第77話 憂い
一行が王都の城門をくぐると、騎士団長は隊を解散し、休息を命じた。そしてすぐに玉座の間へと足を運んだ。
彼は静かに、だが緊張感を持って、王へ戦況を報告する。
「陛下、砦の死守に成功いたしました。こちらの負傷者は多いですが、砦における死者も埋葬を済ませております。……尚、今回の戦いで、〈暗黒騎士〉の正体が判明しました。先日王都を追放された、エリオット・アルテイルでございます」
玉座の間に静かな衝撃が走る。だが騎士団長は言葉を切らず、続けた。
「敵は黒装束の集団。魔術師を含めて二十人ほど。正体はいまだ不明ですが、極めて統率の取れた組織であり、単なる野盗や傭兵とは思われません。……加えて、今回の戦闘において、レオン殿の力は圧倒的でした。〈暗黒騎士〉であるエリオットを、正面から圧倒し、重傷を負わせています。……正直、あの力は規格外です。私の目から見ても、もはや並の騎士の域ではありません」
王は深く頷きながらも、重い沈黙のまま聞き入っていた。
「ですが、その戦いにおいて、第一王子殿下は……命令を無視し、私の再三の制止も振り切って単独で敵に突撃しました。結果は……敵からはまるで相手にされず、何も為せぬまま退くほかありませんでした」
王の顔に怒りが浮かび始める。騎士団長は厳しい声で続けた。
「さらに、戦後の死者の埋葬においても、殿下は一切手伝われず、その姿勢には騎士たちからの強い不満が噴出しております。……対照的に、レオン殿は率先して埋葬を手伝い、兵たちを励ましておりました。その姿勢と実力から、既に騎士団の間では“レオン殿こそ真の指導者”という声が少なからず上がっております」
王は深く息を呑んだ。だが、報告はまだ終わらない。
沈痛な声で、騎士団長は最後の言葉を絞り出した。
「集団行動において、最も重要なのは“協調性”です。ですが、第一王子殿下には、その自覚が致命的に欠けていると断言せざるを得ません」
重苦しい沈黙が玉座の間を覆う。
王は王座の背後に掲げられた王国旗に視線を向け、低く唸るように呟いた。
「……皮肉なものだな……。エリオットが敵として現れ、レオンが英雄として浮かび上がるとは……」
その声には、怒りとも焦りともつかぬ混乱が滲んでいた。
そして苦悩を滲ませた目を宰相へと向ける。
「第一王子にも困ったものよ……。宰相、どうしたものか……」
王の問いに、老宰相レオナードは冷ややかに頷き、静かに答える。
「陛下、実は以前にも私が第一王子に対し、幾度となく諫言を試みております。王子の振る舞いがあまりに傲慢であり、周囲への配慮が欠けていると」
宰相は厳しい目で言葉を続けた。
「しかし、その度に一時の言葉としては聞き入れても、真の反省も改心も、私には一度として見えたことはございません。……はっきり申し上げれば、もはや私も、諦めつつあるのが正直なところです」
宰相は冷静に、淡々と続ける。
「陛下……第一王子殿下は、もはや単なる“わがまま”の域を超えております。謹慎の延長はもちろん、厳格な監視体制を敷き、あらゆる行動を制限するべきです。それ以外に道はありません」
王は黙したまま、その言葉を噛み締める。だが、その胸中は激しく渦巻いていた。
(……宰相の言う通りだ。これまで何度、第一王子に諫言がなされたことか。私自身も厳しく叱責してきた……だが、あの子は変わらぬ。むしろ、レオンという存在が現れてから、その傲慢さはより露骨になっている)
そして今、新たな現実が王を苛ませている。
(……ここへきて、第二王子ユリウスの名が挙がり始めた。慎重で聡明なあの子は、既に貴族たちの間でも高い評価を受けている。宰相も密かに“次”を意識し始めているのだろう……。だが……)
王は無意識に拳を握りしめ、心の中で呻く。
(それでも、第一王子を簡単には見捨てられぬ……。幼い頃から、王家の後継として育ててきたのだ。私の手で選び、私の手で鍛え、いずれこの国を託すはずだった……。その誓いを、そう簡単に反故にはできぬ……)
だが、王の胸には切り裂くような現実も突き刺さる。
(……だが、このままでは、臣下どころか民心すら王家から離れるかもしれぬ。既に騎士団ですら、第一王子に対する不信と反発が溢れているのだ。このまま進めば、王家の威信は崩壊しかねない……)
王は無意識に視線を王国旗へと向けた。
(……この旗を、私の代で汚すわけにはいかぬ。だが、私は“父”でもある。……どうすればよいのだ……)
その胸の内で、“父”としての情と“王”としての責務が激しくせめぎ合い、苦悩が王を押し潰さんとしていた。
一方、宰相の内心は凍てつくように冷たかった。
(……陛下は、いまだ“父”として第一王子を見ている。しかし、この国にとってはもはや“障害”でしかない。これ以上の甘さは、国を滅ぼす火種となるだけだ)
宰相は冷静に、なおも厳しい表情のまま続けた。
「今後は、王子としての責務を果たせぬ限り、一切の外出を禁じるべきかと存じます。そして、適正を見極めた上で……いずれ“次の策”を講じる時が訪れるでしょう」
(第一王子殿下の〈聖剣〉スキルに頼らずとも、レオンという戦力がある。無理に第一王子殿下を推さずともよいのだ)
王は王国旗を見つめたまま、深い溜息をつく。
「……国の未来のため、厳しくとも導くしかあるまい……」
その言葉は、父としての悲哀と、王としての覚悟が入り混じるものだった。
静寂が戻った玉座の間――
王はなお王子を憂い、宰相は冷ややかに未来を見据えたまま、それぞれの思いを胸に抱き、黙して席に着き続けた。




