第83話 興味と警戒
青白い魔導灯の光が淡く部屋を照らしていた。石造りの分厚い壁に囲まれたその部屋では、帝国中枢の者のみが参加を許される極秘会議が行われていた。円卓の中央に立つのは、〈灰色の眼〉諜報部長官である老獪な男、ハルベルト。その目は鋭く、まるで隠された意図すら見抜こうとするような光を宿している。
「陛下、〈暗黒騎士〉を退けた剣士、“レオン”についての報告が入りました。名はレオン・アルテイル。辺境貴族アルテイル男爵家の次男。妾腹、スキルなく追放された者故に、アルテイルの家名は捨てたようですが」
ざわり、と円卓を囲む者たちに動揺が走る。
「聞き間違いではないか? スキルなし、だと?」
疑問を呈したのは、帝国軍総参謀である冷徹な女将軍、クラウディア。灰銀の髪を束ねたその姿は、まるで刃のように鋭い。
「確認済みです」
ハルベルトは頷く。
「彼はスキルを一切持たぬまま追放され、その後冒険者として消息を絶つ。五年後、突如現れた彼は──実力を疑う王国騎士団の精鋭を一蹴、さらには王国第一王子ラグナル・エルダリオンとの決闘でこれを完封」
「……第一王子ラグナル。確か〈聖剣〉のスキルを持っていたはずだな?」
「その通りです」
隣席の帝国魔術院筆頭学士、レグナス・ヴァルフォードが口を挟む。
「神より与えられしスキルの中でも、極めて強力な分類に入る〈聖剣〉──それを持つ者が敗れたと?」
「より正確には、まったく手も足も出なかったとの報告です。王子は〈聖剣〉スキルを駆使して戦うも、レオンは剣技のみでこれに対応、しかも聖剣に対し彼が使用したのは木剣だったとのこと」
室内に沈黙が落ちる。
一拍おいてざわめきが支配する。
「その後、〈暗黒騎士〉との戦闘においても、彼は卓越した剣技でこれを圧倒。さらに──戦闘中、魔法に酷似した現象を起こしたにも関わらず、本人は“魔法は使えない”と断言したそうです」
「魔導具でも使用しているのか? いや、それにしては妙すぎる」
「それ以上に奇妙なのは、その強さの出所です」
ハルベルトは一枚の羊皮紙を机に広げた。
「どのような訓練をしたのか問われ、彼はこう言ったそうです──
『寝る間を惜しんでひたすら剣を振り、街を消滅させるような災害級の魔物と戦った、それも毎日。死にかけた回数は……もう数え切れない。そんなことを、五年ほどやっただけ』
特に誇るわけでもなく、無表情で、淡々と語ったとのこと」
会議室の空気が一段と冷える。
「まるで狂人だな……」
「だが、成果は確かだ」
誰かが呟いたその言葉に、クラウディアは目を細める。
「通常の人間が成し得るとは到底思えんが……我々は“異常”の可能性も排除しない」
「彼は現在、エルフの精霊使いと共に行動中。〈暗黒騎士〉の行方を追っているようです」
奥の玉座に座していた男が、ゆっくりと指を動かした。重々しい沈黙を破るように、深く響く声が会議室に届く。
「面白い男だな」
帝国皇帝──ダリウス・ヴァルディール。
戦乱の世を制し、帝国を超軍事国家へと変貌させた、中興の祖と称される鉄血の漢。白銀の髪を背に流し、年齢を感じさせぬ冷静な眼光が、ハルベルトに向けられる。
「剣と戦いのみで、自らを鍛え上げたか。愚かに見えて、最も純粋な強さだ……我が帝国にも、そこまで自らを追い込める者は稀だ」
会議室にいた者たちが、一斉に姿勢を正す。
「剣術、魔法に見えて魔法でない技、災害級魔物との日々の死闘──五年でそれを可能にしたか。……人が生まれ持つものに頼らず、己の意志と努力でここまで至ったとなれば」
皇帝は一拍置いて、静かに言葉を続けた。
「──そういう“異常”こそ、時に歴史を変える可能性がある」
誰も口を挟めなかった。
皇帝は目を細め、諜報部長に命じる。
「引き続き監視を続けよ。……ただし、敵と断ずるにはまだ早い。レオン──その男の目指すものを見極めよ。もし我が帝国と利害が一致するのなら……」
わずかに口角を上げ、皇帝は言った。
「──興味深い駒になるやもしれん」
「ですが、陛下……その男、駒、ではなく、陛下の覇道の障害となるやもしれませぬぞ?」
「……その時は遠慮なく叩き潰すまでよ」
静かにそう告げた皇帝の言葉に、会議室の空気が再び引き締まった。
やがて、クラウディアが短く命じた。
「対象レオン──帝国特級監視対象に指定。以後の行動を注視し、我らが国益にとって有益か否かを見極めろ。以上だ」
◆
夜更け。灯りは最小限。窓は重い天幕で覆われ、音も風も遮断されている。帝国皇帝ダリウス・ヴァルディールは、酒杯を片手に、静かに火炉を見つめていた。その対面に座るのは、帝国の宰相にして、最古参の側近であるカール。
しわがれた声が、低く室内に響く。
「……スキルなしの剣士が、〈聖剣〉スキル持ちを圧倒した、など、昔話かと思いましたが……陛下のご判断は、やはり“真”と?」
「ああ、顔を見ずとも分かる。あれは真実だ。ハルベルトは手土産に虚言を混ぜるような男ではない」
皇帝は杯を傾け、蒸留酒を喉に流し込む。その目は鋭く、どこか警戒心が見える。
火のはぜる音が、短く会話の間を繋ぐ。
やがて、皇帝は真顔に戻り、静かに言った。
「だがな、カール……“神の庇護を受けずに強くなる者”というのは、得てして時代の楔となる。王国の制度は、スキルに依存しすぎている。我ら帝国はそれを見限り、“力の真理”へ舵を切った。その我らですら、彼の存在には……脅威を感じざるを得ん」
「故に、“手を出すな”と?」
「当面はな」
皇帝は杯を机に置き、指先で静かに円を描いた。
「レオン。この男の向かう先が我が帝国の脅威となるのか、それとも……新たな力の潮流となるのか。試さねばなるまい。必要ならば……彼を排除せねばならん」
「まさに」
「彼が真の“敵”かどうかは、まだわからん。今後の動きを見なくてはな……」
皇帝の瞳が、炎の揺らぎを映して細められ、目を閉じ、微かに笑った。
「まずは、〈灰色の眼〉に命じる。彼の足跡を辿り、接触を試みる。……ただし、手を出さん。目を伏せ、声を隠し、ただ見るのみ」
そして、皇帝は立ち上がった。
窓の外、まだ見ぬ西の空を見つめる。
「レオン……。お前がいかなる道を歩むのかは知らぬが……余の邪魔だけはしてくれるなよ……」
◆
帝国の朝は灰色の霧とともに始まる。冷徹な軍政の中心である参謀本部には、重厚な軍服に身を包んだ将校たちが集まっていた。
「報告。西部国境地帯、旧鉱山地区にて未確認集団の動きを確認。目的は不明」
帝国参謀本部付きの若き将軍、カシウス・ヴォルクは、地図の上に赤い駒を置いた。
「鉱山跡、か……あそこは数年前に放棄されたはずだな?」
「はい。再利用の可能性は皆無。ただ、地下通路の存在を一部記録から確認しています」
重鎮の一人が眉をひそめた。
「王国の動きは?」
「現時点で明確な動きなし。ただし、山岳警備隊が移動準備中との報せがあります」
カシウスは軽く息を吐き、指を組んだ。
「なるほど……となれば、何か把握している可能性もある、か」
「ただ、断定できる証拠は──」
「必要ない。王国が動くなら、我々も動かねばならん。結果として空振りでも構わん。情報を得る機会だ」
参謀たちは一斉に頷く。帝国は理によって動く国。だがその理は、常に“力”によって裏打ちされる。
「西部方面軍より一個連隊を。加えて諜報部隊〈灰色の眼〉も投入せよ。王国よりも一歩先に情報を押さえるぞ」
カシウスの目が冷たく光った。
「……この機に、王国の戦力分布も探る価値はある。国境とは、互いの呼吸が交差する場だ」




