をばれうと鳴き声⑥
繁雄の家に向かう道すがら、丁度村の中央に位置する場所にその像はあった。人の大きさほどの木製のそれは、写真で見るよりも迫力があり、どこか物悲しささえあった。
「これが【オボウ様】の像ですか」
村の守り神にして、夜に子供を拐う魔性を秘めている存在。
先ほどよりもムッとするほどの潮の香りが漂っているのを感じながら像を見ていると、ふいにヨタヨタとした足取りで前方から一人の老人が歩いてきた。老人は潮たちの隣で同じように像を見つめながら、譫言のように小さな呟きを落とした。
「憐れな憐れな」
手を合わせて頭を下げるその様子は、お参りするというよりも、どこか赦しを請うているようにも見える。
「何が憐れなんだ」
潮の言葉に、老人はゆっくりと顔を上げた。しかしその視線は像から離れない。瞬きもせず像を見つめていた老人は、やがて小さく、しかしハッキリとした声で言った。
「羽根を捥がれてしまった。……捥いでしまった。もうどこにも自由に飛べわせん、彼女は」
「あんた……」
「空の女を大地に墜とし、縛り付けてしもうた。海の男たちが無理やり彼女を海の女にしてしもうた。……一生赦されん大罪を犯した、儂らは──」
「ちょっとお爺ちゃん!! 勝手に家から出ちゃダメって言ってるでしょ!!」
何事か言いかけた老人の声は、焦った様子で駆け寄ってきた女性の怒声で儚くかき消えてしまった。
三十代後半くらいの年齢の彼女は傍にいた潮たちに気づくと、声を荒げたことを誤魔化すように愛想笑いを浮かべて何事かを説明する。
「すいません、この人ボケてて。何か失礼なことされませんでしたか?」
「いえ、何もされてませんよ。ただ、この像の話を聞かせてもらってたんです。お爺様は色々詳しいんですね」
ニッコリと微笑む汐緒の顔に、女性は一瞬だけ見惚れるように頬を染めてから「えーもうお爺ちゃんったら、相手させてしまってすみません……」と慌てたように言った。
「昔村長をしていたので、どうも説教臭いですよね」
呆れたように老人を見る女性の言葉に、潮たちは目を合わせる。どうやら探し人は自分からやってきてくれたようだ。
「とっても興味深い話ばかりで、もっと色々話を聞きたいんですが、ご迷惑でなければ」
「ただの田舎の話ですよ?」
「実は【オボウ様】に興味があるんです。大学で民俗学を専攻していまして、お爺様の話を聞いて次の課題にピッタリだなって。……ダメですか?」
スラスラとよくもまあ回る口である。奇特な者見るような顔をしていた女性も、どこか甘えるような響きの声に満更でもなさそうに口元を緩めた。
「貴方がいいなら、まあ……」
「ありがとうございます! 帰りは家まで送るので住所教えてもらえますか?」
見ず知らずの人間相手にそう簡単に住所を教えるものかとも思ったが、ギュッと握られた手にポウっとした女性は汐緒の顔だけを見つめながら易々と教えてくれた。
女性の帰っていく姿を爽やかに眺めている汐緒の腕を肘でつつきながら、舌を出す。
「お前まじ怖い」
「ええ、何でですか」
「サラッて嘘つくじゃん。何だよ大学で民俗学やってるって」
「本当ですよ」
「え、まじ?」
「学生証見ます?」
そこまで興味はないなとだけ告げる潮に、彼は酷いなぁと肩を落とす。適当に返事をする潮の視線は、老人──繁雄にしか最早注がれていない。
「ま、探偵って名乗ったら不審がられて逆にややこしくなってたかもな」
繁雄の名前を口走らなくてよかった。
「爺さん、あんたが繁雄さんだな?」
今の今まで黙っていた繁雄の視線は、像だけに向けられている。一見話などできなさそうに見えるが、その瞳の奥の光は呆けている人間の強さではなかった。
「【オボウ様】について、知っていることがあるなら教えてほしい」
そこで漸く繁雄と目が合った。彼は何か思案するかのように潮を見つめると、一言ボソリと呟いた。
「ついてこい」
背を向けおぼつかない足取りで進む小さな老人の後を二人で追って行くと、一軒の蔵に辿り着いた。漆塗りが施された重厚な鉄金具をあしらった扉は、まるで余所者を拒絶しているかのようだった。
「ここは……」
「村長が代々管理している蔵だ。鍵は当代しか持っていない」
潮の疑問を補うように、繁雄は言った。周囲は木々に囲まれていて、獣でも出そうな有り様である。
繁雄は重厚な扉に手をかけてガチャガチャと開けようとした。
「鍵がないなら開かないんじゃ……」
その時、バキッと鈍い音がして、汐緒の言葉は途中で宙に浮いた。
「……嘘だろ」
割り箸でも割るかのような軽さで重厚な扉を破壊した小柄な老人に、潮は思わず唖然とする。昔の人間は今の若者より力持ちだとは聞くが、皮肉ではなく事実だったか。あまりの出来事に、筋肉がつきにくい己の頼りない上腕二頭筋をふにふにと触った。
「潮さん、あれ筋肉とか関係ないですよ。俺だってあれを壊すのは無理です」
潮の様子を見ていた汐緒が耳元で囁く。
「……怪力を貰ったというのは本当みたいですね」
「……だな!」
体格に恵まれている年下の男の背中を殴る勢いで叩いて頷くと、流石に痛かったのか彼は潮の手首を掴んでやめさせた。
「何をしておる。こっちに来い」
繁雄は潮たちの様子なと全く興味はないようで、薄暗い蔵に電気を点けるとさっさと奥に姿を消した。言われるまま二人も蔵に入ると、何かを探すように繁雄が色々な箱を広げていた。
「あんた、怪力を貰ったって話は本当だったんだな。大人になると使えなくなるって聞いてたが」
「使えなくなるフリじゃ。儂もあの小僧も」
「! 小僧って沖嶋満のことか?」
目当ての物がないのか、繁雄は無造作に箱をおくと、また新たな箱に手を伸ばす。
「沖嶋さんは怪力のことをどうして隠していたんでしょうか」
「罪の重さに耐えきれんからだ。儂らのこれは、生贄の命でできている」
「……ちょっと待て。それって行方不明になった子供と関係してるってことか?」
ふいに手を止めた繁雄の目が、こちらを向く。深い底無しの悔恨がそこにはあった。
「そうじゃ。子供が行方不明になった後、彼女は村の人間の誰かに力を授ける。そういう決まりじゃ。力を授けられた人間が生きている内は、滅多なことでは海は荒れんし、不漁の年もなくなる」
行方不明事件と力を授けられることは繋がっていた。因果関係があって、行方不明者が出ることが先だったのだ。繁雄が言ったように、まさしく生贄を差し出して、そうして力を得ていた。
「お前ら、まさか村の人間が拐っていたのか?」
「それは違う。儂らはあくまで家に子供を閉じ込めなかっただけじゃ。夜になって、子供を一人にして、ただ何も言い含めず玄関の鍵を開けていた。そうしてただ、選ばれた子供が外に出ていくのを待っていた」
選ばれるのは身体や知能に問題がある子供だったという。昔は村がたちいかなくなった時、近年では知能に問題がある子供をもて余している家が対象になったという。
悍ましい話だ。いつだって痛ましい悲劇の渦中にあるのは人間の浅ましい欲望だ。
怪異も妖怪も、恐怖や呪いを振り撒くが、それは人間にとってたまたま脅威になるだけで──自然災害に近い、悪意を込めて悲劇を生み出すのは総じて人間である。
この世で一番穢らわしく悍ましく恐ろしい生き物は、きっと人間だ。人間は生きていても、死んでいても害獣なのだ。死霊の相手をする時が一番しんどいのも頷ける。
「胸糞が悪い」
毎度毎度この仕事をする度に目にするのは人間の業だ。救いようがない──救えない。
潮の言葉に、繁雄は頷いた。
「このことを知っているのは村の村長と重役、それから力を授けられた人間だけじゃ。儂も子供の時に全て見た、聞いた。……儂のハトコも力を授けられた。あいつは罪の重さに耐えきれんで、成人前に海に身を投げてしまったが……」
その言葉を聞いて潮は眉をひそめながら、ハッと嘲笑う。
「それで今度はあんたが罪の重さに耐えきれなくてオレたちに今【オボウ様】について話してるって訳か?」
「そうとって構わん」
「罪滅ぼしのつもりか? ……誰かを犠牲にし続ける村に、未来なんかねぇんだよ」
「わかっている。罪滅ぼしなんぞできるわけがない……だが、もう犠牲になる子供は出したくない。お前たちは、本当はこの間いなくなった娘を探しているんじゃろう? 身体だけでも、見つけてあげてやってくれ」
その口ぶりはまるでもう理恵がこの世にいないことを示唆していた。
「まさか、また新しく力を授けられた子が出たんですか?」
沈黙は肯定だった。そして一つの事実に気がついて、舌打ちをする。
沖嶋満は知っていた。この行方不明の渦中にいるのはあの男である。
腹の奥が鉛を含んだように重くなる。苛立ちのまま吐き捨てようとした潮の視界に入ったのは、繁雄の疲れはてた顔だった。そこにいたのは断罪を待ち望む、哀れで矮小な老人だった。
「ちっ」
苛立ちを呑み込みきれず舌打ちが出たが、あえて潮は何も言わず両腕を組んで近くに合った大きな木箱の上に座った。
それを見て繁雄はまたよろよろと探し物を再開した。
「何を探してるんでしょうか?」
「さぁな。……あ? 電話だ」
チラリと液晶画面を見ると、浮かれた頭の色をしている烏天狗からだった。
「何だよ」
「あ、やっと出たぁ潮ちゃん」
どうやら先刻から電話をかけていたようで、電話の向こうからプンプンと口で擬音を発しながら怒りを表している。
「要件は何だよ」
「もーつれない! せっかく特定できたのに」
「あ?」
「だから特定したんだって! やっぱりオレの言った通りウブメだよ!」
「いや、それは違うって話だったろ」
「それはスタンダードのウブメ。ある話ではウブメは大力を授けるって話があるんだけど、なんか似たの聞いてない?」
「大力、この村でもそうだ」
軽く説明すれば、やっぱりね、と一久が呟いた。
「たぶんさ、外国のウブメだと思うんだよね」
「外国?」
「うん。文字はおんなじだけど、呼び方が違うんだよ。姑に獲る鳥って書いて姑獲鳥」
中国では鬼神の一種とされている存在で、夜間に飛行して幼児を害するのだという。他人の子供を奪って自分の子供にする習性があり、また鳴く声は幼児のようだという。毛を着ると鳥に変化し、脱ぐと女の姿になる。
「ウブメと姑獲鳥は同一視されてるって話があるんだよね。元は違う妖怪なんだけど、年月や交流を経て混ざったんだろうね。尾鰭も、海岸から龍燈が現れて陸地に上がるって話が姑獲鳥が運んでるって言い伝えられてるところもあるから、それも影響してるのかも」
「……なるほどな」
「ま、とりあえずその毛皮燃やせば弱まるから、ほぼ無効化できるよー」
オレ偉ーいと自画自賛してる声が耳を打つ。
「潮さん、これ」
繁雄が探していたものでも見つかったのか、通話の途中で汐緒に名を呼ばれ立ち上がってそちらにいくと、箱の中に美しく輝く毛皮のような物が入っていた。
「……一久」
「んえ?」
「今度オレをおやつにしていいぜ」
「え、まじ!?」
「よくやった」
え、嘘今褒めた?! 素っ頓狂な声を上げる一久を無視して通話を切ると、潮は箱の中身を見下ろした。




