向かい側の家の女⑫ 完
屋敷の外はいつの間にか雨が上がり、乳白色の光が反射して眩しかった。
「これで終わったのね……」
「ああ。もう夢も見ないだろ」
残穢の欠片も残さず浄化し祝詞も捧げたので、二度とあの女がこの世に現れることはないだろう。
「私、ワンピースなんて動きにくいもの嫌いなのよね」
汚れたスカートの裾を叩きながら唐突に彼女は呟く。
「影響受けてたんだろ」
「え?」
「大抵憑かれた人間はそいつの支配下に置かれているから、言動も影響を受けることが多い」
精神的に不安定になっていたから漬け込まれたのか、精神的に不安定にさせられていたのか、それはわからないが、どちらにせよ影響を受けていたことは間違いない。
「そう、だったのね。……でも、だからと言って私のしたことは許されないわよね。あの時は私以外の人間皆不幸になればいいと思っていたけど、それじゃあ桜さんと同じだわ。例えそう思っても、絶対行動に移したらダメだった」
「まあ、それはそう。……でも、あんたは自分でケジメをつけた。もう二度と、あんたは悪意や呪いをバラ撒いたりしねぇだろ」
「勿論よ」
「だったらいいんじゃね? 他人を害することに慣れたアホよりは、マシなんじゃねぇの」
そう言えば、田畑は驚いたように目を丸くした。
「意外だわ、もっと当たり前だろボケとか言われるかと思った」
「はぁ?」
「だって、貴方最初怖かったもの」
「潮さんは口が悪いだけで優しいですよ」
ヌウっと汐緒の腕が伸びて肩を組まれる。
ニコニコと笑う得体の知れない年下の男の脇腹を小突いていると、彼女は小さく頷いた。
「わかってるわ。きっとあの時も、被害者のために怒っていたのよね」
「いや、ちょっ、はあ?」
二人で勝手にうんうんと納得するように頷いているのを見て、頬に熱が宿る。
人を勝手に良い人間のように言うなと語気を強めても、したり顔で流されるだけだった。
一気に疲れた潮とは対照的に、田畑の表情は生気に満ち、まるで別人のように明るかった。
憑き物が落ちたよう──実際落ちたのだが、彼女は溌剌とした声で笑った。
「よし、私ももう引き籠って悲劇のヒロインぶるのはやめるわ。あんなクズじゃなくて、世の中にはもっと良い人がいるもの」
宣誓するような力強さで言う彼女の顔には、これからの未来に対する希望のようなものが浮かんでいる。
それに少しだけ口元を緩めながら、潮は車の鍵を取り出した。
※※※※※※※※
「今回の件、お疲れ様でした」
「まじでな」
田畑の件から二日後、潮は奥螺といつもの喫茶店で顔を付き合わせていた。
「まあ、田畑さんの分も依頼料入るんやから、棚ぼたやん」
「棚ぼたな訳あるか。正当な報酬だわ」
汐緒が間に入ったお陰で、加害者ではなく依頼者として事が進んだため、田畑にもきっちり請求書を渡している。本人も払うつもりだったため揉めたりはしなかったが、請求金額を見て目をひん剥いていたのは記憶に新しい。拝み屋よりも祓い屋の方がどうしても依頼料は高くなる、仕方がない。
彼女自身以前の所はキッパリと辞め、新しい病院に勤めることにしたそうで「看護師は職に困らないのよ。いつでも人手不足だから」とのことだった。
「で、何かわかったのか?」
鼻に皺を寄せて煙草の煙を払いながら、奥螺は曖昧な表情を浮かべた。
「こっちでも調べましたけどね、まあ、十中八九呪い屋が関わってますね」
「だろうな」
田畑があの女に目をつけられたのが幼少期の頃だったとしても、夢に出てくるまでタイムラグがあった。例えトリガーがあった──可哀想な状況により呪いが発動したとしても、周囲に伝染させるほどの力が桜にあったとは思えない。
「第三者の手が加わったのは明らかですけど、相変わらず奴さんなんも手がかり残していったりしないんですもん。残穢を辿ろうにも途中で陽炎みたいに消えてまうし。個人として手がかり残さんくせに、第三者がいたって痕跡だけ残して、今流行りの匂わせ系でも気取っとんのやろな。ええ性格しとりますわ」
呪い屋の性分は得体が知れない。他人を煙に巻くように正体不明なのが奴らなのだ。
人を食ったような態度で同じように煙に巻くタイプの奥螺は、特別呪い屋相手だと嫌悪感を示してやりづらそうにしている。
(同族嫌悪だな)
紫煙を燻らせながら頬杖をついていると、潮の思考を読んだように彼はその薄い唇に作った笑みを刻んだ。
「なんや失礼なこと考えてへん?」
「別に?」
「……はぁ、まあいいですわ。それよりも汐緒くんどうでした? 彼使えるやろ?」
脳裏に彼の犬神を思い出して眉を寄せる。
「使えるつうか、いや、あいつ何者なん? 分家の新人が使役するにはあの犬神ヤバすぎるだろ」
桜の霊が半分ほど弱っていたとはいえ、あまりにも一方的に力を行使し制圧してしまった。並大抵の霊力ではそもそも顕現することすらできないだろう。
「しかもあいつ、顕現詠唱略してたぞ」
憑きモノ筋の家系では十三を過ぎると自分の傍に使役する獣を置く。疑似調伏といった儀式を行い、自らの実力にあった獣を使役するのだ。つまり、力で制圧屈服させ、己が主だと示す必要がある。それは犬神を相棒のように扱う犬塚家も例外ではない。
「あら~あの子のこと気になりますのぉ?」
「うっぜ。いい、やっぱ聞かねぇ」
どうせ話すつもりもないのだろうが、薮をつついて蛇が出ても面倒だ。
「ま、それは追々本人に聞いたらええで。次も一緒に仕事するんやし」
「は?」
消そうとした煙草が無残にも灰皿で散る。
「潮ちゃんと相性良いみたいやし、犬塚の当主様も安心して任せられるって言うとったで。新生しおせおコンビ誕生やな!」
「いや、ふっざけんな! 人が知らねぇところで勝手に決めてんじゃねぇぞっ」
胸倉を掴んで揺する潮の顔の前に携帯を出して、彼は余裕の笑みを浮かべた。
「汐緒くんとセットの仕事は、報酬額プラスにこんきつきますけど、どないします?」
「おま、こんな額どっから……」
思わず携帯に示された金額に目が釘付けになる。
「犬塚家当主からですね」
「いや、まじあいつ何者なんだよ……」
絶対に面倒臭いことに巻き込まれる気がする。本家の当主が分家の人間に対して過保護が過ぎるのだ。
お家騒動のゴタゴタでもあるのではないかと訝しく思いながらも、やはり人間金に心が浮わついてしまう現金な生き物である。
「どないします? 断りますか?」
最早答えなどわかりきっているだろうに、煽るように催促する奥螺が鬱陶しいことこの上ない。
「面倒は見ねえぞ……あくまで一緒に行動するだけだ」
金に目が眩んだ愚か者と蔑まれても構わない。人は働かなければ、金がなければ生きられない──世知辛い世の中である。
「ほな、決まりですね」
苦虫を噛み潰したように舌打ちする潮とは対照的に、奥螺はどこまでも楽しげに笑って、ポンっと一つ手を叩いた。
向かい側の家の女 ~完~




