第78話 無期限の謹慎
後日、第一王子ラグナルに対し、正式な処分が下される。
重厚な扉の奥、王宮の小広間に呼び出されたラグナルは、緊張と苛立ちを抱えながら王と宰相の前に立っていた。王は重々しい声で言い渡す。
「ラグナル。そなたのこの度の行動、命令違反、独断専行、そして王子としてあるまじき振る舞い。もはや看過できぬ」
ラグナルは顔をしかめ、不満を露わにするも、言葉を挟めずにいた。
「よって、王命により、今この時をもって、そなたに“無期限の謹慎”を命ずる」
その言葉に、広間の空気が凍る。
「今後、厳重な監督の下で日々を過ごし、必要であれば礼儀作法や歴史、政治、軍事の基本から再教育を施す。王子としての責務を果たせると判断されるまで、外出も一切許可せぬ」
ラグナルは唇を噛みしめながら、拳を震わせた。
「……」
「不服か? だが、これは見放すための罰ではない。そなたが、王子として、そして一人の人間として立ち直るための猶予だ」
隣に控えていた宰相も冷静な口調で言葉を添える。
「前回の話、覚えておいででしょう。あれは最後の警告でした。もはや自覚のない振る舞いは、自身の立場を貶めるだけでなく、国そのものを危機に晒します」
ラグナルは何も答えなかった。答えられなかった。ただ、静かに踵を返し、広間を後にする。
扉が閉まる音が、妙に重く響いた。
重々しい扉が背後で閉まった瞬間、ラグナルの肩が小さく揺れた。怒りを堪えた震えか、それとも──屈辱か。
(俺が……王子であるこの俺が、謹慎? 外出も禁じられて……?)
心の中で憤りが爆発する。足早に廊下を進みながら、拳を固く握りしめた。
(あんな“奴”がいなければ……すべては、あいつが現れてからだ。レオン。忌まわしい名だ……!)
脳裏に焼きついた、あの戦場での光景が何度も甦る。自分に見向きもしなかった〈暗黒騎士〉。ただ無様に吹き飛ばされた自分。一騎打ちを始め、そして、圧倒的な強さを見せつけたレオン。
(なぜ……なぜ誰も俺を見ない。俺は第一王子だぞ……王となる器なのに……!)
言い訳は心の中でいくらでもできた。独断専行も、あの場の勢いと義憤ゆえ。命令違反も、国を想っての行動。誰よりも責任を果たす覚悟があった──そのつもりだった。
(レオンが特別視されるのは、奴が“力”を持っているからだ。だが……それだけだ。“力”さえあれば、誰でも称賛される。ならば、俺だって……)
ふと、心の奥底から湧き上がる、形にならない感情。
──羨望
──嫉妬
──焦燥
(……違う。俺の方が、上なのだ。立場も、血筋も、責任も……すべてにおいて、あいつより上にある。あんな冷たい目をして、何もかも悟ったような顔で……!)
レオンの無関心さが、ラグナルには耐えがたかった。自分を侮蔑するでも、挑発するでもなく、ただただ「どうでもいい」と言わんばかりの態度。王子という肩書すら意味をなさないかのような、あの“視線”。
(ふざけるな……俺を、誰だと思っている……)
ラグナルの胸の奥で、いつしかそれは「執着」へと姿を変えていた。
(見ていろ……俺は、必ず……あいつを超えてみせる。力で、地位で、すべてにおいて。俺の方が……正しいんだ)
彼は誰にも見られぬ廊下の片隅で、唇をかみしめながら静かに呟いた。
「……俺が、王になるんだ。絶対に」
だが、その声はあまりにも小さく、そしてどこか、虚ろだった。
◆
グレイフォード公爵は深夜の執務室で、手元の書状を睨みつけたまま、独り息を吐いた。
「……潮目が変わったな」
重苦しい沈黙の中、暖炉の薪がぱちりと音を立てる。積み上げてきたものが、音もなく崩れ落ちていく気配がする──それは錯覚ではない。
第一王子ラグナルを頂点に据えた政権構想。長年かけて宮廷内に根回しし、軍部と貴族院の要所を固めてきた。だが、王妃の無謀な介入に加え、ラグナル自身の暴走。さらに、忌まわしき妾腹の少年──レオンの存在が、すべてを狂わせた。
ラグナルが謹慎処分となった今、どうにかして王にとりなしたいと考えた。だが──
「無理だな……」
思わず、声に出してしまった。王妃を通してとりなすことも考えたが、それも絶望的だ。
王妃は、レオンに対して脅迫まがいの言葉を浴びせたことが露見しており、王から明確に距離を置かれている。自分にしても同じだ。エリオットという駒を使い、レオンを排斥しようとした一件──あれも、どうやら王に薄々感づかれている。レオンを囲い込みたいという王の気持ちに逆らった形になった自分に対し、直接的な咎めこそないが、最近の王の視線には、明確な不信がにじんでいた。
そもそも、先の戦に参陣させるべく、宰相を通して王に進言している。なんとか帯同ということで許可が下りたが、他ならぬラグナルの自爆で結局意味を成さなかった。
ここでラグナルを庇おうものなら、今度こそ自分の身が危うくなるだろう。ここは我慢するしかない。だが、それ以上に気になるのは、ここへきて第二王子ユリウスが、存在感を見せ始めたことだった。
「ユリウスめ……」
忌々しげに名を吐く。これまで無害な学者王子と見くびっていた男が、内政の場で手腕を発揮し始めている。しかも、まるで“今がその時”とでも言わんばかりの周到さで。背後には、老獪な策士──ライエン侯爵。これまで中立を装っていたが、ついに動いたか。
「このままでは、ラグナル派は……いや、公爵派そのものが崩れる」
焦りが喉を焼く。それでも、今は軽挙は許されない。下手に動けば、レオンやユリウスに対する敵意を露わにすることになる。何より、王がどちらを見ているのか──それが今や誰の目にも明らかだった。
「……時を待つしかない。だが、ただ待つわけにもいかぬ」




