第65話 レオンの長い夜
被害に遭った村や街の復興作業を終え、ようやくレオンとレティシアは王都に戻ってきた。砦で第一王子ラグナルが戦って以降、〈暗黒騎士〉の行方はわからなかった。
夕暮れ時、王都のとある裏通りに面した小さな酒場。賑やかに騒ぐ冒険者たちを尻目に、レオンは薄暗い隅の席に座り、耳を澄ませていた。
「……〈暗黒騎士〉? ああ、あいつなら、北門近くの墓地で見かけたって奴がいたな」
「やっぱりあれは魔物じゃないかって噂だぜ。あの異様な気配……普通の騎士とは違ってたってよ」
断片的な情報を拾い集め、レオンとレティシアは何度も酒場を移り歩いた。日がとっぷりと暮れる頃になっても、それほど有力な情報は集まらなかった。
そして夜も更けた頃、二人は宿屋へと足を運んだ。
「え? 二人部屋……?」
レオンは思わず聞き返した。だが、受付の女性はにこやかに鍵を差し出す。
「レティシア……? これは──」
「だって、情報の整理をするんでしょ? いちいち別々の部屋に行くの、面倒だし」
当然のように答えるレティシアに、レオンは頭を抱えたくなった。だが今更部屋を分けてくれと言うのも妙な空気になる気がして、渋々後を追う。
宿の二階、一番奥の部屋。中は清潔で、広めのベッドが一台。その脇には簡素な机と椅子、暖炉、洗面台が備えられていた。
「……ま、まぁ、情報の整理だけだしな………」
レオンは自分に言い聞かせるように呟いた。
ところがである。
「ふぅ……っと。やっと休める。もう疲れちゃったよ」
振り返ると、レティシアはいつの間にか服を脱ぎ、薄手の肌着姿になっていた。しかも、それがまるで当然かのように自然な仕草で。
「……れ、レティシア!?」
「ん? なに?」
レオンの声に首を傾げながら、レティシアは髪をほどき、ゆったりと椅子に腰を下ろす。その姿に、レオンは思わず目を逸らした。
白い肌に、華奢な鎖骨。戦場で見せる鋭さとは違う、年相応の柔らかさがそこにあった。
「ま、待て。何でそんな格好なんだ」
「え? 寝る時って、こうするものじゃないの?」
「いや……そりゃそうかもしれないけど!」
どう見ても、“一緒に寝る”前提の服装だ。レオンの頭の中で警報が鳴り響く。
「……まさか、一緒に寝るつもりじゃ──」
「うん。だってベッド一つしかないし。床で寝たいなら止めないけど?」
「くっ……!」
平然と返されて、レオンは何も言い返せなかった。彼女にとっては、何も特別な意味などないのかもしれない。けれど、問題は──
(落ち着け、俺……! これはあれだ、あれ! 情報整理。まずは……冷静になれ……!)
レオンは深呼吸を一つして、震える手で机に資料を並べ始めた。
その横で、レティシアは無防備に伸びをしながら、眠そうな瞳で彼を見ている。
「……変な顔」
「余計なお世話だ」
彼女の無邪気さに振り回されながら、レオンの長い夜が始まった──。
◆
資料の整理は思いのほか早く終わった。
情報の断片から、〈暗黒騎士〉の足取りは結局わからない。朝になったら、また調査に向かうことで意見は一致している。
問題は──それ以外だ。
「……さて。寝よっか」
レティシアがふわぁと欠伸を漏らし、ベッドに歩いていく。その肌着姿はさほど露出が激しいわけではない。が、年上の女性特有のやわらかな線と、無防備な態度がレオンの理性を絶えず揺さぶってくる。
「お、おい、俺は床に──」
「ダメ」
きっぱりと言い切るレティシア。
「レオンの身体、冷えやすいでしょ。あんな修行ばっかりしてきた身体、布団なしで寝たら風邪引くよ」
「で、でも……!」
「それに、ほら。安心して。私はレオンが可愛いから一緒にいたいだけで、やましいことなんてこれっぽっちも──」
「可愛いって言うな!!」
レオンが叫ぶと、レティシアはクスッと笑った。
「……ほんと、赤くなると、もっと可愛いね」
「~~~っ……!」
もはや反論する気力もなく、レオンは布団の端に身体を滑り込ませた。
静まり返った部屋の中、レティシアは幸せそうに目を閉じていた。
すぅ……すぅ……と安らかな寝息を立てている。その横顔には警戒心のかけらもない。まるで、子供を抱く母のような──いや、違う。あれは明らかに“お気に入りの小動物”を愛でる飼い主のそれだ。
(なんで俺が……こんな目に……!)
レオンはベッドの端で完全に硬直していた。背筋をまっすぐに伸ばし、片手を胸の上、もう片方を布団の上に。
(何も考えるな。何も感じるな。これは修行だ。修行の一環だ……!)
しかし、横からほんのりと香る石鹸の匂いと、たまに寝返りで布団が揺れるたびに感じるぬくもりが、精神を容赦なく攻め立てる。
寝られるはずがなかった。
鳥の声が聞こえ始める頃、レオンは目を開けたまま天井を見つめていた。眠っていない、というより、眠ったのかそうでないのかよくわからない。
その横では、レティシアがぐっすりと眠っている。寝ぼけた顔で、うっすら笑って──レオンの腕に軽く抱きついている。
(……うわあああぁぁ……!)
心の中で悲鳴を上げながら、レオンはそっと身を引いた。
(このままじゃ命がもたない……)
早く抜け出さねばと思うも、彼女の腕は意外としっかりと絡んでいて、引き剥がすには力が要る。起こしてしまうわけにもいかず、レオンは心の中で葛藤を繰り返していた。
しかし、遅かった。
「ん……おはよう、レオン」
朝日が窓辺を照らし始める頃。レティシアは、やわらかな声で目を覚ました。半分寝ぼけながらレオンの腕を抱いたまま、くすぐったそうに笑っている。
その瞬間──レオンは身を硬直させた。
(やばい……まだこの状態だったか……!)
「……ふふ。なんだかいい夢見た気がする。レオンが、もっと小さかった頃の夢」
「はぁ!?」
「ふわふわの髪で、ちっちゃな声で『お姉ちゃん』って……ほら、そんな感じ」
「そんな感じじゃない! そんな夢見るな!!」
顔を真っ赤にして叫ぶレオンに、レティシアは目を細めて微笑んだ。
「でもさ、こうして近くにいると分かるよ。レオンって、見た目は可愛いけど──身体はちゃんと鍛えてるよね。筋肉の線とか、手首の固さとか」
さらりと触れてくる手に、レオンは飛びのいた。
「な、なに触ってんだ!」
「え? 確認。武人として当然でしょ?」
「誰が納得するかっ!!」
完全にペースを握られたレオンは、混乱の極みにいた。まだ眠気の残る脳に、羞恥と戸惑いと焦りが混ざり合う。
そんな彼を見て、レティシアは小さく笑った。
「……でも、そういうとこも含めて、レオンってやっぱり可愛い」
「やめろおおおぉぉぉ!」
そしてその後………
朝食を済ませ、二人は調査のために宿を出た。表情こそ普段通りを保っていたレオンだが、その目の下にはっきりと寝不足の影が浮かんでいた。
「……なぁ、次からは別々の部屋にしよう」
「えー、どうして? 効率いいのに」
「心が……持たない……」
レティシアは「またまたぁ」と楽しそうに笑いながら、無邪気に前を歩いていく。その背中を見ながら、レオンは遠い目をしていた。
(……今度は絶対に、床でもいいから一人で寝る……!)
そう強く誓った少年の朝は、どこかいつもより長く感じられた。
少年の瞳は、昨夜よりもわずかに虚ろだった。




