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しおとせお  作者: 柚希
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向かい側の家の女②

 とりあえず仕切り直しに新たにケーキを頼んだ潮は、本題に入った。


「で、あんたは何に困ってるんだ?」


 男三人に囲まれた彼女は最初こそオドオドしていたが、汐緒のニコニコとした笑顔に緊張がとれたようでぽつりぽつりと経緯を話し始めた。

 最近諸事情で会社を休職している彼女は暇をもて余していたらしい。日がな一日ぼんやりとネットの海を漂う毎日の中、ふととあるネット小説を発見した。

 小説とは言っても、それは誰かの日記のような体で書かれたものらしく、読んでいる内に懐かしさを覚えたというのだ。


「題名とある女の話っていう名前で、三日に一回更新されていたんですが、読んでいる内にとある話が私と凄く状況が似ているなって思ったんです」


 作者もどうやら山田と同じように休職しているそうなのだが、その話は夜に見る夢の内容を書き連ねているものらしい。


「最初は私と同じでこの人も休職しているんだ、くらいにしか思わなかったんです。でも彼女が書く夢の内容に、物凄い既視感を感じるようになって、それからふいに思い出したんです」


 細い指先が温かいカップの器を、暖をとるように包む。


「私も昔、同じようなことがあったなって。なんてことのない日常だったから忘れていたんですけど、書いている内容のまんま、私も昔父方の祖父の家の階段で、向かい側の家の窓から女の人と目が合ったことがあるんです。幼い頃の話なので、勿論顔までは覚えていないんですけど」


 そしてその日から、作者が書く内容と同じように向かい側の家の窓から女がこちらを見ている夢を見るようになったという。


「最初は四日に一回くらいで夢を見るようになって、ここ最近では毎日見るようになったんです。親はただの夢だろ、今は心が疲れているからだって相手にしてくれなくて……」


 霊的な類や現象を話の種として楽しむ人間はいても、心からそれを原因の一つだと信じている人間はそう多くはない。彼女の両親が相手にしないのも仕方がない話だろう。


「でも、回を追うごとに鮮明になっていくんです。最初はぼんやり女の人がいるなってくらいしか認識できなかったのに、ある日にはあの人は白い服を着ている、また次の日にはあの人は黒髪で色白だってわかるようになって。私、怖いんですっ。もし、もし、彼女の顔をきちんと認識できた時、私はもう目覚めることはできないんじゃないかって……そんな気がして、眠ることが怖いんですっ!」


 震える指先を眺めながら、潮は顎に触れながら思案する。

 基本的に怪異や霊的なモノに侵蝕されている人間は、残穢(ざんえ)を纏っていることが多い。穢れに触れた人間は、奴らの痕跡が体に染みついてしまうのだ。

 これが知性ある妖怪の類になった場合はマーキングと言って、標的になった人間からは気配が混じった香りがする。

 今回の場合は霊的な類だが、そこまで差し迫った脅威は彼女からは感じられなかった。確かに残穢の名残はあるが、それは侵蝕された人間に対するものというよりも、知らずにそういった場所へ行ってしまった、または通りすぎてしまったというようなものでしかない。

 この世は元から生と死で成り立っている。それ故、死んだ者の思念というものは割とそこらかしこで燻っているので、そこから生じる握りっ屁のような残穢の搾りカスが少しだけ付着してしまうことがある。花粉のようなものだ。正確には残穢の残滓なのだが、これらは基本的に花粉と同じで風呂に入って清潔にしていれば自然と消えてなくなる。


「その小説は今でも見てるか?」

「…………はい、本当は怖いので見たくないんですけど、どうしてか更新されると見てしまって。でも、今日は絶対に見たくないっ!」

「今日が更新日なのか?」

「はい、夕方の十七時に更新します。でも、今日が最後の更新だって前回の小説の最後に書いてありました。だから私、今日が最後だって……これを見たらきっとあの夢は完成するっ! そしたら多分私は目覚めないっ……。目が合ったら終わりなんです!」


 話している内に気持ちが昂った彼女の目は、恐怖で見開いていた。微かに速まる呼吸音にマズイなと潮が動く前に、隣の大きな男がゆったりとした動作で彼女の震える手を両手で包んだ。


「大丈夫ですよ、大丈夫」


 何の根拠もない言葉だが、柔らかな声質が山田を正気に引き摺り戻したようだ。


「ゆっくり息を吸って、吐いて。はい、もう一回吸って、吐いて。……はい、よくできました」


 平常時の呼吸に戻った山田に、汐緒はニッコリと眦を下げて微笑んだ。まるで慈愛に満ちた動物の調教師のようである。

 前方で妙なドヤ顔で奥螺が片眉を上げてこちらを見ているのが視界に入り、小さく舌打ちをして視線をずらした。お前にはできないだろうと、そう挑発している声が聞こえる。


「その小説を書いてる奴も気になるが、とりあえず原因を探るために山田さんの夢に出てくる家に行った方が早いな。……思ったより緊急を要するみたいだし」

「せやねん」

「せやねんじゃねえわ。お前、即死レベルじゃねえって言ってただろうが」

「せやから、即死レベルじゃありゃしませんけど、まあまあ時間ないって言うてますやん。実際、残穢っていう残穢も見受けられませんし、こっちでも緊急性がある派とない派に分かれてましてね。……ま、僕の勘的に放っておくのはあかん気がしたんで、潮ちゃんに話を振ったって訳です」


 当の本人が怯えているからといって、本来なら潮はそれくらいでは動かない。何となく緊急性があるかないかは経験を積むとわかるからだ。しかし今回の場合、依頼人である山田の憔悴ぶりや、どう考えても何かしら影響を受けているであろう言動に、潮の経験から言っても早めに対処した方がいい案件なのは間違いなかった。何の能力もない一般人でも、無視できない直感がある。それは異能力とは異なり、自然に備わっているものだ。人はそれを、第六感、または虫の知らせと言う。


「とりあえず今から行くぞ」

「え?」

「あんたの祖父の家。そこに原因があるなら、とっとと消滅させればいいだけだ」


 デザートの残りを口に放り込んで立ち上がる潮に、山田は言いづらそうに小さく答えた。


「ここからだと早い移動手段でも五時間近くかかります……」

「あ?」

「す、すいません」


 思わずギョッとして声を上げれば、彼女は肩を縮めた。威嚇するつもりはなかったのだが、精神的にも弱っている彼女は萎縮してしまっている。


「場所、どこにあるんですか?」


 そこで空気を読んだかのように汐緒が小首を傾げた。ヘリックス部分についているピアスが、照明に反射してキラリとしていた。


「あ、青森です」


 遠いな、と内心うんざりする。さっさと解決して残された少ない休日時間を満喫しようと思っていただけに、その感情がもろに顔に出た。


「へぇ、青森かぁ。俺、行ったことないんですよ。どんなとこですか?」 

「えっと、高校以来行ってないし、行っても祖父の家近辺しか知らないので、緑豊かな所としか……」

「そうなんですねぇ」


 話を聞きながらスマートフォンで何やらポチポチし始めたと思ったら、彼は目を輝かせて画面を全員に見せた。


「今の時期、ねぶた祭り? っていうのやってるみたいですね。えー見てみたいな」

「呑気か。行ってる暇あるわけねぇだろ、頭ん中お花畑か」

「でも、今から新幹線乗って現地に着いたら車で移動してすぐ仕事終わらせたら余裕ありますよね」

「新幹線なんて今の時期行ってすぐとれるかよ。車だって……」

「ありますよね? だって糀谷さん、全部手配してるでしょ?」


 ニコニコと笑う彼の口元からは、尖った八重歯が覗く。

 奥螺を見ると、彼はニンマリと笑って鞄から大仰な仕草で切符を取り出した。


「あるで」

「あるならさっさと渡せカス!」


 本当に神経を逆撫でしてくる男だ。そもそも切符が始めからある時点で、この状況に最初からするつもりだったのだ。自分に都合の良いように状況を動かす男に、目の下が軽い痙攣を起こす。


「いやん、そんな乱暴に取らんでくださいよ」

「相変わらず性格悪いなぁ」


 朗らかに笑う汐緒は特に気にしていないようだった。


「勿論、仕事のできる僕は汐緒くんの言う通り現地で車も用意してます」

「ですって。早く行きましょ」


 サラリと奥螺を無視しながら、汐緒が立ち上がる。山田にも出るように促し、ついでに潮の手首を掴みながら席を立った汐緒は、にこやかに奥螺に手を振った。


「それじゃあ糀谷さん、ご馳走様でした」

「へ? あ、会計っ……」


 入り口のドアベルが涼やかな音を奏でるのと同時に、奥螺の間の抜けた情けない声が背中に届いた。

 最初からあの男に会計を払わせるつもりだったが、人好きのする笑みを浮かべるこの男が悪びれもなく飄々と奥螺相手にやり返したのを見て、思わず笑いが漏れる。


「はっ……あはははっ」

「? 何か面白いことでもありました?」

「いや、何でもねぇ……ほら、行くぞ」


 不思議そうにしている汐緒から自分の腕をとり返しながら、気分の良いまま駅の方へと向かった。

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