第67話 手応え
王都は、初夏の陽射しに包まれていた。
だが、玉座の間に連なる政庁の回廊は涼しく、静まり返っている。
その奥、私室に戻った第二王子ユリウスは、上着を丁寧に脱ぎ、召使に渡すと、静かに腰を下ろした。
窓際の椅子に身を沈め、深く息をつく。
「……上々だ」
復興支援の報告は既に王へと届けられた。王の反応も悪くはない。
一部若手貴族の失態もあったが、さほど気にすることではない。民からの感謝の声も一応は記録され、王都の一部貴族たちの視線も、明らかに自分へと向き直っているのが分かった。
そして──何よりも。
「レオン……。まったく、いい駒を見つけたものだ」
誰もいない部屋で、ユリウスは静かに呟いた。
第一王子ラグナルが感情に任せて敵対した男。
スキルを持たぬ“落ちこぼれ”とされていたはずの存在が、今や辺境の英雄として語られ、民の信頼を得ている。
その力は、王都でもじわじわと噂になり始めていた。
──あの日、焼け落ちた村での対面を思い出す。
確かに、あの時のレオンは冷静だった。
民の前では礼を尽くし、堂々と受け答えをしていたが──その実、ユリウスに対しては容赦なく正論を突きつけた。
『必要なものを聞きたい? それは、俺にではなく直接“民”に聞くべきことだろう』
あの言葉を受けた瞬間、胸の奥に冷たい焦りが走ったことは、今も鮮明に覚えている。
だが、そこで取り乱すような真似はしなかった。すぐに微笑み、素直に「そのつもりです」と応じた。
その場を収めた巧妙さで、ユリウスはむしろ確信を深めた。
(──あれでいい。あれで十分だ。多少の手厳しさは、かえって誠実さを印象付ける。民は、強者よりも“聞く耳を持つ王族”を好むものだからな)
内心の動揺など、最初から計算に織り込んでいる──そう自分に言い聞かせるように、薄く笑みを浮かべる。
──その男と、さほど違和感なく接触し、感謝を述べ、王家としての礼節を示す。
それを自然な形で成し遂げたことが、どれほどの意味を持つか。ユリウスはよく理解していた。
「彼は私を警戒していた。だが、敵意ではなかった。冷静に観察し、測っていた……。あの距離感を保たれたままでは困るが、焦ることもない。いずれ、立場が変われば、見えるものも変わる」
力のある者は、それを持たぬ者に従わない。
だが、居場所と目的を与えれば、自ら動き出すものだ。
その機を見逃さず、支援と敬意を差し出せば、信頼は築ける。
──兄が見誤ったものを、自分は見誤らない。それが、“王たる器”の差だ。
「兄上は、己の誇りに囚われた。剣の名誉、家の威信、王子としての矜持……そのすべてに縛られ、民も、兵も、そして……駒さえも失った」
冷笑が漏れる。
「まったく、愚かしい」
レオンを得ることができれば、自分の陣営はさらに強くなる。
民の人気、軍の信頼、そして“神に選ばれぬ者”という象徴性。
それらを背負う男が、自分の傍らに立てば、どれほど強い武器となるか。
「次は……兄上をさらに追い込む策を、練らねばならないな」
軍部からの信頼を揺るがし、重臣たちの支持を減らし、ラグナルを“王たるに足りぬ者”として既成事実化する──。
そのための布石は既にいくつか打たれている。
だが、より確実な“駒”と“機会”が必要だ。
それを手に入れるまで、動き続けねばならない。
その一方で、ユリウスは王都の貴族たちの動きも見逃していなかった。
彼らは、表向きはまだ警戒を隠そうとしている。
辺境から現れた異端の英雄──レオンの影響力を、誰もが静かに測っているのだ。
だが、ユリウスには確信があった。
(──彼らも、いずれ私に頼るしかなくなる)
第一王子ラグナルは、既に失墜しつつある。
荒れ狂う彼の背に付けば、自らも共に沈むだけだ。
ならば、次に選ぶべきは、穏やかに権勢を伸ばし、民心をも得ている第二王子──自分しかいない。
「レオンを味方にできれば、貴族たちの心も自然とこちらに傾くだろう。王位継承の流れは、否応なく決まる」
ユリウスは椅子から立ち上がると、窓辺に歩み寄った。
王都の街並みが見える。その遥か向こう、辺境の空を思いながら、彼は薄く微笑む。
──そして、その冷たく計算された笑みに、ほんの一抹の「狂気」が滲む。
だが、ユリウスは気付いていなかった。
あの日、瓦礫の村で交わした会話の裏側で、レオンがどれほど深い失望を抱いていたかを。
王族も貴族も、結局は己の欲と地位のために動くだけの存在──。
レオンはその現実に、心の奥底で静かに、しかし確かに絶望し、見限っていた。
その冷ややかな感情に気付けぬまま、ユリウスは勝利の余韻に浸り続ける。
(いずれ、彼も私の側に立つ。そうなるよう、私は仕向けるだけだ)
彼の目は、まるで盤上の駒を見るように細められていた。
その先にいるレオンの、固く閉ざされた心の扉の存在など──露ほども意識することなく。
レオンに自分の思惑を鋭く見抜かれ、既に内心で突き放されていることなど──露ほども知らずに。




