をばれうと鳴き声②
それは温泉街で有名な場所に建っていた。百年以上続く老舗の旅館で、そこに住んでいる者は勿論、古くからのリピーターに愛されている場所だった。
「旅館、ですか?」
「ん。ここの温泉はいいぞ。一番霊力回復に効く」
レトロながらも改装を重ねていて、けして古びた印象は受けない。日本人にはどこか懐かしさを感じる、しかし豪奢な旅館である。正面から見る入母屋屋根の厳かな美しさは、夜になると室内からの灯りを纒い、昼間とは違い艶やかさすら感じられる。
「あ、犬神ちゃんと制御しとけ。驚いて咄嗟に敵意見せたらヤられるから」
「一体どんな化物がいるんですか」
苦笑する汐緒に、内心まあまあ事実だしなと思う。
入口をくぐって素足のまま中に入ると、エントランスに見覚えのある顔がこちらに気づいて一瞬だけ表情を固めたが、すぐに柔和な胡散臭い笑みを浮かべて口を開いた。
「お客様、大変申し訳ありません。当旅館は、事前予約の方のみとさせていただいております」
「まだ名乗ってねぇのに、予約してないってわかんのかよ」
「当旅館は、本日は満室でして。大変恐縮なのですが……」
「あーもういい。デザートだ」
受付係の正体に気づいたのか、少しばかり固まっていた汐緒の腕を引っ張り差し出す。
状況が呑み込めないまでも困ったように人好きのする笑みを浮かべる余裕があるのは、新人ながら胆力がある。
「……ご案内いたします」
もう一人の受付係にその場を任せ、彼は柔和な表情を崩さず奥の部屋へと潮たちを案内した。淡い茶色の髪を眺めながらついていくと、静かに部屋に通される。さっさと座る潮とそれに促され座椅子に腰掛けた汐緒を視界に入れながら、彼──八千緒は後ろ手に襖を閉めるとスッと表情を消した。
「アポもなくいきなり来られては困ります」
「あー急だったから忘れてたわ」
「貴方はいつもですよね。毎回毎回毎回毎回、私はお伝えしておりますが、貴方の脳ミソは烏天狗ほどの大きさしかないのですか?」
「悪かったって。ほら、極上のデザート用意してきたから」
放っておくと延々と嫌味を言われるので、うんざりしながら汐緒を指差した。人間離れした美しい顔にはハッキリと早く帰れと書かれていた。
「潮さん、アポとってなかったんですか」
「とっても無視されるからとらないだけだ」
デザート発言よりもアポをとっていないことがひっかかったようで呆れを滲ませる汐緒に、小声で言い返した。
「……ふむ、なるほど犬を飼ってる一族の子ですか。霊力も、まあ良いでしょう」
八千緒の言葉に、おっと片眉を上げる。選り好みが激しい八千緒が良いと言うことは、物凄く霊力が豊富で強く、味も好みだということだ。
奥螺でさえまあまあの判定しかもらったことがない。
「それで要件は?」
「あの、それよりもデザートって」
流石に気になったのか突っ込まれた。まあ、汐緒なら拒否することはないだろうが、流れでヌルっと進めるつもりだった潮は、真正面から八千緒の視線を浴びて唇を尖らせた。
「説明もせず彼をつれてきたのですか?」
「……今説明がてらお前に要件を言おうと、あぁ、もう、悪かった。今すぐ説明する」
八千緒の機嫌を損ねると厄介だ。ただの人間相手ならこうも下手にはでないが、彼らを敵に回すのは祓い屋としてもただの自殺行為な上、協力関係を崩すのは避けたい。
「汐緒、こいつは八千緒。八千緒、こっちは汐緒。今一緒に行動してる」
紹介された汐緒は律儀に頭を下げた。前に座った八千緒は冷めた目で汐緒を眺めている。八千緒は自分の主以外は羽虫にしか思っていないので、彼の態度は今更だった。一々気にしてはいられない。
「八ツ森旅館──まぁ、八ツ森の家を守ってる。祓い屋の家系じゃねぇが、この家は少し特殊でこいつ以外にも後七体家に憑いてる。見て気づいたみたいだが、妖怪だ」
日本古来より語り継がれている力の強い妖怪、八岐大蛇である。




