第57話 王子と異端
騎馬の蹄が地を打ち、旗が風に揺れる。
第一王子ラグナルは、王家の聖剣を腰に携え、討伐隊を率いて王国北部を駆けていた。
しかし──敵の姿は、どこにもない。
「……またか」
眼前に広がるのは、黒煙の余韻と焦げた大地だけ。村の家々は焼け落ち、あちらこちらから時折呻き声が漏れる。だが、肝心の〈暗黒騎士〉の影は、既に霧のように消えていた。
ラグナルは唇を噛んだ。
(なぜだ。なぜ、いつもこうなる……!)
皆の前で威信を失い、王に失望された。
それでもなお「〈聖剣〉の担い手」としての名誉を取り戻すために出陣したのだ。
なのに──また、何の成果も挙げられないまま、空を掴む日々。
焦燥と苛立ちが胸を焼く。
後方から声がかかる。
「殿下、村の生存者と思われる者がおります。治療と搬送を──」
だが、ラグナルは鋭く振り返り、声を遮った。
「俺の任務は〈暗黒騎士〉の討伐だ。余計なことを言うな」
進言した騎士は、悔しさに唇を噛みつつ、深く一礼して引き下がった。
(……正気なのか? 目の前に助けを求める民がいるのに……この方は結局……)
騎士の胸には、王子への失望と虚しさがじわりと広がっていた。
背後で呻き声が続く中、ラグナルはただ、焼け焦げた地面を睨みつけていた。
「──ラグナル殿下?」
副官が声を上げ、彼の視線の先を指差した。
その先にあったのは、村の広場。
倒壊した家々の瓦礫をどけ、怪我人の治療にあたる人影。
焼けた地面に膝をつき、手際よく包帯を巻くその姿。
その中に──見覚えのある、いや、決して忘れることなどできぬ姿があった。
「……レオン……!」
凛とした佇まい、深く沈んだ双眸、まるで神託に背いた異端のような存在感。
エルフと思わしき女性と共に、民と語らい、傷を癒し、村を再建しようとしていた。
ラグナルの胸に、冷たい怒りと焦燥が走る。
(どうして、こいつがここに……!)
剣を握りしめ、歩み寄る。
周囲の兵たちが戸惑う中、彼はまっすぐにレオンの前に立ちはだかった。
「……なぜ、お前がここにいる」
低く、唸るような声だった。
自分の手柄を奪われるという本能的な恐れが、言葉に滲む。
レオンはその問いに、少しだけ首を傾げた。
怒りも、敵意も、どこにも浮かべないまま、ただ淡々と返す。
ただただ、不思議そうに。
「……焼け出された村を見捨てる理由が、どこにある?」
静かな言葉。
その一言が、ラグナルの胸に刺さる。
彼には持てなかった冷静さ、他者のために動くという“強さ”がそこにあった。
レオンは内心、溜息をついていた。
(……相変わらず、自分のことしか見えていないのか)
まるで子供の癇癪だ、と半ば呆れながらも、視線すら合わせようとはしない。
背後では、レティシアが警戒するように一歩前に出る。
その胸中では、苛立ちが渦巻いていた。
(……こんな男が王位を継ぐなど、悪い冗談だね)
冷たい目でラグナルを睨みつつも、今は“治療の邪魔”をする愚か者としてしか映らない。
ラグナルは咄嗟に彼女の気配に目をやるが、すぐにまた視線をレオンへと戻す。
(……このままでは、またあいつに呑まれる)
名誉の回復ではなく、自らの存在意義すらも危うくなる恐怖が、心の底から沸き上がっていた。
「……なぜ、お前がここにいる」
再び、ラグナルの声が広場に響いた。
その声には、単なる問いを超えた苛立ちと敵意が混ざっていた。
レオンは振り返ることなく、最後の包帯を結び、怪我人の肩に手を置いてからようやく立ち上がる。
「……言っただろう。焼け出された村を、見捨てるつもりはない」
その静かな言葉は、逆にラグナルの感情を逆撫でした。
「答えになっていないッ!」
一歩、ラグナルが踏み込む。その手は既に聖剣の柄にかかっていた。
周囲の兵たちが息を呑む。
レオンが呆れた表情を浮かべるように問う。
「では、どう答えれば満足する?」
その瞳には、まるでラグナルを相手にしていない無関心さがあった。
(まったく……。相変わらず、手間のかかる男だ)
空気が張り詰める中、レティシアが素早く一歩前に出た。
「待ちなさい。今は争っている暇などないの。あなたには見えない? この状況が。あの人たちが」
広場には、焼け出され、治療を待つ人が、どうなることかと、固唾を呑んで見守っている。
レティシアの声は冷静だったが、その中に確かな威圧と叱責が含まれていた。
小柄な体躯から放たれる気配に、ラグナルが一瞬、戸惑いの色を浮かべる。
(本当に、こんな男に王冠が渡るなら、民が哀れすぎるわ)
「あなたが探している〈暗黒騎士〉は、既にここにはいない。そして私たちも戦いに来たのではない。ただ、助けられる命を救うために動いているだけ」
「……ふざけるな。貴様らの勝手な行動が、王家の威信を――!」
「もう一度だけ言うぞ」
静かに、しかしはっきりとレオンの声が割って入る。
「俺たちはただ、やるべきことをしているだけだ」
レオンの目には一切の敵意がなかった。けれど、それがラグナルには逆に癪に障る。
まるで「相手にすらしていない」ような視線。おまけにいつの間にか、王子に対して敬語も使わない。
(……どうでもいい相手に、敬意を払う理由はないからな)
レオンは心の中で冷たく突き放していた。
ラグナルは歯を食いしばり、拳を握りしめた。だが、周囲の兵たちの視線に気付き、どうにかその怒りを飲み込む。
「まだ不満か? 俺たちの目的は村の復興作業だ。〈暗黒騎士〉を討つ手柄を横取りされると思っているのなら、それはいらぬ心配というものだ。存分に手柄を立てればいい」
「……勝手に動いておいて、言いたいことを言うものだな。だが、貴様の行動が王国の秩序を乱すことになれば……その時は、容赦しない」
そう言い捨てて、ラグナルは踵を返す。
その背中には、敗北にも似た焦燥と屈辱がにじんでいた。
広場に再び、静寂が戻る。
レオンは溜息をつき、レティシアと視線を交わす。
彼女は何も言わずに頷いた。
そして、レオンは再び村の復興作業へと戻っていった。
(王子の戯言など、耳を貸すほどの価値もない)
その背中には、ただ淡々とした意志だけがあった。




