第79話 王位のために
第二王子ユリウスは概ね満足していた。
またしても、兄が失態を犯した。しかも今回は、無期限の謹慎処分。王命による重い処分であり、事実上の政治的失脚を意味する。度重なる命令違反、敗戦の責、王宮内での評判の悪化──もはや誰が見ても、第一王子ラグナルは継承者の器ではない。
(……これで、ようやく道が開けるというものだ)
ユリウスは窓の外を眺めながら、静かに微笑んだ。既に臣下の注目は彼に集まり始めている。ライエン侯爵を通じて、多くの者たち──特に官僚派や中流貴族の一部が、第二王子派へと歩を進めてきた。中には、かつて第一王子に仕えていた者の顔も混じっている。
「節操のない連中だな」
そう言って肩をすくめたが、内心では軽蔑と利用の境界を巧みに使い分けている。力が傾いたと見るや、いち早く尻尾を巻いてすり寄ってくる者たち。だが、それが政治というものだ。使えるなら使えばいい。忠義を期待するのではなく、役割を与えて、管理するだけでいいのだ。
重要なのは別にある──。
「実績と、“駒”か」
小さく呟く。
まずは内政面での実績。これについては順調だ。王に提出した都市の再編案も評価され、王国財務局との連携による新税制案も軌道に乗り始めている。少なくともこの分野において、自分は兄より遥かに上手く立ち回れているという自負がある。
問題は、もう一つの“駒”──レオンである。
地方貴族の妾腹の少年に過ぎなかったはずの存在。スキルも持たぬ、ただの追放者。だが、いまや彼の名は王宮中に広まっている。〈暗黒騎士〉を一騎打ちで撃退し、騎士団の一部からも称賛されているらしい。そして何より、あの王が、明らかに目をかけている。
(あの駒は、確実に手に入れねばならない)
既に一度、若手貴族を通じて、それとなく勧誘を試みさせた。しかし──結果は芳しくない。ライエン侯爵の報告によれば、まともに相手にすらされなかったとのことだった。明確な拒絶に近く、取りつく島もなかったらしい。
「時期が悪かった、か……」
ユリウスは椅子にもたれながら、静かに目を閉じた。それでも完全に拒絶されているとは思わない。焦る必要はない。レオンは確かに実力者だが、まだ政治の表舞台に慣れているとは思えない。こちらの手の内をすべて晒す時ではない。下手に接近すれば、警戒されるかもしれないし、王妃や旧ラグナル派の残党たちにも余計な刺激を与える。
「王子ともあろう者が、無位無官の男に軽々しく声をかけては、他の貴族たちもざわつくだろう」
だからこそ、今は表に出ない。自ら動くのは、もっと風向きがはっきりと変わった時。その時が来れば、レオンも、自分のもとに来るだろう。いや、来ざるを得なくなる。
「それまでに、こちらの地盤を盤石にしておけばいい」
──ただ、一つだけ誤算があったとすれば。
支援に赴いた村での出来事。同行させた若手貴族の一人が、村人たちに対して横柄な態度を取り、無用な軋轢を生んだ。くだらぬ自尊心で現地の民心を損ね、レオンに余計な不信感を与えたのだ。あの場面のことを思い出すと、いまでも口の中に苦みが広がる。
(まったく……余計な真似をしてくれた)
とはいえ、当時は特に問題が起きた様子もなかったし、報告書にも書かなかった。隠蔽する意図はなかった。ただ、些細なこととして忘れていただけだ。だが、後日──王宮での謁見の場で、レオンがその件に言及し、それが王の耳に届いた。
直接の叱責はなかったし、公に問題視もされていない。形式上は何事もなかったことになっている。実際、処罰を受けたのは、軽率な態度を取った当の若手貴族一人だけで済んだ。こちらに責任の所在が及ぶことはなく、報告を怠ったことも追及されなかった。結果として、自分の立場に傷がつくような事態にはならずに済んだのは、幸いだった。
(……いや、あれはむしろ“切り捨て”のいい機会だったのかもしれない)
ユリウスは冷静にそう分析する。役に立たぬ駒なら、見限るまでだ。むしろ、公然と処罰されたことで、自分がその軽挙を容認しなかったという印象すら残せた可能性すらある。
だが、問題は別のところにあった。
──それが、王の胸にどのような印象を残したのか
──レオンの中で、自分への評価がどう揺らいだのか
その確信が持てないことが、ユリウスの中に得体の知れぬ不安を芽生えさせていた。
(うまく距離を詰められそうだったのに、遠ざけてしまったかもしれない……)
焦りはした。苛立ちもした。だが──
「それも兄の失脚で、帳消しだな」
口の端に笑みを浮かべる。確かに一手は誤ったかもしれないが、それ以上の成果を得た。第一王子という大きな障害が、自ら転げ落ちてくれたのだ。まだ勝負は終わっていない。レオンとの距離も、いずれは埋められる。
そう信じて、ユリウスは再び執務机の上に置かれた報告書に手を伸ばす。そこには、各地の施政状況、開発計画、財政再建案──ユリウスの描く“未来の王国”の青写真が並んでいた。
すべては、王位のために。そして──
彼のもとに、“最強の駒”を迎え入れるその日のために。




