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持たざる者は、世界に抗い、神を討つ  作者: シベリアン太郎


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第59話 叱責

 謁見の間は静寂に包まれていた。

 金と蒼の装飾が施された広間の玉座に、王アルヴァン四世は威厳を纏って座していた。老齢ながらその眼光は鋭く、誰一人として視線を受け止めていられないほどだった。

 玉座の下、膝をつく王子は静かに頭を垂れていた。その甲冑は血と泥と煤にまみれ、戦の痕跡を生々しく残している。

 重く響く扉の音と共に、謁見の間に冷たい空気が流れ込んだ。玉座の上に鎮座する王は、厳しい眼差しを向けたまま微動だにしない。


(──愚か者が。せっかく、名誉を挽回する最後の機会を与えてやったというのに……このざまだ)


 王は心の奥底で激しい怒りを噛み殺していた。あの時、自らの威厳を削ってまで、王子に討伐の任を授けたのは、父としての最後の情けだった。それを、焦りと傲慢で踏みにじった王子の愚かさが、今のこの沈黙よりもよほど重く、苦々しかった。


(……結局、貴様は何一つ変わらなかった。名誉ではなく、ただ己の欲望と焦燥のままに動き、失敗を繰り返した。……これ以上、何を与えれば目を覚ますというのだ)


 王の冷たい視線は、その怒りと失望の深さを隠そうともせず、ひたすら王子の姿を見下ろしていた。


「報告は聞いた。──敗れたそうだな」


 鋭い声が、空気を切り裂いた。


「……申し訳ありません」


 跪いた王子は、うつむいたまま答える。口調には悔しさと後悔が滲んでいた。

 王の視線がさらに鋭さを増す。


「敵を侮り、傲り、配下が止めるのも聞かず、敵陣に突っ込んだ。そして敗れ、多くの部下を失った……そういうことだな?」


 その場に膝をついたまま、王子は何も返せなかった。唇を微かに震わせながらも、ただ沈黙を貫くしかなかった。


 王は小さく息を吐いた。そして、言葉をさらに重ねる。


「……焼け出された村では、レオンたちに会ったそうだな。復興作業に尽力している彼らに対し、まるで『邪魔をするな』と言わんばかりの態度をとったと聞いている」


 玉座からの声は冷ややかだったが、その奥には明らかな不快感と失望が込められていた。だが、それが目の前の王子に伝わるかどうか。

 そして、王の語調が一段と低く、重くなる。


「配下から生存者の救助を進言されたが、それを無視したとも聞いている。──民からも、救助をしてくれたのは軍ではなく、レオンたちだったとの不満の声が上がっている」


 微かなざわめきが広がる。そこにいる誰もが報告の内容に衝撃を隠せない。


「どういうつもりだ?」


 再び問われたその言葉は、王子の心臓を直接締めつけるようだった。王子の口は開かれたが、言葉にはならない。答えを持たない沈黙だけが、謁見の間に重く垂れこめていた。

 重苦しい沈黙が、石造りの謁見の間に広がる。

 王子は跪いたまま、何も答えられずにいた。玉座の上、王の冷厳なる眼差しが、それを静かに見下ろしている。


「貴様……王子としての自覚があるのか?」


 その一言が、雷鳴のように響いた。


「戦に敗れ、民を守れず、配下を多数失った。しかも、復興の地では、不和を撒き散らしたとあっては──王家の威信を損なう行為と、何が違う?」


 傍らに控えていた宰相レオナードが、ほんのわずかに目を伏せた。彼は忠誠深い賢臣だが、この件ばかりは庇い立てできぬと、沈黙で示していた。


「あれだけ大口を叩いておきながら、王家の威信を損なっただけとはな」


 王のその言葉は、王子の胸に鋭く突き刺さった。顔を上げることもできず、ただ自責の念に押し潰されるように、頭を垂れたまま動けない。


 ──報告を聞いていた王の側近──将軍たちや高官の間には、微かなざわめきが走っていた。目を伏せる者、眉をひそめる者の姿もあった。


 かつては「王家の光」とまで称えられた第一王子の姿に、誰も擁護の声をかけられない。討伐の出陣にあたり、王子がどれほど気負っていたかは誰の目にも明らかだった。

 だが、焦りと怒りに突き動かされ、配下の進言を退け、結果的に傷ついた民を見捨てた事実は──重かった。誰もが薄々感じていた。王子は焦っている。──レオンの存在に。


「……殿下が、焦っておられたのは分かっていた。しかし……」


 小さく誰かが呟いた。だが、それは王と王子の距離を越えて届くことはなかった。

 ラグナルは、耳に入ったその声を振り払うように、拳を強く握り締めた。


 王の声が、冷えきった空気のなかで再び響く。


「貴様の軽率な行動は、ただの敗北にとどまらぬ。王家の名を貶め、軍の信用を損ない、民の信頼を裏切った。……もはや、お前の持つ〈聖剣〉のスキルすら、その価値が問われようとしているのだぞ」


 静かな言葉ほど、重く、鋭く突き刺さるものはない。

 ラグナルの指がわずかに震える。


 〈聖剣〉と聖剣。

 神から与えられたスキル──王家の象徴にして、自らが背負う最後の誇り。そして王家に伝わる、王族にしか扱えぬ聖なる力を持つ剣。

 それが“信頼を取り戻す武器”ではなく、“疑念の象徴”となりつつあるという事実に、王子は言葉を失った。


 ──重苦しい沈黙が、謁見の間を支配する。

 誰もが、この場で王子が何を返すのかを見守っていた。だが同時に、それを恐れてもいた。かつての「未来の王」を信じ切っている者は、この場にいるのだろうか、と。


 王子の心の奥底で、抑えきれぬ感情が渦巻いていた。王子の指先がわずかに震える。拳を握りしめ、顔を上げようとするが、王の鋭い視線がそれを許さない。


「……言い訳があるなら申してみよ。あるいは、この場で自らの非を認め、罪を償う覚悟を示すかだ」


 宰相が一歩前に出ようとしたが、王が手をかざして制した。


「助け舟は不要だ。王子としての立場を、誰よりも理解しているはずだからな」


 空気が凍りつく。

 それでも王子は、必死に言葉を探そうとしていた。だが、口をついて出そうとしたのは、言い訳でも弁解でもなかった。


(違う……。俺は、負けたのではない……まだ、終わってはいない……)


 だがその思いを口に出すには、あまりにも言葉が軽かった。王の眼前で、己の正しさを証明する手段を、彼は既に失っていた。


 やがて、王の低く、重い声が再び空間を支配した。


「何も語らぬか……もうよい、そなたの処分については、後日改めて決めよう。だが、今のそなたに軍は預けられぬ」


 王子の肩が、わずかに震えた。


「謹慎を命ずる。戦の責は重く、王子といえども例外ではない。──その間に、自らの過ちと、王家の名が持つ意味を省みよ」


 まるで鉄槌を振り下ろすような言葉だった。周囲の高官たちは誰一人声を発せず、ただ深く頭を垂れた。王命は絶対であり、容赦はなかった。


「……はっ、謹んで拝命いたします」


 低く、くぐもった声が返る。王子の顔は伏せられたまま、その表情は誰の目にも映らない。ただ、両の拳が力強く握られているのが見て取れた。


(レオン……なぜ貴様が、民の信を得る。なぜ、父上の目が……貴様に向く)


 その胸奥で、黒い感情がゆらりと揺れた。怒りか、嫉妬か、それとも別の何かか。本人にもわからなかった。


 宰相が一歩前へ進み、静かに口を開いた。


「陛下、王子殿下にはひと時、静養の機会を。過ちを知るには、冷静なる時間も必要にございます」


 王は頷きもせず、ただ視線だけで応じた。


「その件、任せた。……だが、二度目はないと思え」


 王の視線は、もはや王子を捉えてはいなかった。だがその一言が、最も重かった。

 謁見の間に響いた甲冑の擦れる音が、誰よりも哀しく、孤独に響いていた。


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