第80話 〈黒翼〉の影
灰色の雲が垂れ込める朝、王城最奥の会議室にて、王アルヴァン四世を中心に、神官長代表、軍務卿、内政卿、そして宰相レオナードら重鎮が一堂に会していた。
宰相が静かに立ち上がり、手元の報告書を掲げる。
「陛下、エリオット・アルテイル──かつて〈聖騎士〉として登録された人物が、数週間前より各地で〈暗黒騎士〉として目撃されております。彼と行動を共にしていた黒装束の集団について、各地の目撃情報を統合した結果──彼らは、高位スキルを持たぬ者にも“異形の力”を付与する存在。即ち、闇の一派である可能性が極めて高いと断じられます」
「……異形の力?」
軍務卿が眉をひそめる。
「魔力によらず、神の祝福にもよらず、にも関わらず人を超える身体能力を与え、時には常軌を逸した破壊力を発揮すると。報告では、片腕を失った兵が即座に“闇の義肢”を与えられ、その直後に五人の兵を瞬殺した例も──」
室内にざわめきが広がる。
神官長が低く声を発した。
「神に背きし禁忌の術ではないのか? 聖教国に照会すべきだろう」
「既に照会済みです。聖教国より回答──“それは神の力ではなく、異端にして堕落せし邪神のもの”とのこと。正式に〈黒翼〉なる集団の存在が確認されました。彼らは……『神々の秩序を転覆し、邪神をこの世に降ろす』と、そう記されております」
沈黙が支配する。
王が、重々しく口を開いた。
「つまり、エリオットはその〈黒翼〉に取り込まれたと見て間違いないのか?」
宰相が首を縦に振る。
「……はい。追放以前から〈黒翼〉と、何らかの形で関わっていた可能性も否定できません。アルテイル男爵家への捜査と監視強化を提案いたします」
神官長が声を張り上げる。
「だが、問題はそこだけではない。彼らは、スキルを持たぬ者に“力”を与え、しかも従順に操る手段を持つ。これは我が国の社会秩序そのものを根底から揺るがす脅威。我々の制度が、“祝福なき者”を下層に置くことで成り立っている以上、この力は反乱と混乱をもたらす火種となるでしょう。この勢力を放置すれば、第二、第三の〈暗黒騎士〉が生まれる。聖騎士団による討伐命令を下すべきです、陛下!」
王は静かに窘める。
「落ち着け、神官長。既に一度我々は〈暗黒騎士〉を退けておる。取り逃がすことにはなったが、〈暗黒騎士〉の左腕を斬り飛ばし、重傷を与えたと報告もあろう」
「それはそうですが、怪我を癒して再び襲撃をかけてくることも考えられます。先んじて手を打たれるのがよろしいと思われます」
宰相も言葉を発する。
「それについては、騎士団に巡回部隊を指揮させています。即応体制をとっておりますので、異変あらば対応できるでしょう」
「しかし、異端、邪神が絡んできているのですぞ! ここはやはり聖騎士団を要請せねば」
「落ち着かれよ。それについては現在検討中です。まずは巡回の強化で対応させます」
王が締めくくり、指示を出す。
「どちらにせよまだ情報が足らぬ。各々、引き続き情報収集に努めよ」
◆
臨時会議が終わった直後、王は自室には戻らず、城内の奥深くに設けられた書斎へと足を運んだ。宰相レオナードは黙ってその後を追い、王の差し出した椅子に静かに腰を下ろす。 重厚な扉が閉じられると同時に、外界のざわめきは一切遮断される。
窓の外には夕日が沈みかけ、黄金の光が書棚を赤く染めていた。
「……また、教会が動き出すつもりだな」
王の低い声が、沈黙を破った。その声音には、苛立ちを帯びた冷たい怒りが宿る。
「“聖騎士団を送れ”などと……異端への対処というより、どうせ政治に教会の力をねじ込む方便だろう。まるで、我ら王家が無能で、教会に縋らねば国も守れぬと言わんばかりの言い草だ。奴らは政治に口を出す隙を、あらゆる場で探っている」
吐き捨てるような言葉に、宰相は静かに低く息を吐き、やや躊躇するように口を開いた。
「……陛下のお怒り、ごもっともにございます。ですが、教会の背後にいるのは聖教国。連中は、この王国を常に上から見下ろしている。まるで、“神に祝福された高貴なる国”が、“地に縛られた下等なる民草の国”を導いてやっている、とでも言いたげな態度……」
その言葉に、王は鼻を鳴らした。
「教会が動く度に、奴らの影がちらつく。聖騎士団の要請だと? 結局は、我が国の内政に、あの傲慢な宗教国家の手を突っ込ませようとしているのだろう」
言葉を切ると、王は書斎の窓辺へと歩み寄り、夕焼けに染まる空をしばし見つめた。その眼差しには、冷たい怒りの奥に、わずかな余裕が宿っていた。
「だが……今に見せてやる。王国は、もはや聖教国など問題とせぬ。近いうちに、我らの方が優位に立つことになる」
宰相は小さく頷いた。
「……レオン殿の存在、でございますな」
「ああ。あの男の武勇は、既に〈剣聖〉の域を超えている。剣だけではない。民の信を得ている。いざとなれば、聖教国とて軽々には手出しできまい。いや、場合によってはこちらから、聖教国を外交の場で屈させることもできよう」
しかし、と王は言葉を継いだ。
「問題は……異端だと、言いがかりをつけられることだ」
宰相の表情に、わずかに翳りが差す。
「確かに、あの国は“自らの都合”で異端認定を行います。レオン殿がいかに王国のために戦おうとも、“神の名のもと”に貶めることは容易いでしょう。貴族たちは保身と利益で動く。聖教国の圧力が強まれば、レオン殿を擁護する声は……必ずしも期待できませぬ」
「そこが厄介だな……武を持って国を救う者が、時に“国を乱す者”とされる。それがこの体制の、根深い病だ。……レオンの使い方は、慎重を要するな」
窓の外に沈みゆく夕日が、王の横顔を赤く照らす。その表情は、怒りと静かな決意の入り混じったものであった。
「だが、今はまだ……先のことは置いておこう。〈黒翼〉。奴らこそ、我らが直ちに対処すべき敵。教会が何を企もうとも、王家の安全が第一だ。全力を尽くせ」
「はっ。レオン殿にも、存分に動いてもらいましょう」
「……あくまで、“必要に応じて”だ。奴を前面に出す時は、最も効果的な一手として放つ。そのためにも、今は慎重に事を運べ」
そう言って、王は背を向けたまま、手元の地図に視線を落とす。沈黙の中で、書斎に静かに夜が訪れようとしていた。
◆
石造りの重厚な扉が開かれ、甲冑の軋む音とともに一人の騎士が駆け込んできた。
王国騎士団の諜報分隊長。彼は深く頭を下げ、手にした巻物を宰相レオナードへと差し出した。
「宰相殿、国境沿いの旧鉱山地帯にて、不審な集団の動きが報告されました」
宰相は静かに頷き、老眼鏡を通して文面を読み下ろす。その表情は次第に険しくなる。
「……再び動き出したということか」
王座の前に立つ王アルヴァン四世は、静かに問うた。
「報告の信頼性は?」
「王国東方防衛隊及び山岳警備隊、加えて冒険者ギルドからも複数の一致した報告が」
短い沈黙の後、王は立ち上がり命じた。
「即時、近衛第二師団を派遣せよ。精鋭部隊を中心に。〈黒翼〉の企みなど許すわけにはいかん」
宰相は頷きながら、小さく呟いた。
「これは何かを探しての動きか……あるいは、別の陰謀か」
王国の騎士たちは動き出した。〈黒翼〉。その残滓が再び、王国を脅かそうとしている。




