第46話 愛弟子
木漏れ日の降り注ぐ森の小道を歩きながら、レオンは尋ねる。
「弟子? ってことは……その人も、精霊魔法の使い手なのですか?」
「ええ。一応はね」
「一応って……」
リューシャはクスッと笑いながら、道の先にある一軒の木造の小屋を指さした。
外観は周囲の自然と調和していたが、扉の周辺には草が伸び放題で、なにやら生活感というより“野営感”が漂っている。
「彼女の家よ。遠慮なくどうぞ──でも驚かないでね?」
その言葉の意味を問う暇もなく、リューシャが軽くノックをしてから扉を開けた。
「レティシア、客人よ。服ぐらい着て出てきなさい」
「……あのー、今何か聞き捨てならない言葉が聞こえましたけれど……」
「えー……今ちょっと取り込み中なんだけど……あ、まぁいっか」
奥から聞こえた声は、どこか気怠げで、だが芯の強さを感じさせるものだった。扉の隙間から現れたのは、金色のくしゃくしゃの髪を後ろでざっくり結んだ女性──年齢はレオンより少し上だろうか。もっともエルフの実年齢などわかるはずもないが。
そして何より目を引いたのは、その格好だった。
「……え?」
「どうかした?」
「いや、なんというか、その……服、着てない……?」
「ん? ああこれ? 肌着だけど?」
目の前の女性──レティシアはまったく気にする様子もなく、リネン地の薄い肌着一枚の姿でレオンを見つめ返してきた。その足元には脱ぎ捨てられた衣類や、色とりどりの下着が散乱している。
部屋の中はさらに混沌としていた。机の上には空の食器、枯れかけた草薬、そして分解しかけた木製の道具が無造作に置かれ、床には何かの巻物や衣類が積み上がっている。
「……残念エル──」
「片付けてる途中だったのよ。そこにある下着は洗おうとして忘れてたやつだから、見なかったことにして。それと残念じゃないから!」
レティシアはまるで気にしていない様子で床に散らばる物を蹴飛ばし、なんとか一人分の座れるスペースを作り出すと、レオンに手招きした。
「まあ、あたしのことは気にしないで。客人ってことは、リューシャ様のお気に入りなんでしょ? よろしくね、坊や」
「坊や……」
エルフらしく美形なのに、どこかガサツで大ざっぱ、そして女性としての自覚にやや欠ける印象。しかしその瞳には、燃えるような情熱が宿っていた。
レオンは、妙に説得力のある彼女の視線に苦笑しながらも、心のどこかで「差が激しいってやつか」と、新たな世界を垣間見た気がしていた。ようこそ、レオン君。
「レティシア、ちゃんと服を着なさい。子供を困らせるんじゃないわよ」
「えー、別にいいじゃない。楽なんだもん。それに坊や、嫌がってないし?」
「坊やじゃなく、レオンです。それに、別に嫌じゃ……いや、あの、どこを見たらいいのか……」
レオンは思わず目を逸らす。肌着越しに浮かぶ身体の線に、床に散らばるレースやシルクの下着──それが視界の端を離れず、少年の頭にはまだ早すぎる混乱が生まれていた。
「レティシア」
リューシャの声が、さっと低くなる。静かながら、どこか鋭さを含んだ声音だった。
「はーい、はいはい。じゃあ、ちょっとだけまともな格好してくるわ」
渋々といった様子で、レティシアは部屋の奥──布で仕切られただけの空間へと姿を消す。その間も、何やらぶつぶつと呟いていた。
「せっかく可愛い子が来たのに。あの年頃の男の子、あたしの好みど真ん中なんだけどなー……」
「……リューシャ様、この人、本当に弟子なんですか?」
「ええ、れっきとした弟子よ。ちょっとアレだけど、才能は確かだから」
リューシャはレオンの肩に手を置き、軽く溜息をついた。
「ただ、あの子……少し趣味が偏っているだけ。気にしないことね」
「……なんか、怖いこと言ってます?」
やがて戻ってきたレティシアは、今度はエルフの民族服のような軽装に着替えていた。だが、それでも素肌に羽織っただけで、相変わらず無防備な印象を拭えなかった。
「さて、と。気を取り直して、自己紹介といきましょうか。あたしはレティシア。伝説の精霊魔法の使い手であるリューシャ様の愛弟子。気になるだろうけど年齢は秘密。そんなところかしら? それじゃ、あたしの自慢でもしようかな。こっち来て」
そう言って彼女が案内したのは、散らかった部屋の一角にある木製の作業机。瓶や乾燥された草花が山積みになっており、所々に魔術符や小さな魔石が並んでいる。
「魔法は得意中の得意よ。自然系と治癒系が中心だけど、攻撃呪文もちょっと使える。あと薬草の調合もね。……これ、即効性の傷薬。五秒で出血が止まるわよ」
彼女は手際よく瓶を取り出し、中身をレオンの手に少し垂らした。ひんやりとした液体が、すぐに皮膚に吸収されていく。
「すごい……魔力の気配がほとんどないのに、作用してる……!」
「でしょ? これは魔法じゃなくて“薬草と符術の合わせ技”なの。純魔法じゃなくても、使えるものは全部使う。──それが、あたしの流儀」
ふふん、と得意げに胸を張る彼女に、レオンは感嘆と戸惑いの入り混じった視線を向けた。知識と経験に裏打ちされた確かな実力──だが、どこか抜けている。
「戦闘もそこそこよ? ほら、あれ見て」
彼女が指差した壁には、細身の双剣と、見慣れない形状の弓が掛かっていた。どれも使い込まれ、修理の跡が丁寧に残されている。
「接近戦も遠距離もこなせるわよ。あたし、器用貧乏だけど、ちゃんと強いの。信じていいよ、坊や」
「だから坊やじゃないって……」
それでも──どこか憎めない。そんな不思議な空気を持つレティシアに、レオンはまだ戸惑いながらも、少しだけ興味を持ち始めていた。
一方で、リューシャはその様子をじっと見つめながら、呟く。
「……あの“趣味”さえ目をつぶれば、とても優秀なのだけれどね……」
レティシアがまた床に散らばった衣類を蹴飛ばしながら、興味深そうにレオンを見つめた。
「で、坊やは魔法使えるの?」
「いや……実は、俺は魔法は使えないんだ。これからも多分使えない」
「ええっ!? そうなの?」
レティシアは驚いた表情を浮かべ、片眉を上げた。
「でも、それでどうやって戦うの? 魔法使えないなんて、かなり不利じゃない?」
レオンは少し俯きながら、ぽつりと話し始めた。
「うん……俺にはスキルも、魔法もない。でも、代わりに【原初の力】っていうものがあって。特殊な力みたいなものだ」
「【原初の力】……?」
「そう。これまで修行してきたけど、魔法を使う感覚はまったくない。だけど、不思議なことに、精霊は俺を拒絶しないんだ。普通、魔法を使わない者に精霊は寄りつかないか、嫌がるらしいけど」
レティシアは首をかしげ、レオンの話をじっと聞いていた。
「へえ……それはちょっと珍しいね。精霊が拒絶しないなんて、特別な何かがあるんだろうね」
「そうらしい。でも、正直まだどう付き合っていけばいいか、わからないんだ」
レティシアは少し間を置いてから、にっこり笑った。
「まあ、そういう変わり者、嫌いじゃないよ。あたしも魔法は万能じゃないし、色々工夫しながら戦ってるから」
「レティシアなら、教え方も上手そうだし、俺も何か掴めるかもしれない」
「そうそう。坊やが【原初の力】ってのを持ってるってだけで、あたしは楽しみになってきた。……それに、あんたちょっと可愛いしね」
レオンはまたしても赤面しそうになり、思わず目をそらした。
「な、何を言うんだ……」
リューシャはそれを見て、眉をひそめて小声で注意した。
「レティシア、あまり子供扱いしないこと。あなたの“趣味”は知っているけれど、彼はまだ理解していないのだから」
「わかってるってば! でも、可愛いんだもん、しょうがないじゃん」
そう言いながらも、どこか嬉しそうな顔のレティシア。彼女の好意はまだ表に出ていないが、確かにレオンのことを特別に見ているようだった。
レオンはそんな二人の間に入りながら、まだ見ぬ未来への期待と、どこか落ち着かない気持ちが入り混じったまま、ここからの日々を思い描いた。




