第35話 敵意
王都に呼び出されて数日。
騎士団との模擬戦でその名を轟かせたレオンは、王城に宿泊を余儀なくされていた。
肝心の情報を得るまでの辛抱だとわかってはいるものの、対応の遅さに苛立つ気持ちがないわけではない。
(こちらの求める情報の中身がわからず、対応を考えているのだろう。あるいはまだ諦めずに、俺を囲い込む手立てを考えているのか)
そんなある朝、控えの間で朝食を取っていたところ、扉が勢いよく叩かれた。
「……レオン殿。第一王子ラグナル殿下より、直々の呼び出しである。速やかに従われよ」
現れたのは、第一王子付きの近衛騎士──厳つい顔立ちの壮年の男だった。その声は高圧的で、まるで命令するような響きを帯びている。
「……まったく、朝っぱらからうるさいな」
レオンは溜息をつきながらも、特に動じる様子はなかった。むしろ淡々と立ち上がり、のんびりと食後の水を飲み干す。
「……まあ、行かないとまた面倒なことになりそうだし、行くか」
騎士の不快そうな視線を受け流しつつ、レオンは後に続いた。騎士は早足で歩き、時折ちらりと威圧するように振り返るが、レオンはまったく気に留めていない。
(どうせ、ろくでもないことに付き合わされるんだろうな……)
早く情報を貰って、さっさとエルフに会いに行きたいのに、と思いながら、彼は気怠げに王城の回廊を進む。急ぐ様子など微塵も見せないのはわざとである。
やがて案内されたのは、朝日が眩しく差し込む王城の中庭だった。
そこで彼を待っていたのは、金と紅の礼装に身を包んだ青年──威風堂々たる佇まいの第一王子だった。
「……第一王子、ラグナル殿下」
レオンは静かに頭を下げた。一応礼儀は尽くす。後で面倒になるのはごめんだ。
だが、その青年は一歩も動かず、鋭い瞳でレオンを射抜いていた。
「礼など要らん。俺は貴様に話がある」
ラグナルは腰の剣に手をかけた。
その動きには隙がない。まさに、王家の剣。
「話とはなんでしょうか?」
「貴様、模擬戦で調子に乗ったな。騎士団の連中が浮かれておる。無礼な奴も増えた。……貴様のせいだ」
唐突で高圧的な言葉に、レオンは目を瞬かせた。まるで言いがかりだった。
「はぁ? ……私はただ、力を試されただけのことですよ。それに、申し込んできたのは騎士団の方では? それなのに私のせいと?」
至極まっとうな道理を淡々と返す。だが、ラグナルは鼻で笑い、切り捨てた。
「言い訳は無用だ」
「事実を言い訳とは言わないんですがね……どこをどう曲解したら、そんな結論になるのか、世の中って不思議ですね」
暗に、お前の言いがかりだろうと、指摘してやる。わざとらしく肩をすくめ、必要以上に大きく溜息をついて。
(……なんだ、この理不尽は。まるで子供の喧嘩だな。頭湧いてるのか?)
内心、呆れしか湧かなかった。第一王子というから、もう少し理知的かと思えば、どうやらただの我儘坊ちゃんのようだ。
(王族ってのは、一体どんな教育をされてるんだ?)
息子の教育もまともに出来ないのか。レオンは少し王に腹が立った。
しかし、自分のすぐ身近にそんな人物──父エドワードがいたことを思い出し、ある意味絶望する。
そんなレオンの態度に、ラグナルの声が鋭く割り込む。
「剣は──言葉より雄弁だ。貴様の“本当の価値”を、この場で見せてもらおう」
周囲の騎士たちが息を呑む。これは“試合”ではない。
明確な──【真剣勝負】の申し出だった。
(……はあ。結局、力で解決するつもりか)
レオンは一瞬、目を伏せ、深く溜息をついた。
(めんどくさいけど……やるしかないか。下手に拒めば、また面倒なことになるだろうしな)
すぐに顔を上げ、毅然と言葉を返す。
「……私は別に構いませんが。念のために確認しますが、本当にやるんですね?」
「当然だ。貴様は──俺の敵だ」
初対面で敵認定。その言葉に、レオンは乾いた笑みを浮かべた。
「ハハハハ……初対面で敵、ですか。なるほど、随分とお盛んなことで」
(……ならばこちらは、初対面で馬鹿王子認定でもしておくか)
呆れを隠しもせず、わざと軽く肩をすくめる。
「いいでしょう。まあ、どうせすぐ終わるでしょうし」
内心では『くだらない』と吐き捨てつつも、仕方なく相手をしてやるか、と割り切る。
(……一応確認はした。ならば遠慮は無用だな。少しばかり、現実を見せてやるか)
レオンの目が静かに、だが冷ややかに細められた。
静寂。
風すら止まったかのような一瞬。
騎士団も貴族たちも固唾を呑む中、二人の剣士が向き合う。
中庭の空気が、張りつめる。
王家の第一王子──ラグナル・エルダリオン。
蒼雷を纏った王家の聖剣を手に、その目は怒りと明確な殺意に燃えていた。
誇り高き者が持つ苛烈な敵意。
それは、単なる貴族意識ではない。血統、正統、秩序という“神話”に裏打ちされた自負が、彼の全身から噴き出している。
だが対する少年──レオンは、無造作に木剣を肩に担ぎ、涼しい顔で立っている。
レオンの剣は無言。
だがその背には、誰の庇護もなく、孤独に鍛え上げた“本物”の重みがある。
「木の枝で俺に挑むつもりか、雑種……。ならば、その命を──この場で散らしてやろう」
その声音は、もはや“対話”ではなく、最初から“処刑宣告”だった。
「……これで十分ですよ」
さらりと言い放つその態度に、周囲の騎士たちもざわめいた。
ラグナルは怒りで顔を歪める。
「貴様、どういう意味だ? 舐めているのか?」
第一王子の殺意が高まっていくのが、誰の目にも明らかだった。だが、レオンは肩を竦める。
「そのままの意味ですけどね。……まあ、安心してください。木剣を言い訳にはしませんよ」
軽く笑みすら浮かべて。まるで“ちょっとした遊び”のように。
それが、ラグナルの怒りに油を注ぐ。
「口だけは一人前だな……いいだろう。貴様の“覚悟”、試してやる」
ラグナルが剣を振り上げる。
天を衝く白雷が落ちるように、彼の周囲が蒼く染まり──
「──〈雷霊剣〉ッ!!」
瞬間、聖剣が雷光を帯びて咆哮した。
蒼白い稲妻が空を裂き、大気が震える。
聖剣に宿った雷霊が、唸り声を上げるかのようにうねり、王子の一撃に殺意を宿す。
「死ねええええッ!!」
雷とともに振り下ろされたその一撃は、もはや「攻撃」ではなかった。
破壊そのもの──王子の全力、殺意の塊だった。
だが。
「……ふむ」
レオンの木剣が、まるで風のように動く。
一瞬、全ての重力を断ち切るような剣筋。
木剣は雷の奔流すらすり抜け、ラグナルの聖剣を側面から軽く弾く。
「なっ──!?」
殺意を乗せた〈雷霊剣〉が、無力にも空を裂いた。
レオンは微動だにせず、ただ軽く木剣を動かしただけで、雷撃すら流し切っていた。
「なぜ受け止められるッ!? 〈雷霊剣〉は“神の裁き”だぞ!!」
ラグナルの絶叫に、レオンは淡々と返す。
「なぜも何も、雷も刃も、所詮はただの“流れ”ですよ。……“流れ”を読めば、別にどうということもない。実際にできているでしょう?」
あまりに冷静で、あまりに呆気ない答え。
「ふざけるなァァァ!!」
二撃目、三撃目──雷が縦横無尽に閃く。
だが、レオンは木剣でそれをすべていなし、流し、そして弾く。
それも、まるで“遊ぶように”。
ここまでほとんど動いていない。ほぼ剣捌きだけで、全ての雷撃を受け流している。
「別に私はふざけているつもりはないですけどね」
静かな口調で、しかし剣先は容赦なく正確──ただ、相手が勝手に空回りしているだけだ。
「まだ続けます?」
「貴様ァァァ!!」
レオンの言葉にラグナルが苛立つ。攻撃が届かない。雷が効かない。
焦燥、動揺、苛立ち。王子の心が、ひび割れていく音が聞こえるほどだった。
そして──
「……こんなものですか。……もう、そろそろ終わりにしましょうかね」
レオンは軽く呟いた。完全に“飽きた”口調だった。
その瞬間、彼が初めて軽く一歩、踏み出す。
「……っ!」
ラグナルの視界から、レオンの姿が掻き消えた。
次の瞬間──
“完全に見切られ、踏み込みを“誘導”された”
それが、事実だった。
「よいしょっと」
レオンの木剣が、ラグナルの聖剣を下から跳ね上げた。
ギィィン!!
轟音とともに、聖剣が吹き飛ばされる。
空高く舞い上がり、銀の閃光となって地面に突き刺さった。
その一連の流れは、誰の目にも完璧すぎるまでの“無駄のない動き”だった。
「……もう、いいですかね?」
レオンの木剣が、ラグナルの喉元にそっと添えられていた。
雷光は、もうどこにもなかった。
殺意をぶつけたラグナルの剣を、一切のスキルも神秘も用いずに、ただの木剣で打ち破った。
その姿は、まるで“絶対”そのものだった。
「なぜ……殺さない……?」
「え? 殺されたいんですか? というか、そんなことしたら大問題になるでしょう?」
こいつ、何言ってるんだ? それっぽいとは思っていたが、本当に馬鹿なのか?
レオンは溜息交じりに告げる。
「……私の剣は、誰かを殺すための剣ではありません。誰もが“折れずに生きられる”ために振るうものなのです……それでも死にたいのであれば、せめて誰にも迷惑をかけずにお願いしますね? それではこれにて失礼いたします」
ラグナルの膝が崩れ落ちた。
完敗だった。
──技量も、精神も、心も。
「…………ぁ…………ッ」
スキルを持たぬ男が、〈聖剣〉スキルの加護を持つ王子を打ち倒した。
しかも、“木剣一本”で。
「〈雷霊剣〉が……効かなかった……?」
「木剣に……神の裁きが……」
「第一王子が、“圧倒された”……?」
貴族たちの顔が青ざめる。
騎士たちは静まり返り、王妃カミラは睫毛の奥に憤怒を宿す。
去りかけたレオンが立ち止まって振り向いた。
「ああ、そうだ。私のことを敵だと仰っておられましたけれど、私はそれで一向に構いませんよ?」
レオンは敢えて恭しく一礼して去った。




