をばれうと鳴き声⑤
その村は磯の香りに満ちていた。九月が終わるというのに未だ居残り続ける夏の暑さに辟易していた潮は、村の涼しい風に少しばかりテンションを上げていた。
「涼しいですね」
新陳代謝のよい汐緒も、どこか嬉しそうにしている。
「動きやすくていいな」
二人が向かったのは磯村の友人の実家だという民宿である。こじんまりとした、いかにもな外観の民宿の扉を開ける。
磯村から話は聞いていたのか、彼の友人であろう似たような年齢の男とその母親であろう初老の女性が出迎えてくれた。
男は、沖嶋満と名乗った。潮たちのことは祓い屋とは話していないようで、探偵事務所の人間として派遣されたことになっているようだった。潮からしたら寝耳に水だったが、どうやら汐緒の方は磯村から連絡を受けていたようで、何食わぬ顔で探偵として振る舞っている。
「探偵さんっていうより、俳優みたいねぇ二人とも」
テーブルの上に並べられた手料理を美味しそうに食べる汐緒を眺めながら、潮は遠い目をする。丁度昼時だから食べてくださいと出された料理を拒否する間もなく、いつぞやと同じように汐緒主導で食べることになった。
(いや、旨いんだけどさ……)
そして流れるように行方不明当日の話を聞き出す手腕に、いつもながら舌を巻く。他人の懐に入るのが格別に上手いというか、人懐っこい様子に大抵の人間が警戒心や猜疑心をどこかに放り投げる羽目になる。
「じゃあ、行方不明になった当日理恵さんに可笑しな様子は見られなかったんですね」
「そうね。赤ちゃんもできて、凄く嬉しそうだったもの。自分からいなくなるなんてあり得ないわ」
新鮮な刺身に舌鼓を打ちながら二人の会話を聞いていると、ふいに沖嶋妙子が目を伏せた。
「きちんと話してあげればよかった。まさか満が話していないなんて……」
「仕方ないだろ、そんな話、ただの迷信だと思ってたし」
妙子の隣に座っていた沖嶋が困ったように眉を下げる。
「あんただって、子供の時近所の子がいなくなったの覚えてるでしょ!」
「だからってそれがよくわかんない【オボウ様】の仕業だなんて、大人になってまで信じてる奴なんかいねぇよ! 皆子供の時は大人が口を酸っぱくして言うから守ってただけで、眉唾もんだと思ってる」
「ちょっと待て。以前も同じようにいなくなった奴がいたのか?」
喧嘩になりそうな親子の間に、思わず割って入る。過去にも拐われた話があるのなら、この件は人為的ではなく怪異が関わっていることが濃厚になってくる。
「私が知る限り、二人子供が行方不明になってるわ。一人は私が子供の頃に、一つ上の男の子。もう一人はこの子よりも六つ年上だった十一歳の近所の女の子が、急にいなくなってしまったの。当時警察も動いて騒ぎになったし、村の人間皆で探したけど、結局誰も見つからなかった」
「遺体もか?」
「えぇ、遺体も」
もし仮に子供が海に落ちたというのなら、見つからない可能性はある。大抵潮や風に乗ってその場から遠く離れた場所へ流されるからだ。とはいえその後は腐敗して沈下している間でなければ、その体はまた浮上するので誰かに発見されることは多々ある。
「当時不審な人間はいなかったか?」
「いなかったわよ。昔は全然観光客なんて来なかったから、そもそも村に外の人間が入ってきてたら目立つもの。今は観光客がたまに来るけど、だとしても、一瞬で女性を拐うなんてできないと思う」
それは潮も同じ意見だった。浜辺にいた身重の人間が一瞬で海に消えるなど到底ありえないし、一緒にいた磯村に気づかれず拐うことなど不可能だ。
「【オボウ様】の由来って何からきてるんですか?」
「わからないわ。ただ、漁で生計を立てていた村人たちに不思議な力を授けたりしてくれるから、私たちは海の神様だと思ってるけど」
妙子の言葉に、汐緒と目を合わせる。海の神だと思っているから像に尾鰭がついていたのか。ならば、鳥のような形はどこからくるのだろう。
「不思議な力を貰った人は本当にいたんですか?」
「いたわよ。私が知る限り当時村長だった人もそうだし、満だって……」
「母ちゃん!!」
遮るようにテーブルが強く叩かれた。バンっと激しい音と共に俯いていた満の目が鋭く母親を射ぬく。
「な、何あんた急に……」
「馬鹿くせぇ迷信なんかペラペラ喋んなよ、恥ずかしい!」
荒々しく席を立っていった息子の様子に呆気にとられていた妙子は、ハッとしたように愛想笑いを浮かべた。
「ごめんねぇ、あの子理恵ちゃんとも大学で仲良かったみたいだから、やっぱ気が滅入ってるみたいで」
「いえ、気にしないでください。……それより、さっきの話って」
「あ、あぁ、力を貰った人の話よね。……これを言うと満は覚えてないって怒るんだけど、あの子も小学校に上がる前に不思議な力を貰ってるのよ」
「それはどういった力なんですか?」
「……不思議と言っても大した力じゃないのよ。大人になる前にはもう使えなくなってたみたいだし」
少しだけ逡巡するように言葉を濁してから、彼女は観念するようにため息をつく。
「怪力を与えられるのよ」
「怪力、ですか?」
「あの子がね、急に言ったの。貰ったって。誰から何を貰ったのって聞いても、よくわかんないけど貰ったってしか言わなくて。……でも何を貰ったかはすぐにわかったわ。次の日にあの子が軽く叩いたテーブルが真っ二つに割れたのよ。その後も大変で、力の制御ができないのか服を着ることすら儘ならなくて、一度癇癪を起こしたあの子を止めようとした旦那が大怪我を負ったこともあったわ。……それから一年くらいして制御できるようになって、気づいたらその力もなくなってたんだけど」
漁をするには力が要る。【オボウ様】が与える力が怪力だとして、今のように機械に頼った漁ができない昔の人間からすればその力は村の食い扶持を増やす豊穣の力にでも見えていたのかもしれない。ただ、直接魚の量を増やす力ではないので、不漁になった時には無意味でもある。
(漁村だったから無理に海の怪異と繋げたのか、だとすれば鳥はどっからきたんだ?)
最後のだし巻き玉子を口に放り込みながら思案していると、綺麗に食べられて空になった皿に気づいた妙子が驚いたように声を上げる。
「お兄ちゃん華奢なのに良い食べっぷりね。よく食べる子は好きよ~」
嬉しそうに皿を片付ける妙子に「ご馳走様でした」と呟くと、彼女は日に焼けた顔をくしゃくしゃにして快活に笑った。
「ホントだ、いつの間に食べちゃってたんですか潮さん」
「ちゃんと話は聞いてた」
「別にそこは疑ってませんよ」
クスクスと可笑しそうに肩を揺らす汐緒ね肩を軽く殴りながら、忙しそうに食器を片付ける妙子に声をかける。
「あんたの息子の他に、もう一人怪力を貰った奴って今どうしてる?」
「繁雄さん? あの人今は村長を退いて隠居してるわよ。それにボケてきてるから、話をしても多分会話にならないわ」
認知機能に衰えがあるとは言え、何かしらの手がかりにはなるかもしれない。そう思った潮たちは妙子から繁雄が住んでいる住所を聞き出すと、民宿を後にした。
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ゆりかごのうたを
カナリヤが唄うよ
ねんねこねんねこ
ねんねこよ
泣きもしない赤子のために栄養にもならない乳をあげる女のために、綺麗な声が代わりに唄う。のびやかで緩やかな透明感のある歌声を、しかし女は血走った目で遮った。
「えぇ~キミのために唄ってあげたのに」
上半身裸の蒼白い女の肩甲骨には、酷い傷痕が刻まれている。あまりにも哀れなその様に、歌声の主は自分が着ていた大きめな上着を羽織らせた。
「昼間はまだいいけど、夜は冷えるよ」
赤子を抱いていない方の左手が、勢いよく歌声の主の細い首を掴んだ。女の大きな手には、柔らかな肌など簡単に引き裂けるほどの鋭い鉤爪が光っている。
「ボクを殺すの?」
幼い声が淡々と問う。怯えるでも怒るでもなく、歌声の主の声は平然としていた。
答えは知っていたからだ。
「できないよね、この姿じゃ」
ぎぃ
ぐぅぁぁぁ
女の喉から怨嗟の音が漏れるのを、歌声の主は揶揄するように手を叩いて笑った。
「キミたちって本当に影響を受けやすいよね。ま、集合的無意識から共通認識にむりやり固定したのはボクだけど」
無邪気に細めた丸い目に浮かぶのは深淵のような虚ろな底である。
女はそれを見て怯えたように体を離した。
「ふふ、可愛そう」
弱々しく、飛び立つ手段も気力すらない、哀れな女。
彼女を見ていると、昔羽根を毟って遊んでいた虫たちを思い出す。
「楽しかったなぁ、なんか楽しいこと起きないかなぁ」
子守唄の続きを思い出せず、ぼんやり空を眺めていると、ふいに懐かしい気配を感じて目を瞬かせた。
「……久しぶりな気配がするなぁ」
いつだったか、誰だったか。
記憶が最近特に朧気だ。やはり、子供の姿だとあまり記憶が定まらない。
「アハハっ!」
角で震えている女の姿は、最早歌声の主の視界には入っていなかった。
無邪気なのに悪意に満ちた笑い声だけが、森の中で響いていた。




