第9話 未知への挑戦
朝。レオンはいつものようにギルドの扉をくぐった。少しずつ顔を覚え始めたのか、受付の者も短く会釈を返してくる。
だが、ひそひそと背後で囁かれる声が完全に消えることはない。
(スキルなしのくせに、一人で討伐をこなしてるって?)
(いや、ただのまぐれだ。運が良かっただけだろう)
いつものことだ。もうどうでもいい。
レオンは掲示板へ向かった。今日も何か、できる依頼があるかと目を走らせる。
そして、目に留まる。
【特別依頼】辺境伯爵家より】
依頼名:遺跡探索(偵察任務)
依頼主:辺境伯爵ギルベルト・ヴァルツェン
依頼内容:魔の森の奥にある未踏の古代遺跡に関する偵察および簡易調査
報酬:金貨五十枚以上、成果に応じて増額
条件:単独行動可能な者、自己判断で撤退できる者、生存を最優先とすること
「……辺境伯爵家?」
レオンは思わず声に出した。
その名は忘れるはずがない。父や兄が“畏れと羨望”を抱いていた上位貴族。しがない男爵家とは比べようもない、遥かな高みにいる存在。その辺境伯爵家が、以前から出していた遺跡の探索依頼を更新したのだ。
「ふん、また無茶な依頼を……」
「魔の森の奥だぞ? あんな場所に行きたがるやつなんていねえよ」
後ろの冒険者たちが、苦笑混じりに依頼を見ている。
(辺境伯爵家か……)
レオンは少し考え込んだ。
辺境伯爵家は中央で言えば、侯爵にも相当する家柄であり、彼の父や兄が口を挟むような立場ではない。となれば、自分がこの依頼を受けても、何も問題はないように思える。むしろ、そんな家に何か言えるわけがないことを、彼はよく知っていた。
(まずはギルド内で情報収集をしてみよう。掲示板の情報は、あくまで表面的なものに過ぎない。遺跡には未知の危険が潜んでいることが、十分予想されるだろうし)
ギルドにある資料や、現地で過去に探索を試みた者たちの、噂話を集めることが基本中の基本。そうと決まれば、ギルド内で他の冒険者たちの噂話を集めてみることにする。
まず、過去に魔物討伐や遺跡探索に関わった冒険者たちの話を聞いていく。彼らがどんな情報を持っているのか、それが次の行動を決める重要な手がかりとなる。
「あの遺跡、見つけられても、その先がな……」
「確かに、入口っぽい場所は見つかってる。でもそれっぽいだけで、入れねえから結局断念したって話だな」
「そもそも魔の森の中だから、途中で迷ったり、帰れなくなる奴が続出してる」
そうした会話を耳にする中で、レオンは次第に遺跡探索の難易度が高いことを実感し始めた。ただの遺跡探しではない。魔物が潜む森の奥深くに眠る古代の遺跡。その挑戦に対する準備は、予想以上に重要だということを再認識する。
「やっぱり、簡単な仕事ではないんだな」
レオンはギルドの資料と冒険者たちの噂を基に、遺跡探索の準備をしっかりと整えなければならないと感じた。
未知の魔物、そして道に迷う可能性。これらすべてを考慮に入れた準備が必要だ。遺跡への道は簡単ではない。だが、それが逆にレオンの心を燃え上がらせた。自分が成し遂げるべき挑戦、その先に何が待っているのか、確かめたくてたまらない。
これまでいくつかの依頼をこなしてきたものの、どうしても今一つ、何か足りない気がしていた。そして、ここへ来て、遺跡という未知の場所への探索、それが自分にとって新たな挑戦になるだろう。
次にギルドの受付に足を運び、遺跡についての資料を探し出してもらった。受付では辺境伯爵家からの詳細な地図と説明が渡された。遺跡は領地の北端、深い森の中に位置しており、通称“魔の森”と呼ばれる場所だ。その名の通り、森の奥地には恐ろしい魔物がひしめいており、過去に幾度か探索隊が派遣されたが、帰還した者は少ないという。
「……魔物か」
レオンは地図を広げながら呟いた。
「この辺境伯爵領の遺跡についての資料は、ここにありますが……古いものなので、かなり情報は少ないですね」
受付の女性──サーシャが差し出した資料には、二百年以上前の文明が関わっていることが記されていた。
資料には 「大昔、この地域に存在した王国があった」という記録があり、その王国の遺跡が魔の森の奥深くに眠っているのだという。
「二百年ほど前にその文明は滅んだと言われています。その後、遺跡に関する情報はほとんど途絶えてしまいました」
資料を手に取ってレオンは目を通したが、遺跡の詳細な場所についてはあまり触れられていなかった。ただ、いくつかの冒険者パーティーが遺跡を探しに行った記録は残っており、彼らによる報告から得られた情報が多少あった。
「遺跡の入口らしきものが見つかった場所はあるようですが、どれも確定的なものではないとのことです」
さらに、資料に記された一番大きな障害は、「魔の森の深部に位置しているため、普通の者ではたどり着くのが困難である」といった内容だった。その場所に足を踏み入れた者たちは、誰もが厳しい試練を経験したという。
レオンは資料を見つめながら、深く考えた。
「それっぽい箇所はある」──その曖昧な情報が、彼の頭に引っかかる。遺跡の入口を見つけること自体が大きな障害であるというのは予想外だった。
「まずは、森の奥に無事にたどり着くこと、次に遺跡の入口を見つけること、か」
レオンは再び、資料を握りしめながら一度その場を後にした。これからどのような道が待っているのか、分からない。しかし、立ち止まるわけにはいかない。レオンの中では、既に何かが決まり始めていた。
しばらく考えて、受付に戻ったレオンは宣言した。
「この依頼、受けようと思います」
サーシャは驚いたように目を見開き、すぐに表情を引き締める。
「……本気ですか? この依頼、かなり危険ですよ?」
「わかっています。だけど僕にできないとは限らないでしょう?」
「……わかりました。では、必要な準備を整えたうえで、出発を。どうか……ご無事で」
一瞬だけ沈黙が流れたのち、サーシャは頷いた。
レオンは軽く頷き、ギルドを後にした。
街を歩きながら、彼は次の準備を考えていた。必要な物資や道具を整え、遺跡に向けて出発するタイミングを計る。何もかもが計画通りに進むわけではないが、少なくとも今は、一歩一歩を確実に踏みしめていくしかない。
「遺跡の中で、何を見つけるか……それが次の鍵になるか」
レオンは深い息を吐き、目的地を思い描きながら歩き続けた。次の挑戦が、彼の力を試す機会となるだろう。いずれにしても、十分な準備を整えて臨まなければならない。そして、これまでのように何もなければ、それはそれで収穫となるだろう。
依頼を受けたその日、レオンはまず街で装備と物資の補充を行った。今の所持金では限られているが、できる範囲で最善を尽くす。
保存食、携帯水筒、予備の火打ち石、治療用の包帯とポーション。そして、剣の点検。柄の革を巻き直し、砥石で慎重に刃を研ぐ。ボロ剣だったはずのこの武器も、手入れを重ねたことでそれなりに使えるものになっていた。
(遺跡……魔の森の奥、深部の探索……これで何か見つかれば、次のステップに進めるだろう)
(スキルがなくても、いや、“スキルがない”からこそ、僕にしか見えないものがあるかもしれない)
全ての準備を整えたレオンは、明日からの探索に向けて早めに就寝することにした。
◆
冒険者ギルドの一室では、副ギルド長が職員のサーシャから報告を聞いていた。
「では、本当に例の少年が探索の依頼を受けたというのだな?」
「はい、副ギルド長。危険だと忠告はしたのですが、決意は固いようでした。それに冒険者になったばかりですが、既にいくつもの依頼をこなしています。それも単独で、です。だからといって別に無理をしている様子も見受けられませんし、これならと思い、受理しました」
「なるほど……だが一応、辺境伯爵には志願のあったことを報告せねばならん。ふざけているのかと叱責されるか、はたまた呆れてどうでもいいと思われるのか……。ところで他には受ける者はいないのか?」
「はい、これまでも探索の依頼はありましたが、ほとんど成果につながらないので敬遠されているのかと。それに魔の森の奥まで行くのは相応の危険が伴います。高額な報酬は魅力でしょうが、なかなか冒険者たちも手を出しにくいのでしょう」
「そんな場所に、十歳の、それもスキルを持たない少年がたった一人で、か……」
「ですが、彼は事前に資料や地図を確認したり、他の冒険者から情報を得ようとしていました。そういった慎重さもありますし、できる限りの準備を怠らない姿勢には好感が持てます」
「わかった、それではその評価も含め、辺境伯爵へ報告することにする。受付に戻ってくれて構わんよ」
「はい、失礼いたします」
そう言って彼女が退出した後、副ギルド長は静かに呟く。
「さて、あまり気は進まないが、辺境伯爵に報告に行くとするか……それにしてもギルド長もこんな時に王都の本部に出張とはな……ついてないったらありゃしない」