第81話 新たな〈門〉
黒き帳が垂れ込める洞窟の奥、湿った空気と不吉な気配が漂うその空間は、〈黒翼〉の拠点──地下都市〈アブゼロス〉。異端の者たちが集う闇のアジトであった。
その最奥、岩肌を削って作られた儀式の間では、黒い法衣を纏った闇の司祭が、呪文を唱えながらエリオットの前に跪いていた。
床に描かれた複雑な魔法陣の中心には、無造作に置かれた血晶石が赤黒く脈動し、禍々しい光を放っている。レオンに切り落とされた左腕──それは既に繋ぎ合わされ、筋と骨が異様な黒い糸のような魔力で補強されようとしていた。
エリオットの顔は蒼白に染まり、脂汗が額を濡らしている。歯を噛み締め、全身を痙攣させながら、唇の端から血を滲ませた。
「ぐ、あぁぁっ……!」
焼け爛れるような激痛が左腕から肩、胸、そして全身へと広がっていく。まるで内側から骨が捻じ曲げられ、肉が引き裂かれるような痛み。骨の髄まで灼かれる苦痛に、目が眩み、意識が飛びかける。
だが、その度にエリオットは自らを叱咤するかのように舌を噛み、意識を現実へと繋ぎ止めた。
(──まだだ、まだ、終わっていない……!)
脳裏に浮かぶのは、あの男の顔。冷たい瞳、見下ろすような嘲りの笑み。
(レオン……貴様だけは……)
痛みの波が引いていく頃には、左腕は再び己の身体に繋がり、指がぴくりと反応し始めていた。ゆっくりと拳を握る。そこには、かつての自分を超える異様な力が満ちているのを、確かに感じた。
「……ようやく、元に戻ったか」
低く呟いた声は、苦痛と憎悪、そして執念を滲ませていた。
「腕は……繋がっただけではない。前よりも……強くなっている」
闇司祭が満足そうに笑みを浮かべた。
「神の力とは異なる、真の進化……我らの主が授けた“闇の理”の恩恵だ。お前の力は、 これで完全に〈黒翼〉の器に相応しいものとなった」
だがエリオットはその言葉を聞き流し、黙って腰の剣に手を添えた。闇の力が籠もるその刃は、今もなおレオンとの一騎打ちの記憶を刻んでいる。
──あの目だ。俺を見下ろしていた。スキルがないくせに、あの冷静さ……あの剣。
沸々と湧き上がる怒りに、またしても拳が震えた。いや、もはやそれは単なる怒りではない。身体を焦がすほどの憎悪、己の存在を呑み込むほどの復讐心だった。
(必ず、この手で貴様を引き裂く……何度でもだ。貴様がどれほど抗おうとも、俺が最後に立っている……!)
その背後、別の部屋から現れたのは、〈黒翼〉の幹部の一人であった。黒衣に身を包み、手には古びた石板のようなものを持っている。
「新たな〈門〉の可能性がある地点が浮上した。王国と帝国の国境沿いの旧鉱山跡──封印された古代遺跡の痕跡が確認されつつある」
エリオットが振り返ると、目に宿った光は、もはやかつてのそれではなかった。冷たく、深い闇に染まった、復讐と執着の光──。
「……次は、必ずレオンを殺す。そして、〈門〉を開く」
静かに、だが確かにその言葉は洞窟の奥に響き渡った。
アジトの奥深くで、狂信と計画と復讐が、着実に進行していた。
◆
かつて王国と帝国の国境沿い、山間部に存在した鉱山は、数十年前に資源が枯渇し、廃坑として忘れ去られていた。その静寂を破ったのは、〈黒翼〉の一隊だった。
夜の帳が降りる頃、黒い外套を纏った者たちが、獣道すら消えた山道を進む。先導するのは、探索と分析を担う幹部級の〈黒翼〉の一人、ファルメリア。魔術師であり、古代語を解する彼女の周囲には、沈黙を守る護衛の暗殺者たちが従っていた。
「……あれだ」
廃坑の奥、かつて銀を掘り出したとされる地層のさらに下──自然の崩落で露わとなった岩壁に、奇妙な文様が刻まれていた。それは明らかに人為的なもの。だが、王国のどの記録にも存在しない、古の意匠だった。
「やはり……これは〈門〉かもしれない」
ファルメリアは小さく呟くと、手にした魔道具を掲げ、文様に沿って微弱な魔力を流し込む。数秒後、岩壁の一部が淡く紫に輝いた。
「反応した……封印か、あるいは起動装置の類……!」
彼女の目が輝く。だが、その場にいた別の男──老いた幹部が口を挟んだ。
「軽々に触れるな。ここが〈門〉である保証はない。内部は未知だ。〈冥主〉への報告が先だ」
「……無論です。ですが、これが〈門〉であるなら……」
「邪神の聖地。我らが再び神を地上に招くための礎だ」
幹部たちは厳かに頷き合い、遺跡を囲むように結界を張り始めた。目撃者を排し、封印を維持し、調査を進めるための拠点を築く準備だった。
やがて付近の地には、黒い幕で覆われた、仮設の神殿めいた施設が密かに築かれ、〈門〉と目される遺跡は〈黒翼〉の支配下に置かれていく。
その深奥が真に何であるかを、彼らはまだ知らない。
漆黒の夜、廃坑跡に設けられた仮設の監視拠点から一羽の魔鴉が飛び立った。鋭い鳴き声を残して夜空を裂くように舞い上がると、その身は風に溶けるように消えていく。
魔鴉が向かう先は、〈黒翼〉の本拠地──王国の地図には記されぬ、地下都市〈アブゼロス〉。そこでは、“声なき者”と呼ばれる伝令役が、無言のまま魔術器具を用いて魔鴉の帰還を受け入れていた。霧の中を滑るように飛来した魔鴉が刻印された台座に降り立つと、空気が震えるように情報が転写される。
数刻後、〈黒翼〉の幹部会議が開かれた。
「……報告によれば、旧鉱山跡地にて〈門〉と思われる古代遺構が発見された」
低く響く声が、石造りの会議室にこだまする。黒衣の幹部たちが静かに頷いた。
「文様は既知の神聖文字とも、王国に伝わる古語とも異なる。だが、反応があった。魔力を通す、ということは、何らかの機構が生きている可能性がある」
ファルメリアの報告書を読み上げる老幹部の声に、会議室の空気がわずかに緊張を帯びる。
「……ようやくか」
「我らが探し求めた、〈門〉。この地に邪神を降ろす器があるのなら──」
「焦るな。過去にも誤認があった。我らが信仰する“御声”も、正確な座標を授けたわけではない」
「だが、“兆し”は現れた。この地には何かが眠っている。封印を破れば、あるいは──」
「破るかどうかは、〈冥主〉の判断に委ねるべきだ」
幹部たちは異論なく頷き、会議は静かに終結した。
その夜遅く、〈黒翼〉の真の首魁──〈冥主〉と呼ばれる女に、ファルメリアの報告と共に「遺跡の写し」が届けられる。歪んだ笑みを浮かべながら、彼女は静かに呟いた。
「〈門〉か……ならば、今度こそ〈鍵〉には役に立ってもらわねばならぬ」
そして、動き始める。〈黒翼〉の暗き計画は、静かに次の段階へと移行しつつあった。
廃坑跡に築かれた仮設拠点では、昼夜問わず〈黒翼〉の選ばれた調査部隊が遺跡の解析を進めていた。魔術士たちは各所に術式を展開し、古代の石壁に刻まれた未知の文様や封印痕を丁寧に解析していく。
「……反応がある。魔力の流れが壁の裏へと続いている」
若き術士が報告すると、幹部ファルメリアが指を鳴らす。黒衣の戦士たちが無言で動き出し、指定された壁面の一部を慎重に崩していく。
現れたのは、幾何学的な光を帯びた石碑。中空に浮かぶように存在するその構造体は、周囲の魔力を吸収しながら、わずかに鼓動するような波動を発していた。
「これは……転移術式の基礎構造と似ているが、もっと深い、別次元に繋がる門の核だ」
ファルメリアの目が細められる。
「つまり、〈門〉そのものではないが、〈門〉へと通ずる“鍵”の役割を担っている可能性がある」
調査が進むごとに明らかになるのは、遺跡がただの古代文明の遺構ではないという事実だった。何者かが、何かを封じ、同時にその封印を破る手段もまた内部に残している──それは〈黒翼〉にとっては希望であり、同時に危うさをはらむ誘惑でもあった。
ファルメリアは報告書に記す。
調査報告 第二段階
・遺跡に“魔力共鳴石”を発見。これが〈門〉の開閉に関与している可能性がある。
・文様は封印術の応用とみられ、内部に何かを閉じ込める構造と判明。
・遺跡は「聖なる結界」によって封じられており、神聖属性の干渉を受ける。
・内部への進入には〈鍵〉が必要。
その報告が再び〈冥主〉のもとへ届くと、彼女は不敵に微笑む。
「やはりな……〈門〉は開くべくして存在している」
彼女は傍らの影に命じる。
「〈鍵〉の準備を。あの子──エリオットに、もう一段階進化する“試練”を与えるのだ」
かくして、遺跡調査は〈黒翼〉の“次なる儀式”へと繋がっていく。封印された古の力が、いま静かに目を覚まさんとしていた。




