第52話 王都、非常事態宣言
重厚な扉が乱暴に叩かれ、執務室の空気が一変する。
「失礼いたします、緊急の報せです!」
駆け込んできた伝令の顔は蒼白だった。
室内にいた宰相レオナードは、眉一つ動かさずに静かに告げる。
「落ち着け。報告を」
「は、はい……!」
伝令は喉を鳴らし、手にした文を差し出した。
「北部街道沿いの街が、今夜未明に襲撃されました。街は壊滅、駐屯兵の大半が死亡……生き残った者の証言によれば──」
一呼吸置き、伝令は声を震わせた。
「〈暗黒騎士〉が現れた、と……」
その瞬間、室内の空気が凍りつく。
「……〈暗黒騎士〉だと?」
宰相の声が低く、鋭く響く。
「一体何者だ? 詳細は?」
「全身黒の鎧、常人離れした膂力、漆黒の炎と凶刃……そして、奴の率いていた魔術師たちの規模も、尋常ではない、と」
重苦しい沈黙が流れた。
宰相は静かに文書を開き、目を通す。
「……魔物……いや、違うな……」
「なんでも妙な、禍々しい仮面を付けていたとか、そのような証言もあります」
「ということは、やはり人の仕業か……引き続き調査を」
「はっ」
◆
「陛下、〈暗黒騎士〉と称される者の凶行が各地で確認されております。被害は甚大です」
王は、重く沈んだ瞳で文書に目を落としながら呟いた。
「……まるで、意図的に“恐怖”を撒き散らしているかのようだな」
「間違いありません、陛下」
宰相は低く答える。その声音は冷静でありながら、確かな緊張を孕んでいた。
「目的は単なる略奪や破壊ではありません。意図的に街を選び、見せしめのように壊滅させている……これは、戦略的な“示威行為”です」
高官の一人が低く呟いた。
「……北部街道沿い。となれば、やはり“魔の森”の影響ではありませんか?」
別の貴族がすかさず反論する。
「しかし、それならば辺境伯爵から報告があるはず。奴は慎重な男だ。異変があれば、必ず王都に知らせてくるだろう」
「だが、実際に街は滅んだのだ。〈暗黒騎士〉とやらが、森の奥から現れた可能性は否定できぬ」
「……魔物の暴走が起きたという報告は?」
「いえ、今の所は特にありません」
重苦しい沈黙が落ちた。王はしばし瞳を伏せ、静かに呟く。
「いずれにせよ、“魔の森”との関連も含め、辺境伯爵に即刻照会を」
「ははっ」
王は拳を握りしめ、歯を噛みしめる。
「我が王国の平和を脅かす者を放置はできぬ。だが、何者なのだ……」
「組織的な陰謀……恐らくは、闇組織と繋がる何者かでしょう。厄介な敵が潜んでいる以上、警戒を強めねばなりません」
「忌まわしい……まるで疫病のごとく、どこまでも国を蝕る……」
「陛下、早急に対策を。各地の警備を強化し、王都の守りも倍増させねば……」
「分かっている」
王は深い溜息をつきながらも、強い覚悟をもって答えた。
「即刻、全軍に通達せよ。王都を中心に防衛線を敷け。各地の要衝に兵を配置せよ」
王は冷静に情勢を見つめつつも、王都の守りに向け全力を尽くすべく、動き始めた。
宰相は深く一礼し、静かに去っていった。
王の命令は、即座に王都中枢を駆け巡った。
各地の駐屯地や要衝への伝令が走り、騎士団は慌ただしく出征の準備を進める。
夜更けにもかかわらず、王都の軍備区画は松明の灯りに包まれ、甲冑を打ち鳴らす音が絶えなかった。
武具を身につけた兵たちが、次々と馬に荷を積み込み、隊列を整えていく。
「まったく……突然の出征命令とはな。相手は正体不明の怪物だと聞く」
若き騎士が苦々しく呟いた。肩に掛けた外套を翻し、隣の同輩に目を向ける。
「恐ろしい話さ。〈暗黒騎士〉とかいう奴は、街一つを滅ぼしたとか……」
相手は不安げに眉を寄せた。
「黒の鎧に、漆黒の炎……まるで童話の魔王じゃないか」
しかし、別の男が低く笑った。
「だがな、それだけ強い相手なら、討ち取った時の手柄は計り知れんぞ? 王からの恩賞は確実だ。昇進も約束されたようなものだろう」
「……死んでしまえば、元も子もないがな」
緊張と野心、恐怖と期待──それらが入り混じる中、各部隊は次々と王都を発っていく。
甲高い角笛の音が、夜空に鳴り響いた。
一方、王都内の守備部隊も動き出していた。城門の警備は三倍に増強され、城下町の巡回も隙間なく行われるようになる。
衛兵たちは緊張の面持ちで槍を握りしめ、夜の闇に目を凝らしていた。
「……まさか、本当に王都に現れるなんてことは……」
衛兵の一人が小声で漏らす。
「馬鹿なことを言うな。ここは王都だぞ。そう簡単に攻め込める場所じゃない」
年嵩の兵が一喝する。
「だが、今度の相手は違う……普通じゃない」
兵たちは口をつぐんだ。夜風が冷たく吹き抜け、松明の火が揺れる。
不吉な予感だけが、静かに広がっていった。
──誰もが感じていた。
これは、ただの反乱でも、盗賊討伐でもない。
これから始まるのは、“戦”ですらない、未知の災厄との闘いなのだ、と。




