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持たざる者は、世界に抗い、神を討つ  作者: シベリアン太郎


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第69話 冷徹なる孤高

 館を出る頃、エルネストの顔からは余裕の笑みが消え失せていた。

 王都の夜風が冷たく頬を撫でる。


(……まずい。これは、まずいぞ……)


 彼の頭の中は、ライエン侯爵への言い訳でいっぱいだった。


(まさか、ここまであっさり断られるとは……。これでは、まるで俺の手腕が足りなかったかのように思われる……!)


 焦りと狼狽が渦を巻く。


(しかも、第二王子殿下が背後にいることまで見抜いていた……)

(どうする、どう誤魔化す。いや、そもそも誤魔化せるか……?)


 彼は暗い夜道を急ぎながら、必死に思考を巡らせた。


(──だが、あの男。あれは……尋常じゃない)


 脳裏に焼き付いて離れない、あの冷たい瞳。

 貴族社会の常識も、名誉も、金も──まるで無意味と言わんばかりの拒絶。


(まるで……獣だ。何も恐れぬ、孤高の獣──)


 彼の背筋を、薄ら寒いものが這った。

 だが、恐怖に怯える暇はない。


(……とにかく、今は報告するしかない)


 彼は重く暗い溜息をつき、夜の王都にその姿を消していった。

 ──その背に、いつまでもレオンの冷たい拒絶の声が、鋭く残り続けていた。



 王都中心部、高位貴族のみが立ち入ることを許された“蒼銀の回廊”──その最奥に、ライエン侯爵の私邸はあった。

 装飾を抑えた重厚な石造りの館。贅を尽くした他家とは異なり、無骨さと秩序を重んじた設えが、主の性質を如実に物語っていた。


 エルネストは、執務室の前で深く息を吸った。あのレオンとの交渉の失敗という現実で手に汗が滲む。

 扉の向こうからは何も聞こえない。だが、それが逆に不気味だった。

 やがて、重厚な扉が静かに開かれる。無言の従者が頭を下げ、入室を促す。

 エルネストは襟を正し、一歩、足を踏み入れた。

 執務室の奥、陽を遮る分厚いカーテンの前に、漆黒の執務机。

 重厚な椅子に座る男──ライエン侯爵は、静かに視線を上げた。年齢不詳。彫刻のように整った顔立ちに、冷たい灰色の瞳。陰影の深い部屋にあっても、その眼差しは鋭く光を帯びていた。

 まるで“見透かす”ようなその眼差しに、エルネストの喉が一つ鳴った。


「……戻ったか」

「はっ。先ほど、レオン殿との面会を終え……ご報告に参りました」


 彼は膝を折り、深く頭を下げる。

 侯爵は言葉を交わさず、ただ軽く顎を引いた。それが“要点を述べよ”という合図だった。

 エルネストは震える心を抑えつけながら、言葉を選んで口を開く。


「──誠に申し訳ございません。説得は……不首尾に終わりました」

「理由は?」

「……彼は、地位にも名誉にも、金にも興味を示しませんでした。アルテイル家の再興にも──完全な拒絶でした」

「しかも、こちらの背後に第二王子殿下がおられることを見抜いていました……」

「……」

「まるで、初めから断るつもりで来ていたような……」


 沈黙が落ちる。

 彼は唇を噛み、侯爵の判断を待った。

 だが──ライエン侯爵は、すぐには口を開かなかった。

 椅子に深く身を預け、指を組んで、思索に沈む。

 しばしの沈黙の末、ようやくその口から静かな声が漏れた。


「貴様。交渉の手順に不備はなかったのだな?」

「は、はいっ! 最大限、丁重に。礼節を尽くして──」

「その結果が、これか」


 わずかに眉が動いた。

 それだけで、エルネストの背筋に冷たい汗が滴る。

 侯爵は椅子の肘掛けに指を組み、目を伏せた。

 その間にも、エルネストの心臓は早鐘を打つ。

 やがて、侯爵はゆっくりと視線を戻す。

 灰色の瞳が、氷のように光った。


「……なるほど。そうか。ならば、今は“追わぬ”方がいいな」


 エルネストが顔を上げる。

 侯爵の視線は窓の外に向けられていた。


「無理に接触を重ねれば、警戒を深めさせるだけだ。……あの男は、自ら動くまでは揺らがん」

「……では、しばらく様子見を?」

「そうだ。静かに、遠くから観察する。必要とあらば、別の機会に引き寄せればよい」


 そして侯爵は、小さく鼻を鳴らす。


「──この件、第二王子殿下にもそれとなく伝えておけ。“思ったより頑固だった”程度にな。深追いは得策ではない、とな」

「はっ、承知いたしました」


 エルネストは深く頭を垂れ、緊張の糸がわずかに緩む。


「……退がれ。くれぐれも騒ぎ立てるなよ」

「かしこまりました」


 エルネストが退出した後も、侯爵は椅子に身を預けたまま、しばし動かない。

 ──その眼差しは、まるで獲物の動きを伺う狩人のように、冷たく静かにレオンの背中を追っていた。


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