向かい側の家の女⑨
奥螺に手配してもらった車を運転すること二時間、緑豊かな風景を視界に入れながら車を走らせていると、途中でダム湖の横を通った。
(やけにいるな)
ダムで死ぬ人間は珍しくもないが、それにしても数が多い。
汐緒も視えているだろうが、特に話題にはせず顔色の悪い田畑の緊張を解している。
ダム湖の真ん中からいくつもの青緑のような青紫のような独特な色をした手の集合体が、上へ上へと絡まり合いながら伸びている。
それを視界から外して暫く走っていると、ぽつぽつと民家が立ち並ぶエリアに出た。
随分とこの場所は生垣に囲まれている家が多い。民家が立ち並ぶ細い道路を走っていても、遥か先まで緑の壁だった。
「そこの家よ」
古い家の前で車を止めると、玄関の隣にある大きな窓から老人がこちらに気づいて立ち上がる姿が目に入った。田畑の祖父だろう。
「先にお祖父さんから話を聞いてからにしますか?」
「そうだな」
夢を介して他人を取り殺せる力を持つほど強大になってしまった霊的存在は、力づくで祓っても完全には消滅しないことが多々ある。
ああなってしまったモノは、この世の縁、または存在を確定させるための核となるものが必ずあるからだ。普通の個体なら本体を祓えば終わりだが、力を増幅させた霊的存在ほどこの世に凄まじい執着や怨念を残しているため、祓っても核自体を壊さなければ永い年月をかけていずれは復活してしまう。
弱点になりえる話は聞いておいて損はない。
山田の件は急だったため例外だが、基本的に祓い屋の仕事は原因の調査から始まる。調べ、知ることによって何が相手の弱点になりえるのか思考しながら祓うのだ。たまに依頼人の中にも勘違いしている人間がいるが、祓い屋の仕事は割りと地味なのである。
不思議な力でぽぽぽぽんっとどうにかできる訳ではない。そんなアニメのような話は現実にはないのだ。
玄関で田畑の祖父に出迎えられた潮たちは、お茶の用意をするという彼に断りを入れて、すぐさま本題に入った。
畳の上に全員が座るのを確認してから口火を切る。
「裏にある家は昔からあるのか?」
「あ、あぁ……わしが産まれる前からあったが、あの家がどうかしたのか?」
孫の様子が気になるのか、先程から視線はずっと田畑に向いている。彼女がどこまで説明したのかは知らないが、夢の話をしていないことは明白だった。
「ちょっと気になることがあって……お爺ちゃん、教えて。そしたら私、きっと事態が良い方向にいくと思うから」
顔色が悪い孫を心配そうに見つめながらも、それ以上詳しく彼女が言わないことを悟ったのか、祖父は何も聞かずに話し出した。
「あそこの家は、元は地主の一家が住んでいたんだよ。大きい家でな、人の出入りも多かった。旦那さんと奥さん、それから二人の息子と一人娘が住んでいて、その一人娘は体が弱かったんだ。名前は確か、桜……だったか」
「その娘はどんな奴だった?」
「年が離れていたからあまり関わりがなくて、あまり覚えておらんな。ただ、たまに外で見かけた姿は、楚々としたべっぴんさんだったな。いつも白いワンピースを着ていて、性格も大人しくて優しいって評判だったはずだが……」
「優しい?」
昔を思い出すように、彼は目を閉じる。
「あまり頻繁に学校に行けなかった彼女は、仲間外れにされてる子や、貧乏な家の子相手でも気にせず声をかけて家に招待してたな。どんな人間でも平等に接していたから、大人たちからは評判が良かったはずだよ」
体の弱い、優しい娘。
「その家に今も住んでるのか?」
「いや、彼女はもう亡くなっているよ。わしが小学校高学年、だったかの。元々体が弱かったから、そのせいだろうって。彼女が亡くなってからすぐに、何故か地主一家も違う家に引っ越してしまったんだが」
「引っ越した? じゃ、じゃあ、あの家にはもう、ずっと誰も住んでなかったってこと?」
震える声で田畑が言った。
どうやら話を聞く限り、田畑が幼い頃に見た女はとっくにこの世にはいない桜という女で確定だろう。
「そうだな、引っ越してはいるが、売らずにそのままなんだ。建物も大分古くなっているから倒壊しそうで、早く取り壊すか売ればいいのに、何故かそうしないんだ」
「地主一家はそれからは一度もあの家には来ていないのか?」
「わしの知る限りでは来ていないな。……すまんな、わしではあんまり詳しいことまでは、あ、久子に聞いてみるか」
「久子さんとは?」
「祖父の姉よ」
汐緒の問いに蒼白い顔のまま田畑が答える。
「久子は何故か、桜さんのことを嫌っていてな。同級生だったから、わしよりはもしかしたら詳しいかもしれん」
彼が連絡をすぐさまつけてくれたお陰で、この後その久子という人物に会うことになった。
「今なら家に居るから、話聞きたいなら来いって」
「あぁ、わざわざありがとうございます」
にこやかな笑みで頭を下げる汐緒に、彼は好々爺の笑みを浮かべた。いきなり孫と共に現れて説明すらしない不審な男たち相手にも丁寧な態度を崩さない、器の広い人間だ。
潮が彼の立場なら訳がわからなすぎて門前払いするだろう。
時間がないのでさっさとお暇する三人を玄関まで見送りしてくれた彼は、最後にただ一言、田畑にまたいつでもおいでと声をかけた。
田畑の濁っていた目が少しだけ潤んでいるのを車のミラー越しに見ながら、小さく呟く。
「あんたの爺さん、良い人だな」
潮の言葉に彼女は少しだけ口元を緩めて、それから祖父がいた玄関を眺めた。
「そう、良い人よ。お父さんも、お爺ちゃんそっくり。……だから、言えないの」
それは心配をかけたくないということなのか。彼女はそれっきり口を閉ざしてしまった。
潮も教えられた地図をカーナビにセットしながら、それ以上は喋らなかった。
ゆっくり車を発進させていると、いつの間にか淀んだ空が視界に入る。ぽつぽつと小さな雨粒が窓に落ちてくる音を聞きながら、天気があれそうだとぼんやり思った。




