第54話 救援
生き残ったとはいえ、村人は十人ほど。
焼け落ちた家々と、今にも崩れそうな納屋。もはやこの地で暮らしを立て直すことは難しかった。
「……一度、近隣の街へ避難しよう」
レオンがそう提案する。
「保護してもらえるよう、俺が掛け合ってみる。物資の融通も頼んでみるさ」
「私も行きます」
村人の一人、中年の女性が名乗り出た。彼女の腕には、小さな子供がすがりついていた。
「いや……今日は雨だ。寒いし、待っていた方がいい」
レオンはすぐに首を振り、優しく諭すように言った。
だが、女性は譲らなかった。
「事情を知っている者がいた方が話が早いでしょう? 向こうも、誰とも知らない旅人の言葉だけじゃ、信じてくれないかもしれない」
レオンはしばし黙考し、やがて頷いた。
「……わかった。なら暖かくしておこう」
自分の外套を脱ぎ、子供に着せる。大人用のそれはぶかぶかだったが、雨風をしのぐには十分だった。
わずかな希望にすがるように、村人たちは彼を見送った。
だが――
数時間後。街の門前。
「避難民の受け入れ? 冗談じゃない。こっちもいつ襲われるか分からんのだ」
守備隊の男は、まるで追い払うようにレオンを睨みつけた。
「なら、せめて安全な場所だけでも……子供がいるんだ。納屋でも物陰でも構わない、雨露をしのげるだけでいい」
レオンが必死に食い下がる。
「余裕がないと言ってるだろう。助けが必要なら王都にでも行くんだな、あんたらでな」
冷たく閉ざされた門、鋼のような視線。
“持たざる者”は、やはり見捨てられるのか。
レオンは言葉を失い、しばし沈黙する。
そして、低く、震える声で呟いた。
「……そうか。その言葉、覚えておく」
門の外で待っていた村人の女性は、何も言えずに肩をすくめた。
子供の手が、彼女の服の裾をぎゅっと握る。
レオンは背を向け、冷たい風の中を歩き出す。
村へ戻ると、焼け跡の中に立つレティシアが迎えた。
彼は苦い表情のまま、首を横に振る。
「駄目だった。街も混乱していて余裕がなかった……王都への伝令も拒まれた。門の中にすら入れなかったよ」
レティシアは一瞬、唇をかみしめる。
けれど、すぐに顔を上げた。
二人は村人たちを集め、現状を伝える。
「……ごめん。今は、助けが来るまでここでなんとか生き延びるしかない」
レオンは目を伏せ、言葉を選びながらそう言った。
彼自身、どう伝えればいいのかわからなかった。
断られた時の怒りと、失望、悔しさ──すべてを胸に押し込めるのが精一杯だった。
一人の年老いた村人が、静かに頷いた。
「街の対応には……正直、がっかりしました。でも……あなたたちがいてくれるなら、まだ諦めません」
他の者たちも、それぞれに悔しさと怒りを抱えながら、それでも前を向いた。
「生き延びましょう。強く」
「何もかも失ったけど……命だけはある」
「私たちにできることを、やるだけです」
寒風の吹く焼け跡の村に、微かな火種のような決意が生まれていた。
◆
数日後。
悪天候が続いていた。冷たい雨と風にさらされ、復興作業は思うように進まず、村人たちはせいぜい焼け残った壁の影や、崩れかけの納屋で雨宿りするのが精一杯だった。
食料も薪も底を突きかけていた。
レオンとレティシアは交代で近くの森へ足を運び、野草や木の実、運が良ければ小動物を狩って糧とし、燃やせそうな枝を背負って村に戻る日々が続いていた。
「戻った。獣の気配は薄かったが、キノコが少し見つかった」
濡れた外套を脱ぎながら、レオンがそう言う。
「こっちは薬草を少し。明日はあたしが狩りに出る番だね」
レティシアも手の包みを広げながら頷いた。
そんな中──
「人影?……おい、あれ、なんだ……?」
一人の村人が、曇天の向こうをじっと見つめていた。
視線の先、遠くの街道に土煙が上がっている。次第に幌をかけた荷馬車と、騎馬の一団が見えてきた。
「まさか……また襲われるのか!?」
誰かが声を上げ、村人たちは武器とも言えない棒きれを手に、怯えた表情で集まり始めた。
だが、先頭に掲げられていた旗印が、警戒を和らげる。
「……あれは、辺境伯爵家の紋章だ」
騎馬隊が村の前で止まり、一人の男が馬から下りた。
濡れた地を重厚なマントを翻しながら進む男は、口元に笑みを浮かべる。
「村の者たちよ、遅くなってすまんな。商人から話を聞いてな」
それは辺境伯爵ギルベルト。王国北部を治める重鎮でありながら、こうして自ら先頭に立って現れたのだった。
「急ぎ救援物資を積み、駆けつけた。まさか、こんなに酷いとは……」
ギルベルトはすぐに振り返って部下たちに命じる。
「仮設テントを設営しろ! 風を防げるだけでも違うはずだ。毛布も配れ!」
「すぐに食事の準備をさせろ。温かいものをだ。干し肉でもスープでもいい、腹を満たしてやれ!」
「医師班は負傷者を見ろ。薬も惜しむな。使い切っても、また補充すればよい」
「ははっ!」
「了解しました、閣下!」
その場の空気が一変した。
長く沈んでいた村に、ようやく救いの手が差し伸べられたのだ。
ぼろ布に身を包んでいた村人たちが、涙を浮かべながら頭を下げる。
「閣下……本当に……」
「ありがとう、ございます……」
そんな中、ギルベルトの目がレオンを捉える。
「おお、見覚えがあると思ったら、レオンではないか。久しいな。おぬしもここにおったのか」
「はい。旅の商人から、この村が襲われたと聞きまして」
「ふむ……そやつが我が領にも来てな。詳しい話を聞いて、急ぎ手を打ったというわけだ」
ギルベルトは頷き、厳しい顔つきになる。
「この辺りは直轄領のはずだが、王都からは何の動きもないのか?」
「ええ。近隣の街も門前払いで……王都も沈黙を保ったままです。この村からなら、街も王都も遥かに近いというのに」
レオンの声には、悔しさと憤りがにじんでいた。
「……それが王の名を戴く者のすることか」
ギルベルトは鋭く目を細める。
「よかろう。街と王都には、我が名で正式な抗議の使者を送るとしよう。理なき無視には、しかるべき声を上げねばならん」
レオンは静かに頭を下げた。
「……ありがとうございます。閣下」
その日のうちに、仮設テントの設営が進み、煮炊きの煙が村に立ち昇る。
濡れた体に毛布が渡され、子どもたちには温かいスープが配られた。
村人たちは、その救いに目を潤ませた。
「伯爵さま……命の恩人です」
「このご恩、一生忘れません」
レオンも、そんな人々の声を背に、ギルベルトへ向き直った。
「……ここまでしていただいて、本当に感謝します」
レティシアもまた、深く一礼する。
「私たちだけでは、もうどうにもならないところでした……」
「なに、既に救援が来ていると思ったが念のためよ。備えはいくらあっても困らぬからな」
やがて、村の一角。地図を広げた仮設の会議場。
そこでは、ギルベルトとレオンが並んで今後の方針を話し合っていた。
周囲では物資の分配や治療が進んでいるが、それでも村の被害は甚大で、復興には長い年月がかかるだろう。
「……やはり、この村を立て直すのは難しかろうな」
ギルベルトが苦渋の表情で呟く。
「時間も資材も、人手も足りん。何より、この地はもはや安全とは言えんだろう」
レオンも静かに頷いた。
「村人たちの命を最優先にすべきです。今は、まず生き延びる道を選ぶべきでしょう」
短い会談の末、生き残った村人たちはギルベルトの領地へ移住することに決まった。
そのすべてを、辺境伯爵ギルベルトが責任をもって取り仕切る形で。
やがて、村人たちの前に立ったギルベルトは、力強く言い放った。
「諸君。この村を離れるのは辛かろう。だが、生きるためには、時に決断も必要だ」
「子供も大人も、空いている馬車に、皆で乗っていけばよい。歩く必要はない」
ざわつく人々に向けて、ギルベルトは優しく微笑む。
「心配せずともよい。我が領地では、新たに住む場所と、働き口も紹介しよう。皆、安心せよ──決して悪いようにはせんからな」
その言葉に、誰かが声を上げず涙を拭った。
不安と悲しみの中に、一筋の光が、確かに差し込んでいた。




