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持たざる者は、世界に抗い、神を討つ  作者: シベリアン太郎


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第88話 三国協議に向けて

 聖堂の高き玉座に座する教皇は、報告を聞き終えると、深く眉を寄せた。


「両国の国境か……」


 その言葉に、ただならぬ違和感が宿っていた。

 報告を終えた老枢機卿が、教皇の疑念を察し、ひそりと声をかける。


「〈黒翼〉のような異端が関与している以上、その場所に関して、詳しく調べる必要があるのでは?」


 二人はすぐに古びた聖教国の図書館へと足を運んだ。

 埃をかぶった巻物、古い写本、忘れられた歴史の断片がそこに眠っている。

 教皇は、重厚な扉の向こうにある聖教国の古文書室で、老枢機卿と共に膨大な資料の山に向き合っていた。

 ほの暗い灯りの下、古びた羊皮紙に記された文字は、今は失われた言語の影響を受け、判読は困難を極める。


「この文は、古代の書体が混ざっており、読み解くには時間が必要です」


 老枢機卿は慎重に言葉を選びながら、細かな文字を追った。

 数時間にわたり、彼らは筆跡の痕跡を丹念に辿り、時には辞典や他の古文書と照合しながら意味を紐解いていった。

 その中で、ある一節に辿り着く。


『遥か昔、辺境の地にて、深き眠りにつかれし“あるもの”の墳墓、神の加護を以て封印せり。その覚醒は世界の均衡を揺るがし、闇と光の狭間にて新しき時代を告げん』


 教皇は眉を寄せ、言葉の意味を慎重に反芻した。


「“あるもの”とは一体何なのか……神か、封印された魔物か、あるいは、異なる存在か」


 老枢機卿が低く呟く。


「古の伝承では、“あるもの”は神聖とされつつも、その力は恐れられ、封じられたとあります。邪悪とまでは断定できぬが、理の秩序を脅かす存在であることは間違いないでしょう」


 そして、冷静に付け加える。


「もっとも、この書物自体の信憑性は高いとは言えません。伝承を寄せ集めたものであり、真実かどうかは疑わしいと研究科からは指摘されています。……ですが、無視はできぬ話です」


 教皇はゆっくりと天井を見上げた。


「〈聖女〉セラフィーナの啓示は、この“あるもの”の目覚めと呼応しているのかもしれぬ。だが、明言を避けているのは、啓示が曖昧である故か、あるいは我らに知られてはならぬ秘密があるのか……」


 二人は言葉を交わしつつも、静かな緊張感が場を包んだ。

 老枢機卿は一冊の巻物を開き、古い詩文を声に出した。


「『眠れる巨神、封じられし力、目覚める時、古き秩序は裂け、混沌は新たなる光を孕む』」


 教皇はその詩を噛み締め、最後に言った。


「闇か光か、善か悪か、我らの理解を超えた存在であることは間違いない」


 その言葉に老枢機卿は深く頷き、これから訪れる試練の重さを噛み締めた。



 天井の高い大聖堂の会議室に、重厚な沈黙が流れていた。

 教皇が、手にした羊皮紙を机に置くと、白い髭の下から厳かな声が響いた。


「……鉱山跡。王国と帝国が共同で管理を始めたという。だが、我が教国の記録において、あの地は遥か昔、“聖なる封印の地”とされている。墳墓であり、戒めの場所でもある」


 枢機卿たちがざわめく。一人の老枢機卿が静かに問いを発した。


「その封印が、現代においていかなる意味を持つのか。我々が確かめるべきだと?」


 教皇は深く頷く。


「神の意志がそこに眠っているならば、異教の武に穢されてはならぬ。聖騎士団を派遣し、我らが管理すべきであろう」


 若い枢機卿の一人が勢い込んで賛同した。


「異端とされる〈黒翼〉の影も見え隠れしている!  今こそ、正しき信仰の旗を打ち立てねばなりません!」


 この発言に、会議室は一斉に熱を帯びる。


「教皇様、是非にも派遣を!」

「封印の監視は我らの義務!」


 こうして聖教国は、正式に“信仰的監視”を名目に聖騎士団の派遣を決定した。

 だが──



 王国側代表ギュスターヴと帝国のクラリッサ、そして現地司令官たちの前に、聖教国からの公式通達が届けられた。

 クラリッサは文書を一読すると、声に出して笑った。


「……“神の封印が眠る聖地にして、いかなる世俗の支配も許さぬ”ですって。ええ、これはまさしく侵略の前触れだわ」


 ギュスターヴも顔をしかめた。


「今さら“墳墓”などと……数百年前の言い伝え──信憑性もない文献を持ち出して、軍を派遣する理由にするとは。正直、こちらとしても穏やかではおれませぬな」


 帝国の若手司令官が、苛立ちを隠さず言い放つ。


「聖騎士団とやらがこの地に来れば、三国の軍が数里以内に集結することになる。火種どころか、導火線に火を点けるようなものだ!」


 ギュスターヴは冷静に指を組む。


「教皇の意図が信仰によるものと仮定しても、それは王国や帝国の主権に抵触します。我らとしては断固として抗議し、派遣の撤回を求めるべきでしょうな」


 クラリッサは口元を歪めて頷いた。


「“信仰”を口実に、情報と地の主導権を奪おうというのなら──帝国は黙ってなどいないわ」


 こうして王国と帝国は、連名で聖教国に抗議文を提出。


『聖教国が聖騎士団を送る場合、これは事実上の三国協定違反であり、明確な敵対行為と見なす』


 という強硬な姿勢を取り、現地への進軍自粛を求めることとなった。



 教皇は、抗議文を読み終えた後、静かに眼を閉じた。


「……やはり、帝国は反発してきたか。だが強硬なのはいつものことだ」


 その声は冷め切っていた。だが、続けて漏れたのは皮肉めいた呟きだった。


「しかも王国まで肩を並べるとは……あの国も、少しは骨を見せたということか。──もっとも、王国などどうとでもなる」


 教皇の中には、王国への侮りが色濃くあった。信仰を掲げさえすれば、いずれ屈する──そんな確信がある。


 隣に控える若い枢機卿が問いかける。


「どうなさいますか?  騎士団の派遣は──」


 教皇は静かに首を振った。


「派遣は取りやめぬ。信仰に従い、神の教義のもとに歩むこと、それこそが我らの義務だ」


 その眼差しは冷酷なまでに揺るぎなく、既に“正義”の名の下に行動を正当化していた。


「ただし、強引な手は取りづらい。やり方を変える。まずは調査団の派遣という名目で認めさせよう」


 教皇の声に、周囲の枢機卿たちが動き出す。その裏で、別命を受けた者たちが密かに王国・帝国へ潜入していく。

 教皇庁は、表と裏──両面からの介入を開始したのだった。



 王国側の対外戦略を統括する外務長官ヴェルナー・グレイは、書状の文面に目を通しながら、部下に指示を飛ばした。


「このままでは、遺構を巡って王・帝・聖、三国の武力が接触する。これは我が国の安全保障にとって、最大級の火種となる。……我らが主導権を取り戻すには、まずは“話し合いの場”だ」


 王国は、軍事的緊張を一時的にでも緩和し、聖教国の急進的動きを抑えるため、三国による外交協議の開催を正式に提案した。


「〈ルクスの円卓〉で、王・帝・聖の三国代表を集めろ。場所は中立地帯の都市ラドニア。我々が仲介の形を取る」


 ヴェルナー・グレイの意を受けた使節団は、即座に帝国と聖教国へと出発した。


 王国からの提案書を読んだ、帝国の情報将軍クラリッサは、重い息を吐いた。


「話し合い、ね……。くだらないが、今の段階では無視できない」


 周囲の軍人たちは苛立ちを見せるが、クラリッサは冷静に状況を分析していた。


「こちらが拒否すれば、“帝国は対話より武を選ぶ”と王国と聖教国に印象づけるだけ。交渉の場でこそ、王国と教国の動きを封じる口実が作れる」


 側近が問う。


「つまり……」

「──仕方なく乗ってやる、という形でね」


 帝国は条件付きでの協議参加を了承した。ただし、協議はあくまで“軍事的主導権に影響を与えない範囲で”行うことを明記した。


 教皇のもとにも、王国の提案が届いていた。

 教皇はしばらく黙したのち、静かに呟いた。


「……王国は思ったより冷静だ。戦火を避け、信仰の聖域を損なわぬようにという姿勢は、我らとしても無下にはできぬ」


 その言葉の裏には、教皇なりの計算もあった。

 ──所詮、王国は優柔不断な血統主義の国だ。信仰の名を掲げさえすれば、彼らは争いを避けるために従う。

 これまでの外交の経緯から、教皇はそう確信して疑わなかった。王国は聖教国寄りの姿勢をとることが多く、少なくとも帝国のように正面から教義に刃向かうことはしない──そう思い込んでいたのだ。

 彼にとって、王国は「導くべき国」であり、信仰による支配の枠内にあるという認識だった。


 枢機卿が問う。


「では、協議に応じると?」

「そうだ。ただし、主導権はこちらが握る」


 こうして聖教国も、あくまで“信仰と対話の名の下”に外交協議に参加する方針を固めた。表向きは柔和に、だが内面には各々の思惑を抱えたまま──三国はついに、ラドニアにて歴史的な会談の場を持つこととなる。


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