第60話 第二王子の野心
謁見の間の重苦しい空気がようやく静まった頃、第二王子ユリウス・エルダリオンは、玉座に進み出て一礼した。
「父上、僭越ながら進言がございます」
その声は穏やかでありながら、確かな意志を帯びていた。激情に駆られる第一王子ラグナルとは対照的に、常に冷静で思慮深いと評される男の声。
王アルヴァン四世は、黙ってその姿を見下ろす。
「〈暗黒騎士〉の足取りが掴めぬ現状では、討伐隊をいたずらに動かすよりも、民の安全と生活の再建を優先すべきかと存じます。被害を受けた村や街の復興こそ、王国の安定に繋がります。……既に、レオン殿がいくつかの村でその任にあたっているとも聞いております」
一拍置き、ユリウスは視線を伏せる。
「彼の働きは称賛に値しますが、本来それは、我ら王家の務め。兄上が謹慎を命じられた今こそ、民の信頼を回復しなければなりません。どうか、私にも復興支援の任をお与えくださいますよう」
その言葉に、周囲の重臣たちがざわめいた。
特に、第一王子派の貴族や高官たちは、顔を曇らせ、互いに目配せを交わす。
(またこの男か……)
(ここぞとばかりに王の覚えを良くしようというのか)
彼らは表面上は沈黙を保ちながらも、内心では苛立ちと警戒を募らせていた。
しかしユリウスは、それを知ってか知らずか、微動だにせず、落ち着いた声で言葉を紡ぐ。
──もちろん、内心は冷静に計算している。
(兄上が失脚し、貴族たちが動揺している今こそ、私の存在を強く印象付ける好機。表向きは“王家の責任”を掲げ、反感を買わぬよう心掛けねばならない)
だが、それを表に出すことは決してない。ユリウスは微笑すら見せず、静かに、誠意ある若き王族として振る舞っていた。
王はしばし沈黙したあと、ようやく頷いた。
「よかろう。物資と兵を付けよう。ただしお前自身が出向け。……民の声を、直に聞いてこい」
「はっ」
ユリウスは深く頭を垂れた。
その瞳には、冷たい光が微かに宿っていた。
──着実に、王都における立場が変わりつつあることを、彼は誰よりもよく理解していた。
(まずは一歩だ。焦らず、だが確実に──)
玉座の間に響くざわめきの中で、彼は静かに勝利の余韻を噛み締めていた。
◆
書斎の扉が静かに閉じられ、重厚な音が石造りの室内にこだました。
王アルヴァン四世は、執務机の前に立ち尽くしていた。
積み重ねられた報告書にも、窓から差し込む夕日にも目を向けることなく、ただ静かに思案を巡らせる。
──ラグナルとユリウス。
正反対の性質を持つ、我が二人の息子たち。
ラグナルは、〈聖剣〉スキルを授かり、我が家に代々伝わる聖剣を継いだ者。勇猛で、正義感が強く、誰よりも前に立とうとする。だが、その分、視野が狭く、激情に流されやすい。
父としては、その強さに期待した。いや、〈聖剣〉を手にしたその時から、彼を“後継者”として育ててきたのだ。
だが、その重責に、彼は押し潰されつつある。
民の声に耳を貸さず、兵の忠言を退け、自らの名誉のために突き進んだ結果が、あの惨敗。
そして何より、昨今の彼の振る舞いは“王”の資質とは程遠かった。
──対して、ユリウスは違う。
〈治世〉のスキルを持つ男。理知的であり、現実をよく見ている。
無駄な衝突は避け、時には言葉を控えてでも場を収める術を知っている。
民の感情を読み、重臣たちの動きも理解している。
そして何より、いま自らの「価値」を高める機を、決して逃さない。
先ほどの進言──民の復興支援に名乗りを上げた行動もまた、その一手であることは分かっていた。
表面上は善意に見えるその言葉の奥に、冷静な政治的計算があることを、王は見抜いていた。
だからといって、それを否定する理由はない。むしろ王としては──いや、この国の将来を考える者としては、歓迎すべきことなのかもしれなかった。
「……だが、問題は息子たちだけではない」
王の視線は、机の端に置かれた系譜図へと移る。
その図には、王家を支える二大貴族──グレイフォード公爵家とライエン侯爵家の名も刻まれていた。
ラグナルの背後に立つのは、グレイフォード公爵家。
歴代の武門の家柄であり、王家に忠誠を誓い続けてきた名家。騎士団と軍部の多くを掌握し、今もなお強大な影響力を持つ。
先の王都における争乱では、エリオットを背後から操り、レオンの排斥を目論んでいたようだが……。それだけに無視できぬ後ろ盾。
一方、ユリウスを支持するのは、ライエン侯爵家。内政と財政に長けた貴族であり、商人や行政官僚とも結びつきが強い。王都の経済と政務の要を握っていると言っても過言ではない。こちらは資金面で大きく第二王子を支援している。政治には金がかかることをよく知っている。
──即ち、この二人の王子の対立は、単なる兄弟間の問題に留まらぬ。
王国内部の“勢力構図”そのものを揺るがす火種である。
王は額に手を当てた。
もし、どちらかを明確に後継者として扱えば、もう一方の派閥は必ず動く。
そして王自身が老いを迎える今、そうした派閥争いが表面化すれば、この国は一気に不安定になる。
「……民に必要なのは、争いではなく、安定だ」
低く呟くその声は、自分自身に言い聞かせるようでもあった。
玉座にある者として、いずれ“決断”の時が来る。
だが、今はまだ、その時ではない。
王は立ち上がり、静かに窓辺に歩み寄る。
紅く染まり始めた空の下、遠くに王都の街並みが見えた。
その灯火は、王として守るべきはずの民の暮らしそのものだった。
そしてそのすべての未来が、息子たちの手に委ねられる日も、そう遠くないのかもしれない──。




