第62話 聖教国
この世界において、人の運命は神が与えるスキルによって定められている。
それは祝福であり、呪いであり、人生そのものだ──。
聖教国は、そんなスキルという神の恵みを絶対とし、あらゆる統治の基盤とする神政国家である。
王ではなく、“神の代理人”を名乗る教皇が国の頂点に立ち、その下には枢機卿、大司教、司教といった聖職者たちが並ぶ。彼らは、法を司り、信仰を導き、人の価値を「神から授かるスキルの有無」によって測る、徹底したスキル至上主義の担い手たちである。
この国では十歳になると、すべての子どもが〈スキル授受の儀〉と呼ばれる神聖な儀式を受け、その者の天命を定められる。その厳粛なる儀式は、聖教国内のみならず、周辺諸国──王国、帝国、他の自治領にも司教を派遣し、執り行われている。
各国の王侯貴族であっても、子のスキルを判定してもらうために、聖教国の司教を自国に迎えることは避けられない。それは神の恩寵を受けた“正統なる支配者”であることを内外に示す、避けがたい通過儀礼でもある。この「スキル儀式の独占」は、聖教国が外交上、圧倒的優位を保つ最大の理由の一つである。
その神の意志を最も純粋に受け取る存在が、教皇直属の〈聖女〉である。神より〈神託の声〉というスキルを与えられた聖女は、時に神自らの啓示を地に伝え、国の方針をも左右する。
〈聖女〉は制度上、教皇の下に位置づけられているが、 “神の声”を代弁するという一点においては、いかなる位階よりも重い存在とされる。
神託を補佐・記録する〈神託官〉たちの存在が、彼女の言葉に形式と法を与えているが──裏を返せば、神託の解釈を巡って枢機卿たちの間には暗闘と政治的駆け引きが絶えない。
表向きは、神の光に満ちた清廉なる国。
だがその内側では、信仰・権威・スキルという三つの聖なる力を巡る思惑が、静かに、しかし確かに、世界を動かしている──。
彼らは白き法衣を纏い、神の名のもとに祝福を与える者として、各国に迎えられる。だが、聖教国から派遣される司教たちは、単なる儀式の使者ではない。彼らの本質は“観察者”であり、“選別者”であり、時には“裁定者”である。
王国においては、地方貴族の屋敷に滞在し、次代当主のスキルを鑑定する傍ら、家臣たちの忠誠、家族関係、勢力図にまで目を光らせる。
誰が神に従い、誰が信仰を形だけのものとしているのか──。
一方、帝国では聖教国を警戒しているが、スキル鑑定を受けない者は「闇の徒」と見なされるリスクがあるため、仕方なく受け入れている。
だが、聖教国の司教は軍内部の構成、スキル適性、指揮系統を密かに調べ、本国へと詳細な報告を送り続けている。
「信仰を通じて、心の奥底に触れる」──それが聖教国の司教たちの得意技であり、恐るべき力だ。
告解の場で吐かれた秘密は、ただの懺悔では終わらない。幾重にも仕組まれた聖文の唱和、安息と称する瞑想の導き、そして時に用いられる、〈説得〉や〈魅了〉のスキルすら組み込まれた“精神誘導”──。彼らが口にする「救済」とは、魂の救いか、それとも忠誠の植え付けか。
聖教国の司教は笑顔で祈る。
だがその背後では、静かに、しかし確実に、各国の内部に“神の網”を張り巡らせている。
◆
聖教国の首都、聖都アルシア。
黄金の大聖堂〈光の神座〉にて、その夜、〈聖女〉セラフィーナは神託の儀に臨んでいた。
彼女のスキル〈神声の器〉は、 “この世の理”に歪みが生じた時、神より直接の啓示を受ける力を持つ。
その日は、静謐であるはずの神域に、異質な震えが走った。
そして、祈りの最中に、〈聖女〉は突如として絶叫した。
「これは……世界の理にあらざる“もの”……!」
白い法衣に包まれた身体が痙攣し、虚空を指差す。
彼女の瞳には何も映らず、だが、確かに“何か”を見ていた。
「名を持たず、形を持たず、されど存在する。
神の御手に届かぬ地にて、影は胎動する──
時は満ちる。世界が再び、選ばれねばならぬ」
その言葉に、大聖堂の聖職者たちは息を呑み、即座に、教皇直属の〈枢機卿会議〉が招集された。
〈聖女〉の神託は絶対である。しかもそれが「理に外れる“存在”」への警告であるなら、これは単なる預言ではない──即ち、神より賜った異端の兆しに他ならない。
王国と帝国はそれぞれ、大陸の政治と軍事の中枢を担う。その両方で“理外の影”が蠢いているとしたら、放置することは神への冒涜となる。
聖教国は直ちに、〈聖務隠修会〉を動かした。彼らは表向きは教義の管理を任された神官でありながら、裏では“異端の芽”を狩るべく育てられた、教会の影の刃である。
〈聖女〉の神託に従い、以下の諜報作戦が発動される。
王国へは、派遣司教が再び王都に赴任。
「若年貴族への信仰指導」の名のもとに、貴族階級の思想とスキルの傾向を洗い出す。また、一部の魔道士ギルドに「神の印」と呼ばれる刻印を配布し、これを持つ者の魔力波動を通じて“理外の影”との干渉を検出する仕組みを導入。さらに、王国宰相府の文官に接触し、「非スキル保持者の動向」や「辺境地帯での怪異の噂」の記録を買い取り始める。
帝国では開発中の〈スキル共鳴測定器〉を危険視。聖教国の学識聖者を装った諜報員が研究都市に潜入。一部の技術官に金と信仰を与え、研究資料を少しずつ教国に送らせる。また、帝国軍に対しても“魂への干渉”に対する神聖な反論を布教し始め、少数派の信仰軍人を密かに教会の味方として取り込んでいく。
神の意志を騙る者を探し出し、滅するために。




