第34話 模擬戦
広大な訓練場に、王アルヴァン四世とその家族、宰相レオナード、騎士団の面々、有力貴族たちが整列していた。だが、そのほとんどが冷たい視線をレオンに向け、抑えきれぬ声でささやき合っていた。
「本当にあの“追放された子”が、辺境伯爵を超える力を持つだと? 寝言も大概にしてほしいものだ」
「スキルも持たぬ無能者が、貴族や騎士団に挑むとは笑止千万」
「どんな手品を見せるのか、せいぜい見物しようじゃないか」
「王の気まぐれが国を混乱させるのではないか? 困ったものよ」
声は低く抑えられているが、もはや嘲笑と侮蔑に満ちている。
中には王への批判と受け取られるものもあるが、有力貴族ともなればその程度で咎められることはない。
そのすべての視線が、冷たい刃のようにレオンに突き刺さる。
訓練場の中央では、レオンが手渡された訓練用の剣を軽く一振りし、肩を回しながら静かに息を整える。その所作に、一切の緊張はなかった。むしろ、どこか穏やかで、余裕すら漂わせている。
「では、両者前へ」
レオンは【原初の力】を封じるつもりだった。ただ、純粋な剣術のみで戦う──それでも、本気を出すつもりは毛頭ない。
(本気など出さない。今ここで、こいつらにすべてを見せる必要などない)
最初の騎士が飛び出した。屈強な男で、二刀を操ることで知られる猛者だった。
「せいっ!」
鋭い踏み込み。交差する二本の剣が、正確無比にレオンの胴を狙う──。
だが、その刹那。
「な……?」
レオンの身体は、まるで“時間”がずれたかのように、ふっと死角へ消えた。
一拍遅れて動いたはずなのに、いつの間にか背後へ回り込んでいる。
「──ッ!」
男の視界が揺れる。その間隙に、レオンの剣が閃いた。
鋭い一閃。二本の剣があっさり弾き飛ばされ、喉元に冷たい剣先が突きつけられる。
弾き飛ばされた剣は、殊更に大声でレオンを嘲っていた貴族の目の前に勢いよく突き刺さる。もちろん、わざとやっている。この程度、レオンにとっては遊びにもならない。
「ひぃっ!」
腰を抜かし、情けない声をよそに、判定の声が上がる。
「一本」
周囲がざわめき始める。
「今、何が……?」
「いや、あの男、動いてすら──」
剣の訓練などまともにしたこともない、馬鹿貴族では見えるはずがない。
二人目、俊敏さに秀でた女騎士が跳び出した。風のように舞い、無数の斬撃を叩き込む。
「はあっ!」
その動きは、まさに流麗の極み。
まるで風のように動きながら、隙間なく斬撃を叩き込もうとする──が、レオンはすべてを見切っていた。
次の瞬間、レオンの剣がわずかに動いた。それは、ただ一撃──肩口を払うように、軽く。彼女は、防御を取る間もなく膝をつき、剣を取り落としていた。
「馬鹿な……! 触れられたことにも気付かずに……?」
「二本」
三人目、盾を構えた重装騎士が突進する。鉄壁の防御で知られる男だ。
「貴様ごときが、これを貫けるかあぁッ!」
だが──レオンはまったく構えを崩さない。真正面から歩み寄り、盾を突く。
瞬間、何が起こったのか分からぬまま重装騎士の巨体が宙を舞い、まるで人形のように叩き落とされた。
「……!? な、何……?」
地に倒れたその手から、盾が転がる。盾は突きの威力でひび割れていた。
「三本」
「あり得ん……!」
「なんだ、この力は……!」
四人目、五人目は連携攻撃を仕掛けた。重厚な斧と長剣、力と技の融合による連携攻撃。
だが──レオンは、もはや無駄すら感じさせぬ動きで、静かに剣を振る。
受け、流し、払い、弾く。その動きは、もはや技術の領域ではなかった。
気付けば、一人は地に剣を落とし、もう一人は剣の柄を顔面に突きつけられていた。
「……五本、それまで」
わずかな息も乱れていない。
訓練場には、もはや言葉も出ぬ沈黙が広がった。
ただ、誰もが理解していた。
──これは、次元が違う。
ただ、風の音だけが、遠くで草を揺らしている。
誰も声を発せぬまま、張り詰めた沈黙が訓練場を支配していた。
──その静寂を、最初に破ったのは騎士団長だった。
「……ば、馬鹿な……」
真っ青な顔。絞り出すような声。
その呟きを皮切りに、抑えていた囁きが一斉に広がった。
「訓練用の剣で……あの盾を吹き飛ばしただと……?」
「まるで舞うようだった……いや、あれは……人間の動きか?」
「あれでスキルを持たない? では、あれが純粋な“剣術”だというのか……?」
(大したことはしていないんだが、この程度で驚かれるとはね……。王国の騎士団といっても相当腕がないものだ。もう少し加減してもよかったかもしれないな)
レオンは周囲の貴族や騎士団をそっと眺める。
先ほどまでレオンを嘲っていた貴族たちの顔からは、みるみる血の気が引いていくのがわかる。その眼差しには、もはや侮蔑はない。ただ、青ざめた顔に浮かぶのは、明確な恐怖。
「……あんな怪物を、我々は……」
「もし、我らの誰かに牙を剥いたら……」
誰かがかすれた声で呟く。
周囲の貴族たちはそれを聞き、さらに顔を引きつらせた。
彼らの視線は次第にレオンから逸れ、互いに目を逸らし合うようになっていく。
下手に目を合わせれば、次は自分が狙われるとでも思っているかのように──。
(まったく……人を化け物みたいに言わないでほしいものだ)
一方、騎士団の面々も硬直していた。
「……あれほどの技を持つ者が、我らの中に……?」
「いや、あれは技ですらない……まるで、“異質な何か”だ……」
レオンは小さく息を吐く。彼に言わせれば、スキルこそが“異質”であり、自分の──オーソンの剣術こそが技の極致なのだから。
冷や汗を滲ませた騎士たちが、次々とレオンを“見る”ことをためらい、視線を落とす。
そこには、同じ剣を握る者としての誇りも消え失せ、ただ畏怖と混乱だけが残っていた。
騎士団の中でも特に鋭い視線を送っていた老練の教官は、眉をしかめながらぽつりと呟いた。
「……あれは、剣を極めた者の動きだ。だが、それだけじゃない。あの身体の動き……あれは、攻防一体の理想的な、見事な剣だ」
沈黙の中、唯一声を発しなかったのは、ヴォルフ・レイナートだった。腕を組み、険しい表情のまま、レオンを真正面から見つめている。
その視線は、驚愕でも怒りでもなく──己の中の何かが否定されたような、深い戸惑いと葛藤だった。
「……あれが、ギルベルト閣下が認めたという、〈剣聖〉を超えるという剣術か」
口の端で呟いたその言葉は、レオンには届かなかった。
やがて、沈黙のまま動かぬ場の空気を、レオン自身が淡々と切り裂くように剣を納めた。
その何気ない所作でさえ、誰もが息を呑むほどの威圧感を放っていた。
静寂を破ったのは、王の威厳ある声だった。
「見事。……実に、見事であった」
静かな拍手が、訓練場に高らかに響く。
その音は、まるで場に漂う緊張を断ち切るかのようだった。
それに続き、宰相もまた、口元に薄く笑みを浮かべながら、ゆるやかに頷く。
「……並の武勇では、我らの目をごまかすことは叶わぬ。だが、もはやそれすら超えておられるようだな、レオン殿」
その言葉は、貴族たちの心に深く突き刺さった。
かつて彼らが信じて疑わなかった、“スキルこそが力”という価値観。
“血筋と爵位こそが強さの証”という思い上がり──
それらが今、音を立てて崩れ去っている。
レオンは訓練用の剣を静かに地に置き、王の前へと進み出る。
その足取りは落ち着き払っており、その目は静かで、何ら誇示する色もなかった。
そして、静かに一礼する。
王はその姿に満足げな微笑みを浮かべ、力強く告げた。
「よかろう。今日の戦いで、貴殿は──“王都に蔓延る侮り”を断ち切ったことは確かだ。スキルの有無にかかわらず、真の力とは何かを、余も、皆もまざまざと知らされた。……レオン、思う存分に力を示してくれて、心より感謝する」
(これは良い者を見つけた。是非とも王家のために繋ぎとめる必要がある)
その言葉に、貴族たちの中には顔を青ざめさせ、震える者もいれば、顔を真っ赤にして唇を噛みしめる者もいた。
だが──もはや誰も、レオンを“ただのスキルなし”と侮ることはできなかった。
(レオンめ……!)
その光景を、物陰からじっと睨みつける男がいた。
エリオットだった。
爪が食い込むほど拳を握り、嫉妬と憎悪の炎を燃やして。
◆
王都での模擬戦以降、レオンの名は瞬く間に広がり、それと対をなすようにアルテイル家への風当たりも強まっていった。
「スキルなしと追放した挙句、追放された側が功績を立てるとはな……」
「厄介払いと嫉妬から、追放を進言した兄と、それを取り入れた父……下劣というしかない」
「〈聖騎士〉のスキル持ちも、その心根は〈聖騎士〉とは程遠いな」
貴族たちの社交の場では、笑い話のように語られ、騎士団内部でも冷ややかな視線がエリオットに注がれるようになった。エリオットの居場所はどんどん無くなっていく。
ある夜、アルテイル家の屋敷。国王の裁定を受けていた、当主エドワードは重苦しい空気の中、ベッドに伏せたまま動かない。
「すべて終わった……我が家は……もう王都では相手にされぬ……」
疲弊し、顔はやつれ、まるで魂が抜けたかのようだった。
かつて冷静で威厳を保っていた男の姿は、そこにはなかった。
その姿を見ながら、エリオットは歯を食いしばって拳を握り締めていた。
(こんなことで……終われるものか。俺は……まだ、〈聖騎士〉だ。家の名誉を取り戻さねば)
エリオットは再び王都にて行動を開始した。かつての人脈を頼りに、騎士団の上層部──副団長、戦術顧問などに接触を図る。酒席を設け、訓練場で共に剣を交えることもあった。
「レオンの件は誤解が重なった結果です。私も至らぬところがあったが、今後は……」
「〈聖騎士〉のスキルに恥じぬよう、王国のために尽くしたいと考えております」
また、有力貴族のいくつかにも使者を遣わし、密かに面会を申し込む。
「レオンは我々にとっても制御不能な存在となりつつあります。皆さまの憂慮はよくわかります」
「今後、王が彼に肩入れしすぎるようであれば、我がアルテイルもまた、皆さまと歩調を合わせましょう」
こうしてエリオットは、水面下で自らの立場を少しでも保とうと、必死に動いていた。
だが、その姿はどこか焦りに満ち、そして虚ろだった。
そしてそんな彼を歓迎する者は少なかった。今のエリオットに肩入れしても得るものは少ない、と思われていたのだろう。
(手段は問わぬ……必ず奴の息の根を……!))
彼の目の奥には、かつて見せたことのない暗い色が宿り始めていた。




