第86話 王国と帝国、交錯する思惑
数日後、王国軍務省の石造りの会議室には、緊張した空気が漂っていた。
鉱山跡の調査報告が、ついに中央に届いたのだ。封を切られた文書の中には、〈黒翼〉の痕跡と思しき足跡、坑道の不自然な構造、そして帝国軍との偶然の接触──詳細な記録が並んでいた。地図の上には数枚の報告書が広げられ、宰相レオナードが眼鏡越しに目を細めていた。
「鉱山跡……帝国と我らの部隊が協力とは、なかなかに異例だな」
隣席の軍務卿は渋い顔で頷いた。
「問題は、〈黒翼〉とやらの行動が確実に国境線を越えているということです。単に“国内問題”では済まされん」
王国と帝国──両国の関係は、決して良好とは言えなかった。
帝国は強大な軍事力と実力主義を掲げ、秩序を保つ王国にとっては、常に警戒すべき隣国である。思想の違いは根深く、特に貴族制度への姿勢は真逆だった。帝国は貴族制度が存在するものの、階級を実力で覆すことを良しとし、王国は血統と伝統を重んじる。
争いこそ避けてきたものの、互いに腹の底では相容れぬものを抱えていた。
ただし、経済面では利害が一致する場面も少なくはない。
その象徴が、今回の舞台となった鉱山だった。かつては共同開発が進められ、両国の技術者や労働者が肩を並べて採掘に当たった時期もある。しかし、採掘資源の枯渇によって、今では廃坑同然となって久しい。
だが──今回の報告は、その廃坑が再び両国を引き寄せる火種となった。
「……ここから先は、我らだけの判断では動けぬ。帝国も同様に警戒を強めているはず」
軍務卿が頷く。
「幸いにも、帝国とは戦端を開かずに済みました。現地では協力の姿勢も見せております。ならば、この流れを保つべきかと」
「我らの利も、国境の安定にある。……よかろう。〈黒翼〉を狩るには、帝国の手を借りる時期だ」
会議の場は重苦しい空気に包まれていた。
「帝国との協議を急がねばなるまい。……聖教国や他勢力に気付かれる前にな」
王国はすぐに、対帝国折衝を専門とする外交官──〈銀杖〉の異名を持つ老練な紳士ギュスターヴを派遣することを決定した。
帝国側もまた、王国と同様の報告を受けていた。アンドレアスの簡潔な筆跡が記された報告書には、王国軍の動き、〈黒翼〉の痕跡、そして坑道に残された「何か」の気配が綴られていた。
対外連絡局の女将官クラリッサは、報告書を閉じながら苦笑した。
「……連中、意外と話が通じるじゃないの。剣ではなく言葉を選んだのは評価してあげましょう」
隣に控える諜報部の若手参謀が眉をひそめる。
「王国から外交官が来るそうです。協議の申し入れ……表向きは共同警戒の打診だとか」
「裏向きは?」
「……鉱山跡の探索権、あるいは闇組織──〈黒翼〉の扱いに関する主導権の確認と見られます」
クラリッサは薄く微笑んだ。
「いいわ。乗ってあげましょう。こちらも“確かめたいこと”があるもの」
帝国政府は正式に王国の申し入れに応じる意向を示し、協議の場を中立都市ラドニアに設けることが決まった。
◆
季節外れの雨が、石畳を濡らしていた。
王国の使節団は既にラドニアの迎賓館に到着しており、ギュスターヴは書簡と文箱を前に思案していた。やがて窓の外に、帝国の馬車隊の灯が見え始める。
「さて、戦ではなく言葉の矢を交える時か……。見極めねばな」
〈黒翼〉の気配が残る鉱山跡。王国と帝国、それぞれの思惑が、いま静かに交差し始めていた。
重厚な扉が静かに開き、帝国代表クラリッサが姿を現した。軍服を改めた深紅のマントが、歩く度に揺れる。
王国の外交官ギュスターヴは、古い書簡を閉じると、席を立って軽く頭を下げた。
「帝国将官、ようこそ。道中、無事で何より」
「ええ。雨に降られましたが、これもまた中立都市の風情でしょう。──ギュスターヴ殿、こちらこそお招きに感謝を」
二人は儀礼的な挨拶を交わしつつも、その視線の奥には互いを探る鋭さが宿っていた。
クラリッサが椅子に腰を下ろし、銀の懐中時計を机に置く。
「本題に入りましょう。鉱山跡──あの場にいた我が部隊は、王国軍の協力に一定の誠意を見ました。ですが、我が国の関心はただ一つ。“あの地に何があるのか”。それに尽きます」
ギュスターヴは頷き、懐から一通の報告書を取り出す。
「我々も同様の関心を抱いております。……だが、あの地は〈黒翼〉という闇組織に利用され、逃走経路や拠点として、再三に渡って使われている可能性がある。警戒を怠れば、国境を越えて災禍が広がるやもしれぬ」
「つまり、“共同で管理したい”と?」
「率直に申し上げれば、そうなりますな。我が王国は、以下を提案します」
ギュスターヴが提示した三項目の書面
一、鉱山跡地の共同監視区域化
二、王国・帝国双方から警戒部隊を交代制で常駐
三、情報共有の定例化(週一回、現地または中立都市で)
クラリッサはその書面を流し読みし、指先で机を軽く叩いた。
「悪くない提案ですわ。ただし、こちらにも条件があります」
彼女は、自国の要求事項を淡々と述べる。
一、現地に配置される部隊の指揮系統は完全に分離すること(干渉不可)
二、鉱山跡で発見される全ての遺物・物証は、双方に同時報告されること
三、必要に応じて帝国側の調査官を追加派遣できる裁量を認めること
ギュスターヴは一瞬考え込み──そして、笑みを浮かべた。
「我々の目的は“対話”です。無理難題でなければ、歩み寄る余地はございます」
「それなら結構。貴方のような老狐が出てきた甲斐があったというもの」
二人は、薄氷のような均衡の上で、慎重に言葉を積み重ねていった。
こうして〈鉱山跡警戒協定〉草案は、双方の合意によって策定されることとなった。
数日後、国境地帯の鉱山跡前線基地では、王国・帝国両軍の警戒部隊が、交代制で拠点を構築し始めていた。石を積み上げた簡易の監視塔、交互に掲げられる両国の旗。緊張は残るが、戦端は遠のいた。
兵士たちは言葉少なに坑道を見張る。だが──
誰一人として、いまだ坑道の奥に潜む“遺跡”の真実には、気付いていなかった。
そして、その地の深奥で、微かに脈動する“何か”が静かに時を待っている。




