第39話 反発
王都では、レオンと騎士団の模擬戦の結果が瞬く間に噂となった。
「“無能”とされた辺境の少年が、あの実力だと……?」
「剣技だけで、五人抜き? 騎士団でも難しい芸当だぞ……!」
そして数日後には、さらに驚愕すべき噂が王都中を駆け巡る。
「第一王子ラグナルがレオンに真剣勝負を申し込み、〈聖剣〉スキルを使用して全力で攻撃したが、レオンはこれを木剣で打ち払い、王子を圧倒した」
王都中がざわめく。
その夜、王都の貴族たちの間では、レオンの名が酒宴の話題をさらった。
ある者はその力を恐れ、
ある者は取り込もうと画策し、
ある者は彼の出自──「辺境の捨て子」であるという事実に苦々しい感情を抱いた。
中には冷静にこう呟く老侯爵もいた。
「……新たな“時代”の予兆かもしれんな。あの少年こそ、我らが腐った秩序を打ち壊す剣──」
騎士団の若手や新興貴族の間では、レオンの名が好意的に語られ始めていた。
「剣の腕は本物だ。まさかスキルを持たずに、こんな人物が現れるとは思わなかった」
「持たざる者でも努力と覚悟で這い上がれる証だ。励みになるというものだ」
こうした声は静かながら確実に広まり、王都の空気を徐々に変えていく。
◆
第一王子ラグナルこそが王国の未来を担う器と信じて疑わなかった。
その血筋、王妃の支援、そして我が家──グレイフォード公爵家の後ろ盾。
すべてが完璧に整っていたはずだったのだ。
だが、それを狂わせたのが、あの男──レオン。
第一王子ラグナルを打ち負かし、王妃の誘いすら拒絶したというではないか。
辺境の出来損ないと侮られていた小僧が、気付けば民衆の人気を一身に集めている。
しかも、その事実だけで、王都の空気は明らかに変わり、耳障りな声が増えてきている。
「次代の王は、民を導ける者であるべきでは?」
「血統も大事だが実力こそが必要ではないか?」
──くだらぬ。戯言だ。
王とは、王族とは、貴族とは。
神より賜りし血と責務を担う者であって、民の人気取りなどで選ばれる立場ではない。
それを忘れた時、我らが築き上げてきた秩序と歴史は、音を立てて崩れ去るだろう。
最近では、より悪質な噂すら耳に入る。
「第二王子殿下のご学識と節度こそ、真の器ではないか」
「第一王子は激情的すぎる。いま必要なのは、安定と理性だ」
挙句の果てには、第一王女を推す声すらあるという。
公爵は奥歯を噛みしめた。
──第二王子など、冴えぬ学者崩れに過ぎぬ。
何の覚悟も、支えも、未来もない男を担ぎ上げて、王国の屋台骨が耐えられるものか。
いや、それを分かっていながら、背後で操ろうとしている連中がいるのだ。
レオンも、その駒の一つにすぎまい。
レオンの存在は、王族の権威に対する反旗に等しい。
今のうちに排除せねば、いずれ貴族社会そのものが揺らぐ。
いや、それだけではない。ラグナルの王位継承もまた危うくなる。
「もはや看過できぬな……」
グレイフォード公爵は窓の外を見つめながら呟いた。
このままレオンの影響力が増せば、王妃の立場も危うい。
それは即ち、我が家の力の失墜を意味する。
──早急に手を打たねばならぬ。
たとえそれが、表には出せぬ手段であったとしてもだ。
「……閣下。エリオット・アルテイル様が、お目通りを願っておられます」
執事の報告に、思案を重ねていた公爵の眉がわずかに動いた。
アルテイル男爵家の嫡子。
若き〈聖騎士〉のスキル持ち。
「……通せ。……少しだけな」
エリオットが現れるや否や、深々と頭を下げる。
「グレイフォード公爵閣下。お時間をいただき、感謝いたします」
「要件を手短に」
「はい。私は……レオン・アルテイルという男の危険性について、王都に正しく知らしめねばならぬと考えております」
エリオットの瞳は焦燥に揺れていた。
だがその奥には、剥き出しの憎悪と、打ち負かされた誇りの傷が渦巻いていた。
「彼は、ただの辺境の雑草です。にもかかわらず、王族をも拒絶し、第一王子殿下に刃を向け、しかもその力を誇るように振る舞っています。このまま放置すれば、王家の威信が、いや──貴族社会そのものが……!」
(ほう、言葉選びは稚拙だが、使えるやもしれん)
公爵は目を細めた。
これは「貴族秩序を守る」という大義を掲げる好機にすぎない。
感情に振り回されやすい若者──それも、過去にレオンと確執を持ち、嫉妬に狂う男。
同情するふりをしてやるだけで、こちらに都合よく動いてくれるだろう。
「エリオット殿。……我が意と一致する部分があるようだ」
「……!」
「この件、王都の有力者たちにも伝えていく必要がある。君には、レオンの非道と危険性を語る“証人”として動いてもらおう。民を惑わせる“偽りの英雄”の実像を暴くのだ」
「お任せください! 必ずや、王都に正しき声を──」
公爵は口元に静かな笑みを浮かべながら、エリオットの背後に広がる“使い道”を思い描いていた。
感情を煽り、危機を演出し、貴族社会に恐怖を植え付ける。
そして、王都に“排除すべき異物”としてのレオンの名を広めていく。
──愚か者で結構。使い捨ての駒は、派手に動く方が望ましい。
「さあ、舞台を整えようではないか……民の信仰を裏切る者に、相応しい最期を与えるために」
エリオットが退出した後、公爵は重々しい扉の向こうで執事に指示を飛ばした。
「侯爵家、伯爵家、そしてあの聖堂の老狐にも声をかけろ。 “危機”を煽るには、それなりの舞台と証言が要る。神殿の神官どもには、“偽りの力”に惑わされぬよう忠告しておけ」
「畏まりました」
「真実など、求められてはおらぬ。必要なのは“恐怖”と“義憤”だ」
執事が静かに頭を下げ、去っていく。
公爵は一人、ワインを手にしながらほくそ笑んだ。
(第一王子殿下の威信も保たれ、レオンという異分子も排除できる。……ついでに、王妃の顔も立つ)
貴族社会の安定、秩序の維持、王国の未来──
そのすべてを守るために、多少の嘘と犠牲はやむを得ぬ。
いや、それこそが貴族の責務であろう。




