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持たざる者は、世界に抗い、神を討つ  作者: シベリアン太郎


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第61話 接触

 朝靄の中、焼け落ちた家屋の骨組みが静かに影を落としていた。レオンは斧を握り、村の長屋の倒壊した梁を担ぎ上げる。


「こっちは運べる、レティシア。少し手伝ってくれ」

「りょうかーい。こっちの支柱も整えておくー」


 レティシアは、背中の弓を降ろし、身軽に瓦礫の上を飛び越える。彼女の手には既に鍛冶用の工具が握られていた。


 二人は、襲撃を受けたばかりの辺境の村に来ていた。村は無残な姿を晒していたが、生き延びた者たちの眼差しは、決して折れてはいなかった。レオンたちは彼らと共に瓦礫を除き、食料を分け合い、少しずつ立ち直る助けとなっていた。


「この村も同じ……。襲われたのは夜、目撃証言はほとんどなし。けれど──」


 レティシアが真っ黒に焼け焦げた地面の一点を指差す。


「……やっぱりここも“黒い炎”の痕跡があるね」


 レオンは頷く。あの〈暗黒騎士〉が現れた村には、共通して同じ異常な焼け跡が残されていた。普通の炎では説明がつかない、まるで呪われた魔力が地を這ったような痕。


「やはり奴か……。だが、足取りが定まらないな。無差別なのか、それとも──何か意図があるのか」


(〈暗黒騎士〉、か……)


 レオンは空を見上げた。春の風が、新たな煙の臭いを運んできた気がした。



 朝靄がようやく晴れ始めた頃、王国軍の騎馬隊が村へと到着した。

 それは王国の紋章を掲げた復興支援団だった。装備は簡素ながら整っており、荷馬車には薬品、保存食、毛布などが積まれている。


 だが、村人たちの視線はどこか冷ややかだった。

 ──今更、か。

 それが、彼らの胸中に渦巻く正直な思いだった。既に村は焼かれ、多くの命が失われていた。最も苦しい時に、王国軍の影はどこにもなかったのだ。


「……何しに来たんだ、今更」

「王子様か何か知らねえが、死んだ連中は戻らねぇぞ」


 そんな囁きが、耳を澄まさずとも聞こえてくる。

 先頭に立つ一人の青年が、ゆっくりと馬を降りた。

 第二王子、ユリウス・エルダリオン。

 飾り気のない礼装に身を包み、目立った装飾は一切ない。だが、その立ち居振る舞いには洗練された貴族の気品が漂っていた。

 彼に付き従う数人の貴族や高官たち──いずれも王都ではそれなりの権勢を誇る面々──は、王子や自分たちに向けられる、村人たちの冷たい視線に気付き、わずかに表情を曇らせていた。


(……このままでは、まずい)


 そんな焦りが、その目に滲む。

 それ以上に、彼らの警戒は、レオンへと向けられていた。


 ──この男。

 焼け落ちた村の瓦礫の中で、民から信頼と感謝を集めるその姿は、王家の人間でないことがかえって厄介だった。

 貴族でもなければ、役人でもない。だが、民心は既に彼の方へ傾いている。


(第二王子殿下の御前で無礼のないように……だが、あの男が余計なことを言い出せば……)


 彼らは内心で舌打ちしながら、息を潜めて様子を見守っていた。

 ユリウスの視線が、瓦礫の山から顔を上げたレオンと交差する。


「……やはり、ここにおられましたか」


 ユリウスは静かに微笑みながら歩み寄った。

 レオンは斧を土に突き立て、身体についた埃を払いながら、無言でその歩みを待った。


「各地の村々でのご尽力、誠に感謝しております。王家を代表して、礼を申し上げます」


 丁寧な言葉に、レオンはほんの一拍だけ間を置いてから応じた。


「俺は、ただやれることをやっているだけです。礼には及びません」

「それでも、民はあなたに救われた。兄……ラグナルが、道を誤った故に届かなかった救いを、あなたがもたらしてくれた。……そのことについては、弟としても、謝罪を」


 その言葉に、レティシアがチラッとユリウスを見た。レオンは表情を変えず、ただ頷いた。


「別に謝罪を受ける立場でもありません。ただ、救助が遅れれば、人が死ぬ。それだけのことです」


 レオンは目を細め、ユリウスをまっすぐに見つめた。

 彼の声には、誠意と落ち着きが感じられる。感情を大げさに表に出すこともなく、冷静に状況を捉えているのがよくわかる。

 だがレオンは、その裏に潜むもう一つの意図を読み取っていた。


(──今が好機と見たか)


 兄が失脚し、自らが台頭するには、民の支持を得ることが何より重要。そして今、この辺境の村で民から最も信頼を得ているのは──他でもない、レオン自身。

 ここで接触することは、実に理に適っている。

 そのために、ユリウスは自ら馬を降り、泥にまみれた地を歩くことを選んだのだ。


(第一王子とは、確かに違う。落ち着きと理性……だが、その奥底には──冷徹な計算がある)


 王族として必要な器量。それは否定しない。

 だが、レオンはそれを「信頼」に置き換えるつもりはなかった。


(兄は、自身の名誉回復のために。弟は、兄の失態の間に己の功績をあげるために……どちらも、結局は自分自身のためか)


 胸の奥底に、ひどく冷めた感情が広がる。

 民のために動くと言いながら、その実、己のためにしか動かぬ貴族や王族たち。

 彼らにとって“救い”とは、自身の立場を守るための方便でしかないのだ。


(……くだらない)


 静かに、心の底で吐き捨てるように思う。

 どんなに綺麗な言葉を並べようと、行動の裏にあるのは、己の欲望と保身。

 そんなものに、何を期待する必要があるというのか。


()()()──動いてくださるなら、それで村は助かります」


 あくまでそつなく、礼儀を欠かすことなく。だが、どこか突き放した口調だった。

 ユリウスも、それ以上の踏み込みはしなかった。


「ええ。しばらくはこの地で、補給と再建の支援を行います。必要なものがあれば、遠慮なく伝えてください」


 ユリウスは穏やかにそう言い、レオンの返答を待つ。

 だがレオンは、ほんのわずかに眉をひそめ、静かに言葉を返した。


「……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()──なのでは?」


 その声は低く、淡々としていたが、確かな棘があった。

 周囲の空気が一瞬、凍り付く。

 付き従っていた貴族たちの顔色がさっと変わり、ユリウス自身も内心でわずかに動揺した。


(……正論だ。だが、この場でその通りに動けば、かえって私の立場が悪くなる……)


 焦りを覚えつつも、ユリウスは表情一つ変えず、すぐに柔らかく頷いた。


「……もちろん、そのつもりです」


 まるで最初からそう考えていたかのような、自然な受け答え。

 貴族たちも慌てて頷き、取り繕うように村人たちのもとへ向かう。

 やがて荷馬車の荷が少しずつ降ろされ、支援物資が手渡され始めた。


「……ありがとう。そこに置いておいてください。後で皆に配りますので」


 村人たちは丁寧な言葉を使いながらも、その目は冷ややかで、どこか壁を感じさせた。

 若い貴族の一人が、その態度に顔をしかめ、つい声を荒げる。


「貴様、なんだ、その態度は!  王国からの支援を受ける下賤な存在が──」

「それなら結構です。どうせ今更ですからね」


 その言葉に更に激昂する。


「貴様! それで──」

「やめろ」


 すかさず年長の貴族がその肩を掴み、低く叱責するように制した。


「愚か者め、ここで騒ぐな。殿下の顔に泥を塗る気か」


 若者は不満げに唇を噛みながらも、多くの村人たちが冷たい目で彼を見ていることに気付き、渋々引き下がる。

 ユリウスはそれを黙って見ていた。表情には出さなかったが、内心では苦い思いを噛み締めていた。

 だがレオンは、そのやり取りを冷めた目で見つめていた。


(──それ見たことか)


 貴族たちはいつもこうだ。今回も、自分たちの対応の遅さを棚に上げ、いかにも“施してやる”といった上からの態度。

 だが、村人たちはそれを見透かしている。


(滑稽だな)


 心の奥底で、冷たく笑う。

 そして第二王子。“寛容で誠実な王子”を装ってはいるが、最初に口をついて出たのは“俺”への問い。

 つまり、彼の意識は最初から“民”ではなく“俺”──すなわち、王家の利害と自身の立場にしか向いていなかったのだ。


(結局、民のことなど見てはいない。自分の保身と計算だけだ……)


 そして、何も言わずに静かに斧を持ち直した。

 ユリウスは軽く頭を下げると、なおも民に穏やかに声をかけながら、村の視察へと歩みを進めていく。

 従う貴族たちは、去り際にもレオンを一瞥し、警戒と苛立ちを隠さなかった。


(……厄介な男だ。剣の腕だけではなく、頭も切れる。第二王子の敵となる前に、いずれ潰さねばならぬかもしれん)


 そんな不穏な気配すら、そこにはあった。

 遠目に視線を送りながら、レオンは心の中で乾いた嘲笑を漏らす。

 最初から、レオンの心は彼らに対する期待など欠片もなかった。


「……くだらない」


 誰に聞かせるでもなく、低く呟いたその声は、風に紛れて消えていった。

 レティシアがレオンの傍らに寄ってきて、小声で囁いた。


「……話、ちゃんとできた?」

「ああ」

「けど……あの第二王子、ちょっと違う雰囲気だね。お兄さんとは真逆というか、何かこう……腹の底が見えないっていうか」


 レオンは曖昧に頷いた。


(王家の跡目争いか……そんなもの、お前らで勝手にやっていてくれ。だが、俺がそれに巻き込まれるつもりはない……)


 レオンは再び斧を握り直すと、瓦礫の中の木材を引き抜いた。

 静かに、瓦礫の中から引き上げた木材を肩に担ぎながら、レオンは空を仰いだ。

 夏の光は、どこまでも澄んでいる。だがその下にあるのは、醜く濁った人間たちの争いと欲望だ。


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