに話しかけられたらしくて。その時に教えてもらったそうなんですが、その相手のことを何一つ思い出せないらしいんです。男だったのか、女だったのか。若かったのか、そうでなかったかも」
「……呪い屋か」
「断言はできませんが、関わってる可能性はありますね」
霊能力や異能の力を持っている人間全てが祓い屋や拝み屋になるわけではない。中にはその力を使って、残虐非道な悪事に手を染める者もいる。
以前大規模な呪い屋の討伐があり、今でこそ数は少ないが、それでもゼロではない。人間を呪うことを生業として金を稼ぐ人間もいるのだ。そういった奴らのことを纏めて、潮たちは呪い屋と呼んでいる。
呪い屋は闇に姿を隠すのが上手い。
大抵奴ら関連の事件では、本当の姿を特定できる確率は高くなかった。
「……奥螺に一応報告するわ」
面倒事と難易度が上がった気がして頭が痛くなる。霊的存在を祓ったから終わり、とはいかなくなった。
あるはずもない湿った暗闇と生臭い異臭が、記憶と共に首の後ろをざわつかせる。
嫌な気配がする。
生温い風が体に纏わり付いてくるのを追い払うように、潮は大きなため息を一つ落とした。




